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名脇役

「自爆武将」松永久秀はいかにして東大寺大仏を燃やしたか

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戦国時代の戦法において、相手の城や陣に火を放つ事は非常に有効的な手法として用いられてきました。特に誰もが知っている出来事としては、やはり天正十年(1582年)6月2日の「本能寺の変」で信長が、自ら森蘭丸に火を放つよう指示したことがあげられます。

しかし、戦中に作戦として火を放つ事は非常に良くある事ではありますが、火を放つにはそれなりの大きなリスクもある訳です。

例えば、死体が焼けてしまえば、大将首の判別も難しくなるわけで、少なからずも戦場は必要以上に混乱するわけです。

混乱の最中、大将に逃げられてしまう可能性も大きくなってしまいます。現に、本能寺の変では識別能力のない時代だったので、信長の遺骸は発見されておりません。(※その為、楽しい俗説が出回って、戦国ファンの妄想は広がるばかりです。ちなみに、筆者は『秀吉により大坂城に幽閉され、後にアドバイザー説』という絶対にありえない俗説に妄想浸るのが大好きです)
と、前置きはこのぐらいにして、日本史に燦然と悪名を輝かせる東大寺大仏殿に火を放った武将を紹介して参ります。

大仏に火を放ってみたがなにか?(のちに自分に)

信長のお気に入り、戦国大名・松永久秀(1510-1577)は、日本史にて初めて死因・爆死と記載された、その通りのぶっ飛んだ人生を歩んだ武将です。

すごい描かれっぷり。「弾正忠松永久秀」『芳年武者牙類』のうち 月岡芳年筆、明治16年(1883年)Wikipediaより

大和の国(奈良県)を治めていた松永は三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)との争いで、東大寺大仏殿を焼失させた事で有名です。ですが、いくらぶっ飛んだ松永でも、やり過ぎではと感じませんか。

その、三好三人衆と争っていた際も『クリスマスは戦っちゃダメでしょ~』つって休戦し、両軍仲良くミサに行ったという信仰心に溢れる一面もあれば(その10ヶ月後に大仏燃やすw)、幻術師・果心居士に『俺さ~戦でもなんでもビビッた事ないんだよね~1回、本気でビビらせてよ~』ってけし掛けておいて、雷雨が立ち込め、自身の元妻の幽霊が現れるやいなや、ビビリまくって『もうやめて~』っとなったというお茶目な一面もあれば(でも、大仏のたたりは怖くないww)、茶人としても優れており、信長に上等な茶器を献上して気にいられる世当たり上手な、一面もあります。(何度も裏切って、茶器あげたくなくて爆死www)
一部を紹介しただけでも、戦国時代の常人では無いとお判りになって頂けたでしょうか?
変な奴ですね。

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うはっ、使える若者がやってきた

永禄十年(1567年)4月18日から10月11日まで半年に及んだ東大寺大仏殿をめぐる戦い(多聞山城の戦い)は決して、松永が優勢な戦ではなかった、むしろ常に撤退を強いられた、劣勢戦でありました。

戦いの兆しは前触れもなく訪れます。
この年の4月6日、松永がいる信貴山城(奈良県平群町)に三好義継が保護を求めてきました。なぜ、保護を求めてきたかは謎となっていますが、筆者が思うに情勢を察した義継がなんとなく勘で『なんか、松永さんとこいったら、重宝されて、よいんではないか~』的に保護を求めにいったのではないかと勝手に思っております。
だって、義継は当時16歳、勘で動いても良い歳であります。
どちらにせよ、劣勢下にあった松永陣営に大義名分を与えるだけの効果を依然として保持していた若者だけに、松永は大いに喜んだ事は間違いありません。

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ワシの起死回生のためなら仏様も喜んでくれるんじゃね?←そんなはずはない

そして、なんやかんやで、その年の10月10日、午後10時過ぎから翌日午前2時の深夜に大仏を燃やし、逆転勝利をもぎ取ります!!
大仏殿を燃やした理由として、兵士の質・量共に三人衆・筒井連合軍が上な事は明白であり、その打開策として、深夜不意打ち作戦を決行したと思われますが、躊躇は無かったのでしょうか?いや!!なかったでしょう。
なぜなら、勝機を見出したら、怖い物などないですし、義継に相談した所で、中高生年齢の16歳ですから『やっちゃいましょ~よ~♪』的な答えだったでしょうww。
そういった、意味では味方に冷静で常識のある武将がいたのならば、『またれ~い!!』とか言われて仲間割れしちゃったかもですね。

信長「せんぱーい、俺も比叡山燃やしてみましたっす」松永「ならばもっと派手に逝くか」

BUSHOO!JAPANでは『信長さん本当は優しい説』を採用しております。ただし、記事の都合によっては魔王にも変化させたりします。だって歴史は解釈次第で、人それぞれに主張があるのがいいところ♪

この出来事も踏まえて、後に信長は松永の事を家康に紹介する際、『この老人は常人には出来ぬ天下の大罪を三つ(主君・三好長慶殺し、第13代将軍・足利義輝殺し・大仏殿焼失)も犯した』と紹介しました。
信長がそういって紹介するって事はある程度、リスペクトしていた証でもあります。
なぜなら、その大仏焼失から約4年後の元亀2年(1571年)9月12日に信長は比叡山を焼き討ちするのですから。

そして本人といえば、天正五年(1577年)、信長を裏切り、信貴山城に立て籠もります。その際、信長から松永が持っている名器の茶釜「平蜘蛛」を渡せば許すという大甘な条件を出されますが、自ら火薬に火を付けて茶釜とともに爆死を遂げたのでした。

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