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半兵衛殿の思い忘れません

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

NHK大河ドラマ前にマンガで分かる軍師・黒田官兵衛7つの選択

更新日:

 

『風林火山』で山本勘助が主役に抜擢され、『天地人』では直江兼続が――。 最近の大河ドラマは戦国時代の【軍師役】にスポットライトが当たることが多く、「次はどこぞの軍師ぞ?」と薄々予感されていた方もいるかもしれません。

  そう、2014年の大河ドラマは言わずもがな黒田官兵衛が主役。

正式タイトルは『軍師官兵衛』です。(マンガ付き辛口レビューも毎回連載しています→「軍師官兵衛感想マンガ」

誤解を恐れずに言わせていただくと、黒田官兵衛は、織田信長や武田信玄、伊達政宗などのスター武将と比べると、いまいち世間の知名度は低いです。「兵衛」ってところが、竹中半兵衛とこんがらがりそうです。

そこで、まず押さえておきたいのは、彼の【出世への道のり】ではないか?と武将ジャパン編集部では考え、12月31日発売の『戦国時代100の大ウソ 武将烈風記』にもそのマンガと記事を掲載させていただきました。題して・・・。

『特集 軍師・官兵衛を追え! 黒田家の命運を決めた 官兵衛七つの選択』

黒田官兵衛が国持大名になるまでに起きた7つのターニングポイントに注目したもので、そのラインナップは下記の通りです。

目次 (マンガ・富永商太)

  1. 織田か?毛利か?
  2. 竹中半兵衛はライバルか?友か?
  3. 裏切りの連鎖 乗るか? 忠義貫くか?
  4. 本能寺の変を毛利に知らせる? 知らせない?
  5. 初の大名に 地元勢力は粛清? 話せばわかる?
  6. 天下人ににらまれた! 反乱する? 隠居する?
  7. 関ヶ原!天下を狙う?所領を広げる?

 

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其ノ一 織田か?毛利か?

官兵衛の本拠地は姫路(兵庫県姫路市)です。ただ、世界遺産の姫路城は、あとから造られたもので、当時はもっと小さな山城だったと考えられています。   その頃、東からは京を制圧した織田軍が、西からは中国地方西部をおさえた毛利軍がせまってきていました。両雄に挟まれた官兵衛はどちらかにつくかの選択を迫られました。

黒田官兵衛マンガ1

この当時、官兵衛は播磨西部を支配する小寺氏の重臣でした。つまり運命を決めるのは、大名たる小寺だったのですが、官兵衛の情報収集能力が主家を動かしたのです。

 決められない主君をいただいて

小寺の殿様(大河では片岡鶴太郎が演じる)が「誰が天下をとるか」と部下に問うたときに、いち早く、論理的に信長有利を説いたのが官兵衛でした。

官兵衛は、毛利元就が存命ならば毛利もありえたが、その孫の輝元には器量がないと喝破。実際、関ヶ原合戦でも輝元が総大将となった西軍と官兵衛は立場を異にしています。   結局、官兵衛の意見が取り入れられて、信長のもとに小寺家の代表として派遣。そこで会ったのが秀吉です。官兵衛が披露した対毛利の作戦の戦略性の高さに驚いた秀吉は、すぐに信長に伝えました。信長も官兵衛を気に入り、秀吉を大将として中国攻略作戦を発動するのです。

「おみゃあを信じる、俺に付いてこい」(富永商太・絵)

「おみゃあのアイデアはいい!」

官兵衛は大名でもない小者でしたが、たしかに歴史を動かしたのです。すごいぞ官兵衛!    

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其ノ二 竹中半兵衛はライバルか? 友か?

官兵衛は、秀吉の片腕として知られた竹中半兵衛と出会い、織田軍の戦術に触れていきます。

黒田官兵衛マンガ2

そこで見て、学んだのは、非情な戦い方…。

はじめて二人がペアを組んで戦ったことがわかるのが、上月城の戦いです。 毛利との国境付近の城で包囲した秀吉軍のなかで、官兵衛は敵の首を多く討ち取る獅子奮迅の活躍をし、信長から「感状」(お礼)が与えられています(「黒田家文書」)。実際に別の史料(「下村文書」)からも詳細は不明ながら二人のタッグで上月城に近い別の城を落としたこともわかります。

ただ、この上月城の戦いでは、降伏を求めてきた城兵たちの命ごいを一蹴、女、子供を串刺し、はりつけにするなど悲惨な戦いでもありました。

それまでの播磨国は、各地に勃興した中小の勢力が小競り合いを続けていた地域。いってみれば、戦いがあっても、どちらかを殲滅するまではせずに、なれ合いの面が多かったのです。まして女や子供ら非戦闘員は、その後の領地経営に重要な「生産資源」でもあります。

しかし、日本列島すべての征服を狙う織田軍はそんな甘さは一切ありません。このむごい仕打ちは単に残虐なだけでなく、参謀たる竹中半兵衛がその後の毛利攻めに有利になるとの見通しを秀吉に示して実行されたと考えられるのです。

「ワシを怒らせると怖いよ」

「ワシを怒らせると怖いよ」

おそらくこの処置に驚いた官兵衛ですが、半兵衛との出会いによって戦国の世をかけあがる覚悟をもったのです。そして友かライバルかの答えは次のその3の選択で明らかになります。  

其ノ参 裏切りの連鎖 乗るか? 忠義貫くか?

荒木村重

官兵衛を語る上で欠かせないのが、荒木村重の裏切りです。

この一件によって数多の武将の人生が変わり、そして黒田家の命運も大きく変化していくこととなるからです。 その2で登場した竹中半兵衛が好きで残酷な処置(上月城の戦い)をしたのではないことは、次の行動をみると理解できます。

播磨国を制圧し、いよいよ毛利本隊との戦いが始まる矢先に、なんと播磨国内の織田方の武将たちが次々に寝返ったのです。 秀吉軍は当然ながら裏切り者を倒さないといけません。それが三木城の干し殺し作戦です。

裏切り者の別所氏が立て籠もるこの城を包囲することにしましたが、その包囲中に、織田の中国方面軍ナンバー2の荒木村重も裏切るという非常事態が発生します。

官兵衛村重1

竹中半兵衛が信長の命令を無視して官兵衛の息子を救う

そこで、荒木を説得する使者として送られた官兵衛でしたが、荒木に幽閉され音信不通となってしまいます。

そのセリフ、フラグたってるよ~

そのセリフ、フラグたってるよ~

これを新たな裏切りと判断した信長は、人質の息子(後の長政)を処刑するよう命じました。が、半兵衛はその命令を無視。「官兵衛は義の人である」と信じ、息子を匿ったのです。

官兵衛半兵衛の死を知る

官兵衛長政の恩

不思議なのが、後年の官兵衛が秀吉から「天下を狙っている」と警戒されたという逸話です。 竹中半兵衛が自分の身の危険をかえりみずに官兵衛の「義」を信じたことからして、秀吉が官兵衛を疑うということに、違和感を抱く人も多いのではないでしょうか。

考えられるのは、この1年間にわたる幽閉生活です。

竹中半兵衛は、官兵衛を信じ通した。一方の秀吉は、不信感を持ち、官兵衛の父や叔父に、改めて忠誠を誓う書状を求めていたことが「黒田家文書」からわかります。

解放後の官兵衛は、戦略眼はいよいよ冴え、まさに「軍師」の風情となります、同時に秀吉への突き放した姿勢を見せていくのは、友情の差を感じたからともいえます。

官兵衛救出1

官兵衛救出2

官兵衛救出3 

其ノ四 本能寺の変を毛利に知らせる? 知らせない?

荒木村重の反乱を鎮圧した信長軍は、別所氏も滅ぼし、毛利攻めを再開します。「高松城の水攻め」といえば秀吉・官兵衛の毛利攻めで、絶対に外せないエピソードです。 なぜならこのとき、京都で本能寺の変が勃発し、信長が死亡。続いて、「山崎の戦い」(天王山の戦い)から、昨年映画化で話題となった「清須会議」へと、劇的に情勢が変わっていくからです。

「高松城水攻め」をめぐっては我々の知る通説とは違う、意外なことが…。

安全パスを売って兵糧を現地調達

「ワシを燃やした紅蓮の炎の煙を毛利が知らんわけないわい」

「ワシを燃やした紅蓮の炎の煙を毛利が知らんわけないわい」

有名な水攻めが行われた高松城攻めですが、官兵衛が主に活躍したのは、周囲の領主や寺社の取り込みでした。具体的には、「これを持っている場所に秀吉軍は攻めませんよ」という免罪符の「禁制」を売っていたのです。高松城周辺は敵地であり、周辺住民を味方につけるだけでなく、同時に兵糧資金も手に入れる重要な役目でもあります。

お金は大事だよ~

お金は大事だよ~

本能寺の変を知っていた毛利

水攻めについては、官兵衛が堤を築造した説と、蜂須賀小五郎が主導した説があります。これは、後世に木曽川での「墨俣一夜城」伝説が生まれるほど、川を知り尽くした蜂須賀が中心と考える方が合理的でしょうね。

そしてこの2人は、本能寺の変の報を受けた毛利との交渉も成立させた。

「あれ? 信長の死は毛利に知らされなかったのでは?」 というのが世間の定説です。が、それは毛利を甘く見過ぎ。

仮に陸路の情報が絶たれたとしても、瀬戸内海を使った海賊たちの情報ネットワークを止めることは不可能。毛利はかなり早い段階で信長の訃報を知っていたと見るべきです。実際、秀吉軍が山崎の戦いへ向かう際、なんと毛利側から明智光秀討伐の援軍を出すことが打診されているのです。

中国大返しキターーー

中国大返しキターーー

官兵衛は、その援軍を断る代わりに、毛利の旗を借りました。

結果、道中または山崎の戦場で毛利軍旗を掲げることで、明智方に大きな精神的ダメージを与えることになったのです。まさに「軍師」の頭脳といえます。

大切なことだからもう一度言います。毛利は本能寺の変を知っていた。「和解交渉後に初めて知った」というのは、あくまでドラマ的な演出。

いつやるの?今でしょ!

いつやるの?今でしょ!

主君が部下に討たれるのが普通の時代では、その直後に一家が崩壊することはありえません。毛利も「信長が死んだか」と感じるぐらいで「織田軍が壊滅した」などとは楽観していません。むしろ秀吉に恩を売っておいたのです。

謀将という表現がふさわしいでしょうか?/画 富永商太

元就「わしが毛利は天下を狙うなといったばかりに」

実際、秀吉が天下を取った後、毛利家は厚遇されています。  

其ノ五 初の大名に 地元勢力は粛清? 話せばわかる?

戦術家として知られる官兵衛は、合戦で相手を叩き潰すことはあれど、誰かを罠にハメて暗殺をするような真似は無縁でした。しかし…。

戦国時代に「軍師」をしていれば、たくさんの人を死に追いやることになります。三木城、鳥取城の飢餓作戦に、高松城の水攻めと、黒田官兵衛がかかわった戦いは実に残酷な手法が多いのも事実。

だが、人間としての官兵衛は、裏切りや陰謀からはほど遠い人物で、だからこそ、竹中半兵衛は自分の危険をかえりみずに官兵衛の息子を信長の処刑命令から守ったのです。

半兵衛殿の思い忘れません

半兵衛殿の思い忘れません

国持大名となって初仕事は謀略?

しかし、官兵衛がついにその手を謀略に染めるときがきました。 秀吉の九州征伐の成功で、官兵衛はようやく「国持大名」(それまでは3万石の一つの城を支配する程度)となりました。豊前国(大分県)のほぼ3分の2にあたる6郡、中津18万石(12万石説も)を与えられたのです。

黒田官兵衛鎧300

「やるときはやらんといかん」

秀吉は権限のある側近には所領を与えない江戸幕府方式

活躍の度合いに比べて所領が小さすぎると思うでしょうか?

実は秀吉や家康が採用したウマい方法に、「権限を与える者には領地は少なく」という方針がありました。

江戸時代を考えるとわかりやすのですが、加賀百万石の前田家も仙台藩の伊達家も収入はリッチだが、幕府の老中などの権限のある地位には決してなれませんでした。 秀吉軍の軍略を一手に担うほど近い存在だからこその少ない禄高。そう考えるとシックリくるかもしれません。

話をもとに戻すと、官兵衛が一国を経営するのは実はこれが初めてです。 にもかかわらず、地元民は官兵衛に反抗し、一揆を起こしたのです。

反乱は太閤検地が原因ではなかった

いわゆる太閤検地が行われたのが原因と言われていますが、それはウソ 検地は自己申告の手ぬるい内容だったし、そもそも官兵衛の検地前から一揆は発生していました。

ではなぜ起きたのでしょうか?

地元の宇都宮氏という武将が秀吉に国替えを命じられてキレ、一揆を先導していたのです。そこで官兵衛が採用したのが「初めて」の謀略でした。

長政の正妻に宇都宮氏の娘をもらうという和解案を示したと、幕末以降にできた軍記物語「武功夜話」などでもっともらしく書いていますが、これもウソ

すでに長政には正妻がいました。 方法はともかく宇都宮氏と表面的には「一緒に豊前を経営しよう」と和解しておきながら、城に招き寄せて一族を惨殺したのです。

『川角太閤記』にも「むごすぎる」と批判されていますが、官兵衛はもとよりそれは承知でした。なぜならその直前に隣の肥後国(熊本県)の佐々成政が一揆の制圧に失敗して切腹、家は改易されていたからです。 官兵衛にヌルい手口を使っている余裕はなかったのです。

「ワシを怒らせると怖いよ」

「だからワシを怒らせると怖いっていったでしょ」

 

其ノ六 秀吉ににらまれた! 反乱する? 隠居する?

九州を平定した後の官兵衛は、さっさと当主を息子の長政に譲ってしまいます。虎視眈々と【天下人になるための布石】を打っていたというドラマティックな説もありますが、現実的に考えれば…。

絵・富永商太

「ようやく隠居させてもらいました」

隠居を申し出るも秀吉から却下

一揆を制圧して国持大名としての責任を果たした官兵衛は、その翌年、家督を長政に譲りたいと秀吉に申し出ます。

この時、44才。

官兵衛のチカラを頼りにしていため秀吉は、「隠居」をなかなか許しませんでした。官兵衛は、秀吉の妻へもしつこくお願いしてようやく認められました。

秀吉が「私に代わって天下を治めるのは誰か」と家臣に聞くと、家臣たちは徳川家康や前田利家の名前を挙げたという話があります。 このとき秀吉は、首を横にふると「官兵衛がやる気になったら、オレが生きている間でも天下をとるだろう」と返答。

家臣たちが「官兵衛は10万石ちょっとの小大名ですよ」と笑うと、「百万石をやつに与えたら今すぐ天下をとるではないか」と言い返しました。それを耳にした官兵衛が慌てて隠居。さらには剃髪して「如水」になった(19世紀にできた『名将言行録』)というお話があります。

秀吉が天下をとる器と評価 官兵衛は秀吉と天下を一緒にとりたいと願った

同じような話は『常山紀談』という18世紀の武将エピソード集にもあります。

秀吉と官兵衛が話しているときに、秀吉が「次の天下は誰と思う」と聞くので「毛利輝元でしょう」と答えると、ニヤリと笑って「目の前にいるやつじゃ」と言ったとしています。

秀吉が官兵衛を高く評価していたのは事実。しかし、秀吉の元を離れて「大名」として自立していったことで、石田三成ら新世代の「軍師」たちが政権で影響力を高めていました。 そう考えると、若くして隠居を申し出たことについての新たな説が浮上します。

官兵衛は遠く九州で大名としてお山の大将になるよりも、秀吉の近くでともに天下統一の仕上げをしたかったのです。官兵衛は隠居が認められると、22才の長政に九州の中津藩を任せ、秀吉の政治の拠点、京都の聚楽第の近くに屋敷を構えました。その屋敷地は、今も如水町として地名が残っています。

価値観を共有できるっていいね

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其ノ七 関ヶ原!天下を狙う?所領を広げる?

黒田官兵衛マンガ3

天下分け目の関ヶ原で、合戦場に現れたのは息子の黒田長政。 彼の多大なる活躍により東軍は勝利を得て、後に黒田家は九州でも最大クラスの藩へと成長していきます。
長政2

このとき官兵衛は長政を罵り、『なぜ家康をころさなかった。もう少しで天下をとれたのに…』といったという逸話が残されていますが、果たしてその真偽はいかなるものなのでしょうか?

関ヶ原から遠く離れた九州での官兵衛の活躍

官兵衛は、秀吉には忠誠を尽くしました。が、やはり足を引っ張られた三成など奉行衆へシンパシーは感じていなかったようです。

官兵衛は、関ヶ原の戦いにおいて、長政を家康と共に行動させます。 長政は小早川秀秋や吉川広家(毛利隊が家康を攻めるのを体を張って止めた)の調略に成功するなど、東軍で一、二を争う武功をゲット。

そのため父・官兵衛が留守を預かる中津城にはほとんど兵がいませんでした。地元から兵を集められなかった島津とは大違いです。 そのとき、恐ろしい才覚を発揮したのが官兵衛です。

城内にあるカネで浪人や百姓ら9000人を集め、単なる寄せ集めの彼らを強兵に仕立て上げたのです。そして、熊本城の加藤清正と共に在九州の西軍へと襲いかかり、続々と大勝利を得ます。

この後、関ヶ原で大活躍した長政は中津城に凱旋するのですが、ここで官兵衛史上、最も有名な逸話(『故郷物語』)がでてきます。

長政がドヤ顔で「家康殿は私の手をとって感謝してくださいました」と言うと、官兵衛は「ふーん。家康殿はお前のどっちの手をとった? 右手か、それとも左手か?」と問いました。 長政が「右手でした」と答えると、「ばっかもーん!そのときお前の左手はなにをしていたんだ!」と言ったというものです。つまり、空いた左手で家康を刺し殺せば、官兵衛が九州から都へ駆け上り、天下を取っていたのにこのバカチンめ!と叱ったのです。

『常山紀談』では、死の間際に「オレはギャンブラー。関ヶ原で三成がもう少し持ちこたえていれば、九州から攻めあがり天下を統一したかった。その時は息子を捨ててでも一博打を打ちたかったぜ」と語ったとしています。

いずれも「イイネ」ボタンやリツイートしたくなりますが、すべて後世の創作で事実ではありません。ザンネンネ

官兵衛は「九州で切り取った分は頂きたい」と戦国武将らしく張り切ったのであって、特に天下までは求めていなかったというのが真相。

実際、親子の活躍で18万石から3倍近い52万石の福岡藩を入手して、明治維新まで大藩として繁栄を続けました。

2代で滅んだ秀吉に比べ、数百年先を視野に軍略を巡らした官兵衛は歴史的な勝者といえるのです。  
長政3
以上、12月31より発売開始されました『戦国時代100の大ウソ 武将烈風記』から黒田官兵衛パートの一部を大公開しました。

そのほかの官兵衛のネタ「如水はモーゼの弟子の名前?」や、信長や信玄、謙信、または知名度こそ低いものの生粋の傾奇者【水野勝成】まで掲載しています。ぜひお求めください。

また、ここまで、このエントリーを読んで「よかった」「おもしろかったよ」と思っていただいた方はぜひツイッター、FB,はてブなどでシェアしてください!お願いします!

姉妹本(下)もあります。ぜひ買ってください。

この記事の主な参考文献は

渡邊大門『黒田官兵衛 作られた軍師像』講談社現代新書

渡邊大門『誰も書かなかった黒田官兵衛の謎』中経出版

小和田哲男『黒田如水』ミネルヴァ書房

小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館

藤井譲治『天下人の時代』吉川弘文館

谷口克広『信長の政略』学研

藤田達生『秀吉と海賊大名』中公新書

『信長公記』新人物往来社

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『名将言行録』岩波文庫

 





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