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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

本当の高松城水攻めは官兵衛じゃなくて秀吉の思い付きだった【軍師・黒田官兵衛百物語46話】

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佐柿弥右衛門常円という、羽柴秀吉の近くに、日頃、控えていた家臣がおりました。具体的な役職は不明です。秀吉が馬場で馬慣らしを行う時などは側にいた、などと、本人の回顧談が伝わっています。

常円は江戸時代に入ると、池田家岡山藩領に住み、百歳の長寿を全うしたそうです。

その常円からの聞き語りを、岡山藩士の村瀬安兵衛がまとめた「備前国人佐柿常円入道物語」という書があり、なかに、備中高松城水攻めの際の堰堤建設についての報告があります。

高松城水攻め堰堤跡断面。左側に立つステンレス製ポール頂点が当時の最高水位

高松城水攻め堰堤跡断面。左側に立つステンレス製ポール頂点が当時の最高水位

当時従軍した証言者は語る

備中平野を、北から南に流れ下ってくる足守川を、東西の位置で挟む丘陵の あいだに堰堤をつなぎ、高松城を湖水に浮かべてしまうという作業は、高台から高松城を見下ろしていた秀吉が「誰でもよい、ついて参れ」と発した一言から始まったと常円は語っています。秀吉の急な思いつきの言葉に、その時、従ったのは7、8騎。なかに常円がいたのです。

高松城の水攻めについてふれる書は、「備中高松記」「清水長左衛門尉平清水宗治由来覚書」などの他にも、多々、ありますが「備前国人佐柿常円入道物語」にみる堰堤建設の物語は、当事者の証言だということです。

さて、秀吉は、7、8騎をひきつれ高台を駆け下ると、細竹を用意させ、足守川の河原を中心に、高松城を挟む丘陵との間に点々と立てさせ、今から築く堰堤の目印としたのです。

先週の大河ドラマでは岡田官兵衛が、軍議の場に高松城周辺の模型を持ち出し、水攻めの策を説明する場面がありました。高松城水攻めの策は官兵衛の発案だというわけです。

史実は秀吉によるものなのです!

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小和田哲男著「黒田如水」では、この築堤工事について官兵衛の献策と従来されてきたが、そのことを証明する史料は見つからない。姫路育ちの官兵衛よりも、木曽川を見て育った秀吉、蜂須賀小六らによる本能的な直感から生まれた策だろうと、まとめられています。

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つづく




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