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クリスチャンだけど自刃した38歳女子 細川ガラシャの「武士女力」

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細川ガラシャとは、大名細川忠興の妻。戦国一の波乱の人生を送った女性として知られる。

ガラシャは、キリスト教に入信してからつけたクリスチャンネーム。本名は玉子(珠)。なんといっても、父親は「反逆者」の明智光秀である。

お父さんはあの光秀

16歳で、信長の仲介で忠興と結婚し、幸せな日々を送っていたが、4年後の本能寺の変で人生は一変してしまう。細川氏は光秀の味方にはならず、彼女は幽閉された。その後、秀吉によって許されるが、「光秀の娘という過去を断ち切る」などの思いがあったのかもしれない、間もなく、キリスト教に改宗し、ガラシャと名乗るようになった。

 38歳となった1600年、夫の忠興は家康に従って、上杉征伐のために出陣していた。妻は大坂城下の屋敷でお留守番。

 このとき蜂起した石田三成がガラシャを人質にしようと屋敷を包囲。逃げられないと分かると、自殺を決意。だがキリスト教徒は「自殺禁止」なので、礼拝堂の中で祈りながら、家老に胸を突いて「殺してもらった」というのが、一般的なお話である。

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イエズス会が「自殺なんてするわけない!」と捏造

 ところが、『信長公記』で知られる太田牛一が記した関ヶ原合戦の記録は違う。

 敵が門を叩く音で覚悟を決めたガラシャは座敷に鉄砲の火薬をぶちまけると、侍女たちに「自分が自害したあとには屋敷に火を付けるように」と言い残して見事に自刃していたのだ。

 では、これまで「キリスト教徒だから自殺しない」といっていた根拠はなんだったのか。それは細川家に伝わる、ガラシャ最期の様子を記した侍女の手記『霜女覚書』である。これをもとに、格の高いとされる歴史事典でも「非自殺説」を載せてきた。

 ところが、最近になって研究者が精査したところ、この覚書の原文には、家臣に討たせたという記述はないことが判明したのだ。そこには単に「ガラシャが自殺したので介錯した」と。

 では、だれがガラシャ非自殺説を掲げたのかというと、イエズス会である。もちろん、イエズス会の関係者は現場にはいなかった。ただ、ガラシャはイエズス会の大スポンサーで、信仰の篤かったので、イエズス会は関ヶ原の合戦についての速報レポートで、事実を確かめもせずに、「クリスチャンが自殺するはずない」と思いこみ、「ガラシャはひざまずいて、ゼウス様、マリア様と何でも唱え、みずから首をあらわにして、一刀のもとに首を切らせた」と報告したのだ。

 戦国きっての戦闘能力をもつ明智光秀の娘である。キリスト教徒以前に「武士の娘」であることが最後の行動を決めたのである。




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