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宗湛が本能寺から持ち出したと伝えられている「重要文化財・伝牧谿「遠浦帰帆図」(南宋時代・13世紀/京都国立博物館蔵)

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

燃える本能寺から名画を救出した官兵衛茶友達 軍師黒田官兵衛百物語52話

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神屋宗湛(そうたん)という、黒田筑前入府後の官兵衛晩年の茶友達がおりました。秀吉が全国統一したあとの慶長年間のことになりますが、官兵衛は福岡城の西に広がる草香江と言う入り江の対岸にあった黒田家別邸の茶室で、その宗湛とたびたび茶会をもっております。

宗湛は、秀吉による島津征討のための九州平定戦や、朝鮮出兵時の兵糧や弾薬の調達に、堺の今井宗久と分担してあたった筑前博多の豪商だったのです。

時代は天正年間へと戻り、その宗湛は、1582年6月信長が襲われた本能寺に泊っておりました。
本能寺の変の前日には、信長は茶会を開いていたという話しはよく知ら れおります。公卿や、京畿の大商人を招いての、その日の茶会は、信長自愛の名物茶器が並べられての綺羅を飾った茶事となりました。
明けて、6月2日の夜明け前には、明智光秀の裏切りによつて、その生涯を閉じるわけですから、なんとも雅な一日を最期に、信長は生を終えたとも例えられます。

さて、筑前博多からは、宗湛の兄貴分の豪商・島井宗室も、その運命の茶会に呼ばれていたということです。信長が宗室を招いたのは、宗室所有の名物の肩衝「楢柴肩衝」を召し上げるため、と云う、こちらもまた雅な話しになっています。

楢柴にならぶ名品といわれる初花(東京国立博物館HPより引用)

 

筑前博多の豪商二人が信長の生涯の最終夜に付き合ったというわけです。
ものの書によると、時ならぬ攻め手・明智軍の鬨の声に目覚めた二人 は、信長愛蔵の茶道具のうち宗湛が宋の禅僧牧谿の「瀟湘八景・遠浦帰帆図」を、宗室が現在国宝として伝えられている「伝空海・千字文」を持ち出し、信長に仕えていた黒人の弥助の手引きで南蛮寺へと逃れたとのことでした。

宗湛が本能寺から持ち出したと伝えられている「重要文化財・伝牧谿「遠浦帰帆図」(南宋時代・13世紀/京都国立博物館蔵)

宗湛が本能寺から持ち出したと伝えられている「重要文化財・伝牧谿「遠浦帰帆図」(南宋時代・13世紀/京都国立博物館蔵)

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