絵・富永商太

信長公記 前田家

森辺の戦い(森部の戦い)で「首取り足立」を討ち取り利家復活!信長公記39話

今回から、いよいよ美濃へ侵攻。

斎藤道三亡き後の斎藤氏に戦を仕掛けます。

まずは「森辺の戦い(森部の戦い)」と呼ばれる合戦です。

 


織田家が攻め込む直前に義龍が急死!

永禄四年(1561年)5月13日、織田信長は木曽・長良川を越えて、西美濃へ攻め込みました。

実は、この2日前に美濃の主であり、信長にとっては岳父の仇である斎藤義龍が急死しています。

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当時の情報伝達速度からして、信長がこれを知っていたかどうかはわかりません。

もしも事前に知っていたとしたら、それは単に知っていたというより、ほぼ確実に信長の関与を意味するでしょう。

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このような経緯で突然の家督継承が行われた場合、多少なりとも動揺が起きるものです。しかし、当時の斎藤氏には、あまり影響が見られません。

義龍が死んでもおかしくない何らかの状況があったんですかね。健康面とか。

美濃へ攻めこんだ翌14日。

雨の降る中、洲の俣(墨俣)から、さっそく斎藤軍が迎え撃ちに出てきました。

「墨俣」は、この後もとある件で有名になるところですね。

斎藤軍は、長井甲斐守と日比野清実の二人を大将としておりました。

日比野清実は、斎藤氏重臣の一人です。長井甲斐守は詳細不明ですが、斎藤道三がかつて用いていた長井氏を称するからには、親族でしょうか。

彼らは森辺(森部・安八郡安八町)方面へ向かっており、信長はこれを好機と捉えました。

そして楡俣(にれまた)のあたりで川を渡り、北上して斎藤軍に攻めかかりました。

 


衆道のお相手と手に手を取って……

位置関係としては、北から順に墨俣-森部-楡俣です。

当時とは地形が変わっている可能性が高いものの、この三ヶ所の中では森部が最も平地が広い地点。川の側であることを除けば、野戦には適しているといえます。

数時間の交戦の後、織田軍が甲斐守と清実の二人を含む、170人ほどを討ち取る大勝利となりました。

討ち取られた中には、甲斐守と清実の若衆(衆道の相手)である猿楽師も含まれていたといいます。

本連載の第12回でも「衆道関係の絆」について少々触れましたが、今回の戦いでは、それぞれの相手と、手に手を取って死んでいったのだとか……。

なんとも切ないような、イイ話のような、複雑な気分になりますね。

以下、斎藤軍の主だった人物を討ち取った織田軍の人物が列記されていますが、詳細不明な人物が多いので、名前だけご紹介させていただきます。

【討ち取られた人物←討ち取った人物】の順です。

・長井甲斐守←服部平左衛門
・日比野清実←恒河久蔵
・神戸将監←河村久五郎
・足立六兵衛←前田利家

 


「首取り足立」と呼ばれるほどの荒武者が相手

出てきましたね。

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お相手の足立六兵衛は「首取り足立」と呼ばれるほどの荒武者だったといいます。

この手柄によって、実はそれまで織田家から追放されていた利家はようやく帰参を許されました。

追われたのが永禄二年(1559年)。

桶狭間の戦いが永禄三年(1560年)ですから、利家はおおよそ2年の間、織田家を離れていたことになります。

そもそも追放の原因が「信長のお気に入りだった茶坊主とケンカになり、キレた利家がブッコロしてしまったから」というものです。

名のある武士の首を複数とってくるくらいでないと、信長としては感情的にも対面的にも許せなかったのでしょう。まぁ、利家からすれば茶坊主の方こそ許せなかったんでしょうけど。

少し宗教的な面から考えると、亡くなった茶坊主の三回忌をきっかけに、信長も気分を切り替えようとしたのかもしれませんね。

信長の信仰心の厚さについては測れないものの、完全に無神論・無宗教者というわけではなさそうですし。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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