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官兵衛、長政、危ない刑事の黒田3代(左から、絵・霜月けい)

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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師黒田官兵衛百物語75話】44歳で官兵衛が隠居した本当の理由

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豊臣秀吉が御伽衆との間の会話で、自分の次に天下を取る者は官兵衛だと話したのを聞き、自分に天下を狙う野心があると余計な疑いを秀吉から受ける事を警戒して官兵衛は44歳で隠居したという挿話があります。
しかし、隠居し家中のことを長政に任せ、自分は関白秀吉の軍師(参謀)としての職に集中するためというのが、事実としての理由です。小田原攻め・朝鮮兵出兵と、その後も、以前と変らず軍師として秀吉に重用されていることが何よりもの証しです。

早い年齢での隠居は黒田の家風でもありました。

官兵衛は22歳の時に43歳の父職隆から家督を譲られています。祖父重隆は37歳で隠居します。職隆21歳の時でした。
先代が若く隠居し家督を譲ることで、次代を見守りながら世代継承を行うという伝統が黒田にはあったようです。

官兵衛、長政、危ない刑事の黒田3代(左から、絵・霜月けい)

官兵衛、長政、危ない刑事の黒田3代(左から、絵・霜月けい)

他の戦国大名と比べても、特に、めずらしいことではありません。
織田信長が嫡男・織田信忠に家督と岐阜城を譲り、隠居の形をとったのは天正四年(1576)のことで、官兵衛よりも2歳若い42歳の時のことでした。
北条氏康が五代氏直へと家督を譲り、隠居となったのも42歳の時です。大友宗麟は32歳で隠居しています。

官兵衛の隠居は、天正十年に15歳の長政が備中高松城攻めでの初陣を果たして後、7年が経った時期でした。頃合いだな、と官兵衛は思ったのです。

Frco Don・記

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74話「スクープ!信長をうならせたのは官兵衛でなく柴田恭兵(父)だった?【黒田官兵衛百物語74話】」はこちら

豊前中津城石垣。向って右側の石組みが黒田時代。左は関ヶ原の合戦後、豊前の領主となる細川氏時代の石組み(筆者撮影)

豊前中津城石垣。向って右側の石組みが黒田時代。左は関ヶ原の合戦後、豊前の領主となる細川氏時代の石組み(筆者撮影)





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