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妙興寺の宇喜多直家の父興家墓所

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

宇喜多直家を裏切らせたのは官兵衛の策略?それとも血?【軍師・黒田官兵衛百物語43話】

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少し時間を巻き戻して、信長が存命で官兵衛が有岡城に幽閉されるもっと前。

天正五年(1577)の11月に、羽柴秀吉が織田信長の命を受け、初めて播磨に兵を入れ、毛利軍との間で備前との堺にある佐用城と上月城を廻って争奪戦を展開した時に、備前の国主であった宇喜多直家は、毛利方に味方すると言いじょう、病と称して弟の忠家を出陣させました。(秀吉のなで切り!戦の非情さを知った上月城の戦い【軍師黒田官兵衛百物語7話】

宇喜多直家という人は、謀略・暗殺・裏切りのくり返しで大名にのしあがった人です。
この時の直家の行動は、秀吉軍中から発せられる官兵衛による調略の手に、直家が乗りかかっているのではないかとの心配を毛利方にさせました。

結局、天正七年(157 9)には、毛利と手を切り、織田方への寝返りを直家は決めます。そして、2年後には子の秀家のことを秀吉に頼んで他界します。秀吉は秀家を猶子とし、その後、宇喜多家は羽柴一門として歴戦を重ねることになります。

息子をたのんます。ロックスターにしてください(霜月けい・絵)

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宇喜多の重臣に官兵衛の親戚がいた

その宇喜多家を支えた重臣に、直家の娘、つまり秀家の姉妹を娶った明石掃部全登という侍がいたのですが、この人は官兵衛とは従兄弟の子という関係でした。

官兵衛の母は、城持ちであり、近衛家の歌道の師範でもあった明石正風の娘だったということは、前にふれました。官兵衛の祖父ということですが、掃部から見ると正風は曾祖父でした。

直家の織田方への寝返りを誘うのに官兵衛が成功したのには、そうした密やかな氏族間を通 してのつながりも、影響があったと考えられます。

もう一点、宇喜多直家と官兵衛の接点を挙げると、直家の父・興家と官兵衛の曾祖父・高政の墓が、いずれも備前福岡の妙興寺に並んであるということです。

宇喜多直家と官兵衛の関わりは、二世代ほどさかなぼることができるのかもしれません。

備前妙興寺山門(岡山県瀬戸内市長船町福岡)

備前妙興寺山門(岡山県瀬戸内市長船町福岡)

妙興寺の宇喜多直家の父興家墓所

妙興寺の宇喜多直家の父興家墓所

同じく妙興寺の官兵衛曾祖父・黒田高政墓所

同じく妙興寺の官兵衛曾祖父・黒田高政墓所

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つづく





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