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五七五七七~♪黒田如水が放つ家伝の技は歌だった!?【軍師官兵衛を追え!】

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作家・司馬遼太郎は、黒田官兵衛のひいおじいさん高政ついて「ひょっとするとこの地下連歌の人びとの点者になったかもしれない」と、官兵衛の生涯を描いた著作「播磨灘物語」の冒頭の章・流離で語っています。

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ひいじんさん、じいさんも歌の名人

当時、都では、応仁の乱による退廃から、天子、公家、門跡、将軍家などの、中世的権威の力が疲弊していたのに代わって、有徳人と呼ばれた新興商人が新しい主になっていたという流れがありましたが、そうした、新興の身分の間でサロンが形成され、連歌が流行っていたのだそうです。

和歌を上の句で詠みかければ、下の句で詠みかえし、歌のやりとりが、さながら豪華な織りをなしていく風の連歌にてついて「小百姓や職人、ときには野盗のたぐいまで、それぞれサロンを組んで興行するのである」とも司馬は記しています。

権威とはうらはらの位置に存在する、新興の身分の者達を地下者と呼び、彼らが催す連歌が「地下連歌」とされ、当時は、その点者への引き手があまたあったようです。
軍師官兵衛450

知略の将として豊臣秀吉を支え、数々の軍功で天下取りへの道のりを助けた軍師・官兵衛のひい爺さんが連歌の達人であり、歌詠みだったという司馬遼太郎の推測には、いささか唐突に思われます。
が、実は納得できるいくつかの話しが伝わっているのです。

黒田家の正史「黒田家譜」には、官兵衛のおじいさん重隆が将軍・足利義輝が臨席した和歌の会に召された、という話しが記されています。

また、官兵衛の母の父。つまり、官兵衛の母方の祖父は明石宗和といい、城持ちの侍でしたが、関白・近衛稙家父子に歌道を伝授したとされる歌人でもあった、というよう話しも黒田家には伝えられています。

何よりも、官兵衛自身が、相当な歌詠みでした。
幼少のころから歌ばかり詠んでいて、主君にお目通りした年齢が遅かった(つまり人前に出すのが恥ずかしいほどの遊び人と思われていた)。

晩年も、息子の長政に家督を譲り、福岡藩の隠居として、福岡の奥座敷・太宰府で過ごした官兵衛が、太宰府の屋敷での夢枕に「松梅の末長かれと緑立つ山よりつづく里は福岡」という歌を得たという伝説的な話しが伝わるほどです。

黒田官兵衛夢想之連歌(福岡市博蔵)

黒田官兵衛夢想之連歌(福岡市博蔵)

画像は、夢中に歌ができたことを吉祥として、その後、正室・光、長政、長政室の御上らとともに行った連歌を「夢想之連歌」として官兵衛がまとめたものです。

軍師としての姿と、歌詠みとしての姿は、現代人には離れたものに映りますが、戦国時代の軍師とは「外交文書」をやりとりして、敵や中立の勢力との交渉をする重要な役目を持っていました。

降伏を薦める文書にさらっと粋な歌が書かれていたりすると、ころっと心を動かしてしまう、なんてこともあったのかもしれませんね。

 FrcoDon・記(福岡在住)




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