信長公記

京都上洛の信長に刺客が!~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第31話

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信長公記』は戦の話だけでなく、日常の一コマも多く登場します。

今回はその中間に当たりそうな話。
京都への上洛がテーマなのですが、そこには信長の命を狙う一団がありました……。

 

80人の御伴を連れて京都へ

永禄二年(1559年)のことでした。
織田信長が突然「上洛する」と言い出します。

もちろん軍事的な行動ではなく、現代でいえば旅行みたいな意味ですね。

家臣も80人くらい連れて行くことにしたのですが、一城の主、しかも戦乱ど真ん中の尾張から京都までという旅程は、いかにも危険な人数です。

江戸時代の話になりますと、最大の藩だった加賀藩が参勤交代する際の行列は最盛期で4,000人くらいでした。
これは幕府の決まりに加えて、大名同士の見栄や競争が反映されておりますが、4,000人に比べて80人という人数が丸裸同然だったということがご理解いただけるでしょう。

しかし、人数が多すぎれば、道中の大名から戦と勘違いされかねません。
さらに道中や京都での滞在地の確保や、費用なども考え合わせて、この人数にしたのでしょう。

それでもやはり相当危険には違いないと思うのです。
尾張から山城へ行くには
・美濃
・伊勢
・近江
・伊賀
上記いずれかの国を通らねばなりません。

残念ながら、往路の道中については記されておらず詳述することができませんが、復路については簡単ながら記述がありますので、流れに従って書きますね。

結論から申しますと、旅自体にトラブルはありません。

しかし、もっと別の危険が信長の身に迫ります。京都へ着いてからの話になりますので、そこへ進んで参りましょう。

 

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京都・奈良・堺などの町を見物し将軍にも謁見

無事に上洛した信長一行は、京都・奈良・堺などの町を見物し、途中、室町幕府十三代将軍・足利義輝にも謁見しました。

剣豪将軍と呼ばれた足利義輝/wikipediaより引用

信長も連れの人々も、金銀飾りの太刀を差していたとのことなので、かなり目立っていたでしょう。

一方、清洲・那古野弥五郎の家来である丹羽兵蔵という男が、信長一行へのお使いのため、後から京都へ向かっていました。

この弥五郎という人物、実は12話にも出てきました。

男をオトして城も落とす~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第12話

那古野弥五郎は若い侍大将で、当時は織田信友の配下におりました。
それが信長配下の家臣と男色の関係になり、信友の支配下にあった【清州城】攻略を進めたのです。

清州城の落城は、それから後のことになりますが、ある意味、彼がいたからこそ信長も被害少なくして攻略できたワケで。
弥五郎は知名度こそ低いながら尾張統一における功労者でもあります。

今回の上洛は、このときの話から数年経過していて、当時の那古野弥五郎と同一人物かどうかは不明です。
親子や親戚が同じ名前を名乗ることはよくある話なのでハッキリしません。

同じ人である可能性も低くはない――といったところでしょう。

 

「それなら上総介の運も長くあるまい」

さて、その那古野弥五郎の家臣・兵蔵は、道中で5~6人の身分ありそうな人物と、そのお供をする30人ほどの一団に出会いました。

はじめは少し目に留まった程度でしたが、兵蔵は彼らと志那の渡し(琵琶湖の渡し船)で同じ船に乗り合わせ、少しだけ会話をします。

「どこの出身だ?」

と聞かれると、兵蔵は念のため身分を隠してこう告げます。

「三河の者です。尾張を通って京へ向かってきたのですが、尾張ではみんな信長公に怯えているようだったので、私も目立たぬように通り抜けました」

咄嗟にカマをかけてみます。頭いいですね。

すると、一団のうちの一人が
「それなら上総介の運も長くあるまい」
とつぶやいたのだとか。

「上総介」とは、当時、信長が自称していた官職です。
戦国時代には朝廷の力が弱まっていたため、大名や武将が勝手に官職を名乗ることがままありました。

上総は親王任国といって、他の国とは少し違う扱いの国です。
わざわざその地の「介」=「ナンバー2」を名乗るからには、信長は何かしらの意図があって選んでいたと思われますが、真意はこれまたわかっていません。

ともかく、この発言で兵蔵は、一行をますます怪しみ始めます。
そこで、こっそり彼らの後をつけ、一行の近所に宿をとりました。

 

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信長の命を狙っていたのは美濃の連中だった

一行の下男らしき子供を手懐け、尋ねてみました。

「あの人達はただならぬ雰囲気がするが、どこのどなただ? 湯治にでも行くのか」

「湯治ではありません。美濃のお殿様に仕えている方々で、今、京都にいる上総介殿を打ち取りに行くのです」

聞けば、なんとも物騒な返事がかえってくるではありませんか。
美濃の殿様とは、斎藤道三ではありません。

長良川の戦いで、道三に勝利した斎藤義龍のことです。

長良川の戦いで信長が殿(しんがり)~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第24話

念のため夜になってから美濃一行の話を盗み聞きしてみると、「鉄砲で信長を撃ってやる」だのなんだのと、これまた物騒な話をしています。
主だった人物の名もわかりました。

兵蔵は翌日、急いで美濃一行の先回りをし、物陰に隠れて京での宿を突き止めました。
そして、こっそりその宿の入口の柱を少しだけ削って目印にし、続いて信長の宿へ向かいます。

「至急お知らせしなければならないことがあり、急いで参上しました。蜂屋頼隆殿か、金森長近殿にお取次ぎを」

二人にこれまでの経緯を報告しました。

 

お前らの悪巧みはバレている

報告を聞いた信長は、兵蔵の目通りを許しました。

そして
「奴らのことは金森が見知っているはずなので、二人で明日の朝会ってこい」
と命じます。

逃げたり、討ち取ったりするのではなく、直接、出向いて会ってこい――というわけです。
そんなことをすれば、その場で斬り殺されてしまうのでは?

と思ったら、金森と兵蔵は信長の命ずるままに敵の宿屋まで出向き、彼らにこう伝えます。

「信長公はあなた方のことに気付いているから、今のうちに出向いてあいさつをしたほうがいいでしょう」

当然、美濃の一行はビックリ仰天です。




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信長公記では割と穏やかな言い回しになっていますが、意味合いとしては
「もうお前らの悪巧みはバレてるから、今のうちに信長様へ頭を下げに行け」
くらいの感じだったでしょうね。

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