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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

黒田如水の墓誌を書いた僧「景轍玄蘇」の変幻自在の外交がすごい【軍師黒田官兵衛百物語83話】

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朝鮮出兵という舞台の一幕に忘れることができない景轍玄蘇(けいてつげんそ)という日本人の外交僧の名があります。
朝鮮出兵時、半島では秀吉の首級に高額な賞金が掛けられたそうですが、同額の賞金が掛けられていたという話が伝わっている人物です。
現在の福岡市博多区千代町にある黒田家の菩提寺・崇福寺の官兵衛墓碑には三千文字の碑文が刻まれています。玄蘇によるものです。

官兵衛の墓碑をびっしりと埋めた景轍玄蘇撰文の三千文字の墓碑銘(筆者撮影)

官兵衛の墓碑をびっしりと埋めた景轍玄蘇撰文の三千文字の墓碑銘(筆者撮影)

玄蘇は筑前・宗像大社の大宮司であり領主だった宗像氏傘下の国人衆・河津氏の出です。その関わりは官兵衛が島津征討戦で九州へ下向後のことだと思われます。宗像の家臣団は、官兵衛の九州渡海の初めから味方についています。以来、墓誌を書く程までに関わりを深めたのでしょう。

朝鮮出兵時の玄蘇は、対朝鮮、対明国交渉の責任者を秀吉から命じられたいた小西行長の幕営にあって、事実上の交渉官の役割を果たしていました。記録に残るだけでも、三度の交渉に臨んでいます。

秀吉が朝鮮王朝に対して、「明国へ攻め入るのに道案内を勤めよ」と要求をつきつけるのに、「日本軍が攻め上るのに、明国への道を貸してくれ」と、言い方を変えて交渉を行うなどの事実があります。

玄蘇の外交経験は、朝鮮出兵の12年前にあたる天正八年(1580)に対馬当主・宗義調(よししげ)に招聘され、初めて朝鮮へ使いをして以来の実績があり、そうした際どい外交を展開する凄みがありました。

官兵衛との関わりは、墓誌を案文したという他には確かめられるモノはないのですが、秀吉をも騙しての交渉を平然と行う策士ともいえる外交官との間に、似た者どうしとしての好感を官兵衛は感じていただろうと想像するところです。

Frco・Don記

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