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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師・黒田官兵衛百物語42話】信長の「宗教弾圧」は理不尽?それとも合理的?

更新日:

猶子とした宇喜多直家の兵二万を先鋒に、天正10年(1582)3月に秀吉は備前から備中へと進攻を開始します。
天正3年(1575)7月に官兵衛が織田信長に会い、毛利氏征討のための中国侵攻を誘って以来、いよいよ、毛利本領の奥深くへと迫っていくわけです。

秀吉を備中へと派遣する間、信長は官兵衛との初会見の年に長篠で撃破し、敗走させたまま、放っておいた武田勝頼を、甲斐に攻め滅ぼしてしまいます。

この武田攻めに際して、信長の旧敵だった六角義治が禅僧・快川紹喜によって甲斐・恵林寺に匿われていることが 信長の知るところになります。信長は、即刻、息子の織田信忠をやり、義治の引渡しを要求させますが、紹喜は拒否します。

結局、恵林寺は火を掛けられ、紹喜を初め寺僧は皆殺しの目に遭います。
先回のNHK大河の官兵衛では、紹喜が「心頭滅却すれば火もまた涼し」という語を残しながら、信忠の兵による劫火に包まれ死んで行く場面が描かれていました。

その姿は、いかにも悟りを開いた禅僧とした作られていましたが、紹喜は武田氏の外交僧を勤めた人で、言って見れば俗界のこにも手を染めていたのでした。

いかにも理不尽に焼き殺された様の紹喜なのですが、実は、因果に対する当然の報いとしての最期だったとも言えます。

よく知られたいるように信長は、元亀2年(1571)には比叡山焼き討ちし、天正2年(1574)には伊勢長島の一向宗門徒を皆殺しの目にあわせています。

信長の仏門に対するこうした苛烈な姿勢は、平清盛時代から求められてきた、武家政権側からの政教分離を確立する為の、狂乱の行為であったとも見ることもできます。

信仰と云う厄介なしろものを背景にして、世の中のことに膠着してくる仏徒を成仏させ、仏界に閉じ込めてしまうための信長の儀式には、阿鼻叫喚を誘う劫火に映る殺戮を欠かせなかったのでした。

二日目の午後
比叡山から琵琶湖を見下ろす写真 posted by (C)kontenten

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