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戦国時代の“ゴーストライター” ことわざ「元の黙阿弥」の由来の影武者とは

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佐村河内氏の騒動でゴーストライターという職業がにわかに注目されていますが、戦国時代においても“影”の役割というのは存在しました。そう、影武者ですね。国の大事に関わるとても重要な役割です。

大名が、暗殺に対する予防線のために複数人の影武者を使っていた、あるいは、跡継ぎがまだ幼い状況で大名が亡くなった際、その死を隠して周辺諸国に対して健在ぶりを示し、跡継ぎが成長するまで国を守った、そんな逸話は多く聞かれます。その一つをご紹介しましょう。

「元のもくあみ」の由来になった影武者

戦国時代の大和国(現在の奈良県)に筒井家の全盛期を築いた筒井順昭という大名がいました。この筒井順昭が病に伏して養生を余儀なくされた際、跡継ぎの順慶がまだ幼かったことから、自分の死後、当時大和で隆盛を極めていた松永久秀に攻め滅ぼされてしまう事を懸念して一計を案じます。

順昭はある時重臣を集め、自分が死んだら密かに埋葬して、背格好や声が良く似ている木阿弥(黙阿弥)という盲目の僧を影武者にして、三年間喪を隠すことを命じました。

その後、順昭が亡くなると重臣たちは命ぜられた通り順昭を人知れず埋葬し、僧の木阿弥を招いて順昭の身代わりとして世話を続けました。影武者・木阿弥の存在は重臣以外には知られておらず、周辺諸国にも順昭は病気ではあるものの健在だと思われます。
おかげで、筒井家は攻め込まれることもなく無事に過ごすことができたのです。この間、重臣たちの働きで筒井家は幼い跡継ぎの順慶を守りながら体勢を整え、数年後に順昭の死を公表しました。

一方、影武者の役割を終えた木阿弥には多額の謝礼を与えて、もともと暮らしていた町に帰しました。大名の影武者から、元の僧に戻ったというわけです。

そして、この逸話から物事が振り出しに戻るという意味の故事成語「元の木阿弥」が生まれたと言われています。

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様々存在する影武者エピソードの真偽

ところで、この影武者という存在、謎に包まれている部分が少なくありません。そもそも影武者というのは、大名家にとってトップシークレットのハズですから、その存在を示すような記録や資料が簡単に見つかるのは本来マズイことです。

ですから、影武者にまつわるエピソードについても、本当なのかはっきりしないものや、後世になってから脚色されたりしているものも結構あるようです。

有名なのは源義経ではないでしょうか。平泉で自害した義経は影武者で、本物は東北から北海道に逃れたという「北行伝説」、からのモンゴルに渡りチンギス=ハンになったという言い伝え。チンギス=ハンはモンゴルの英雄ですから、それが日本人だったというのは、よく考えればモンゴルの方々に対して失礼な話なんですが…。戦国時代では、家康が影武者だったなんて物語もありますね。

いずれにしても、影武者というミステリアスな存在が、こうした伝説を生み出しているのかも知れませんね。

オギヤスエ・記




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(参考サイト)
「元の木阿弥」

 





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