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フスタ船(Wikipediaより)

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語67話】秀吉の伴天連追放令と官兵衛に助けを求めたイエズス会

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歴史の教科書にも出てくる有名な秀吉の伴天連(ばてれん)禁止令は、九州征伐後に福岡市の箱崎浜での凱旋滞陣半ばの天正十五年(1587)6月20日に発せられました。細かくいうと、前日19日付けの宣教師の国外追放を宣言する「伴天連追放令」と呼ばれることになる五ヶ条からなる「定」を20日に布告しました。

来日していた宣教師ルイス・フロイスが著した「当時の日本ルポ」と言える「日本史」によると、「伴天連追放令」を布告することになる、その日の昼下がりまで秀吉は箱崎浜に滞在していたイエズス会副管区長のコエリョやポルトガル艦隊司令官ドミンゴス・モンテイロらと友好的に接していたといいます。

そのあまりにも突然な豹変の理由に秀吉が目をつけていた女性 が、たまたまキリシタンで言ことを聞かなかったからだ、などということも言われています。

ヨーロッパの武装船を見てキリスト教排除の心固める

フスタ船(Wikipediaより)

フスタ船(Wikipediaより)

実際は、元々、宣教師達の活動に領土的野心があると疑っていた秀吉の前に、「フスタ」という型の小型武装帆船にコエリョが乗って現れたことが引き金だったのでした。

コエリョが秀吉を訪問した目的は、島津軍の侵攻によって焼け野が原になった箱崎浜の西に位置する交易都市博多の津中にあった、教会の再建などをはじめとした秀吉への請願でした。長崎の平戸から海路をとり箱崎浜の秀吉の前に現れるのですが、その時にフスタ船に乗ってやって来たのでした。

かねてポルトガルの軍船を見ておかねばならないと考えていた秀吉にとっては良い機会でした。秀吉はコレリョに命じてフスタ船に乗り込み 、箱崎浜から博多津まで回航させると、甲板上に据えられた6門の大砲の仕組みはもちろん、船底の倉庫までつぶさに見て回ります。

海上を軽快に動き、機動性を見せる武装小型船は百戦を経た秀吉の軍事的感性を強く刺激し、充分以上に「伴天連追放令」布告の理由をこしらえてくれたはずです。

コレリョが秀吉に対してフスタ船を見せてしまったことによって予想されるキリスト教会への危難を予想し、キリシタン大名の高山右近と小西行長はコレリョに対して「この船は元々アナタに献上するために乗ってきた」と秀吉に譲ってしまえ、さもなければイエズス会に大きな災難が降りかかると強く忠告します。

もしもフスタ船の秀吉への献呈が「伴 天連追放令」布告を阻止する結果を呼んだかというとはなはだ疑問ですが、コレリョは二人の忠告を容れることなく「伴天連追放令」は布告されます。

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官兵衛に助けを求めるイエズス会

既に述べましたが、宣教師側の記録によると官兵衛は「伴天連追放令」布告の二日前に箱崎浜に入っています。

「伴天連追放令」布告後、コレリョは官兵衛の元へ転がり込み、イエズス会に友好的な諸候に対して、宣教師の国外追放について秀吉への取りなしを頼むことを内容とした書簡の送付を仲介してくれるよう懇願します。

官兵衛は、このコレリョの頼みにに対して時期尚早としてあっさり断り、託された書状を手元に留めてしまいます。

官兵衛は、秀吉が「宣教師を追放してもポルトガルとの あいだの交易は続けたい」と思っていると見ていました。商船の活動に絶対的な影響力を持つ宣教師の追放が交易の断絶を招くことに時を措かずに気づき、政策を転換するだろうとの読みがありました。事実、その後の秀吉は追放を免れた宣教師の国内潜伏と再入国を黙認し、ことは官兵衛の読み通りになっています。

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所領を捨てた高山右近と参謀にとどまった官兵衛

コエリョは、その後、肥前日野江城主(長崎県)の有馬晴信に対して武器・弾薬を提供して援助するから関白秀吉を討つ軍を起してくれなどと、そんな話を聞いたというだけで首を刎ねられてしまいそうな危ない話をもちかけて弱らせています。

現代までもローマ法王庁に詳細な記録となって遺され伝えられている、筑前箱崎浜で引き起こされた世界史的な事件。
キリシタン大名の高山右近は、秀吉が「伴天 連追放令」を布告するとともに、みせしめとして己に棄教の強要を行うのに対して、断固拒否。所領を捨て、その後は一介のキリスト教徒として生きるという劇的な道を選び、加賀藩の金沢へと向かいました。
対照的に官兵衛は秀吉の参謀としての立場とキリスト教の守護者としての立場を巧みに利用し、ことが最前の方向へ流れていくよう対処したのでした。

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Frco Don・記

目の覚めるようなイケメンですが、マイペースすぎて意味不明な人です

右近「金沢でカニでも食べていきるか」(絵・霜月けい)





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