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名脇役

脇坂安治とは? 関ヶ原で徳川を選び、賤ヶ岳七将で唯一幕末まで家名を残す

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大阪人が京都へ遊びに行く時、よく利用するのが京阪電車です。淀屋橋から出町柳まで特急が走っています。

銀閣寺、祇園、八坂神社、清水寺、さらには比叡山など京都の主要観光地には大変便利な鉄道なので観光客でいつも賑わっていて、途中宇治川を渡りますが、そこでこの特急が停車します。

駅名は中書島。

ナカショジマ???いえいえ、「ちゅうしょじま」です。

中書島駅/Wikipediaより引用

 

なんとも訳が解らない珍しい名前ですが、由来は400年前の戦国末期にさかのぼります。

安土桃山時代の後半、伏見城周辺に諸将が住居を構えたのですが、配下の脇坂安治が住んだ屋敷が宇治川の島のような中州にありました。この時、安治の豊臣政権下の役職は中務少輔(今で言う文部科学大臣か)で、中国名では中書と呼んだことから、「脇坂中書さま」という別名が付き、屋敷の一帯を中書島と呼ぶようになったのです。

脇坂安治(通称「脇坂陣内」)は賤ヶ岳七本槍の一人で、脇坂家は大名として七本槍で唯一、明治維新まで繁栄した大名家です。脇坂家のおいたちから安定までの変遷をまとめてみます。

 

滋賀出身から秀吉の七本槍として頭角

安治の父の代で姓を藤原から、土地名の脇坂(滋賀県)に変えたと言われておりますから位のあった家系かもしれません。

滋賀県長浜市小谷丁野町の脇坂甚内安治屋敷跡(脇坂安治生誕地、Wikipediaより)

初めは地元の浅井氏に仕え、浅井氏滅亡後は織田家に仕え、明智光秀の配下となりました。光秀の丹波奪取の戦いで功を挙げ、敵将から貂の皮の槍鞘をもらったという逸話があり、江戸時代にもこの貂の皮が登場することになったようです。

その後、羽柴秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いではめざましい活躍をして標題の七本槍の一人として全国的な有名人となったわけです。この時、秀吉から山城(京都)に3千石を拝領、さらに小牧・長久手の陣では、伊勢・伊賀方面で滝川一益勢と戦い伊賀上野城(三重県伊賀市)を攻略し、戦功を挙げ、洲本(淡路島)3万石を拝領しております。

この洲本以降、安治は水軍を指揮する将として戦に出ております。九州征伐では大友宗麟に兵糧を届け、小田原征伐では海上から伊豆下田城を攻め落としています。

文禄慶長の朝鮮の役では主に水軍として活躍し、幾度もの大きな海戦を経ております。日本よりも韓国の歴史ドラマで、この時の脇坂安治が大きくとりあげられております。韓流ファンはご存知かもしれませんね。

 

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秀吉の死後に家康につく選択。関ヶ原の裏切りも最初から

さて秀吉死後はどうなったのでしょうか。答えは「徳川についた」です。これが第1の岐路でした。なお、関ヶ原で西軍についた他の七本槍の二人はここでお家断絶となっております。

家康の会津征伐では息子安元を参陣させようとしたのですが、石田三成らに妨害されました。関ヶ原では西軍で小早川秀秋の裏切りをおさえる位置にいたのですが、かねてからの手筈どおり東軍に味方しました。

戦後は当初からの味方として所領安堵となっています。その後1609年に大洲(愛媛県大洲市)5万3千石を拝領することになります。1615年の大坂の陣では息子安元が参戦しております。前線で豊臣方と戦った記録があります。安治(陣内)はその年家督を安元に譲り、京に移り1626年そこで没しております。

 

子がいない=断絶? 逆手にとって生き延びる

脇坂家は徳川政権ではもちろん外様大名でした。安元は他の外様大名の消長を見て不安を覚えたのでしょうか、自分に子がないことを逆に利用し、当時老中でもあった名門譜代大名の堀田氏から養子を苦心してもらい受けたのです。これが第2の岐路となりました。

他の賤ヶ岳七本槍でも、関ヶ原において東軍につき、以降徳川政権で領地を拡大した将も複数おりましたが、時代がすすむにつれて、江戸幕府からなんだかんだと難くせをつけられ結局は領地没収、改易となったのでした。

脇坂家は以降、大洲→飯田(長野県)→龍野(兵庫県たつの市)と本拠をかえながら「願い譜代」(準譜代)大名(のちには正式な譜代大名)として明治維新まで続いていくことになります。

 

龍野城の埋め門(Wikipediaより)

以下余談を二つほど。

江戸時代有名な参勤交代では、脇坂家が目立っていたそうです。庶民の間では、足軽が持つ槍の鞘には、あの貂の皮がかぶせてあったそうで、すぐに「ああ脇坂家だな」とうわさしていたとか。司馬遼太郎短編集にユーモラスに記述されております。

さらに、江戸時代元禄期のあの赤穂浪士事件に先立つ赤穂城の接収は、隣接する龍野藩の重要任務となりました。藩主脇坂安照の代でした、4500の大軍で事に当たったという記録が残っています。忠臣蔵の前篇で登場してきますので、興味ある方はご注目ください。




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