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黒田官兵衛百物語 黒田家 名脇役

【軍師官兵衛百物語100話】病となった如水が旅に出た理由とは?「武士は家で死なず」

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慶長八年八月。官兵衛は病を押して、筑前から上洛します。そんな官兵衛に宣教師が「なぜ、今、無理をして旅に出るのか」と問うのに「サムライは自邸では死なないものだ」と応えたのだそうです。

上洛した官兵衛は、一旦、京都・伏見の藩邸に入りますが、十一月になると有馬温泉へ療養のために転地。そのまま新年を迎え、三月二十日に戻った伏見邸で息を引き取ります。59歳でした。

黒田菩提寺・崇福寺(福岡市博多区千代町)の官兵衛墓碑

黒田菩提寺・崇福寺(福岡市博多区千代町)の官兵衛墓碑

死が近くなると官兵衛は、家臣が自らから離れ、より長政を慕うように家臣を罵倒し 、嫌われるように振る舞ったことや「十日辰の刻(午前八時)に死ぬだろう」と予言したなどという馬鹿げた話のいくつかが伝えられています。

宣教師の報告では、死期を悟った官兵衛は告解をしたいと神父を呼ぶよう周囲に望んだということです。周囲というのが長政のことか栗山利安のことだったか、正室・光姫だったか、それはわかりません。

藩主の父親が、地元の筑前でのことならいざ知らず、都の屋敷で神父が看とるなか息を引き取ったとなると、ただ事ではすまないと周囲は思ったのか、神父は呼ばれませんでした。

それではせめてアニュスデイ・祈祷文(キリスト教では、信者それぞれに与えられる祈祷の文言があるそうです)とロザリオを持たせてくれと、官兵衛は望んだそうです。

官兵衛の死に合わせて博多に建設された教会堂に掲げられていたという聖母子像「雪のサンタマリア」(長崎ニ十六聖人記念館)

官兵衛の死に合わせて博多に建設された教会堂に掲げられていたという聖母子像「雪のサンタマリア」(長崎ニ十六聖人記念館)

官兵衛は、死に臨んでも、生と同様に質実、朴実、そして現実の道を採ったのでした。
辞世は「おもひおく言の葉なくてついに行く道はまよわじなるにまかせて」と詠んでいます。
稀代の軍師、参謀たる官兵衛は鞘を払えば切っ先鋭い名刀となり、求められれば、怪しげな光を見せる妖刀にも化けました。名刀は、寸分の揺らぎも見せず信長、秀吉、家康と、天下の使い手を知り、三者三様の太刀筋のままに、その煌めきと切れ味を見せたのでした。(完)

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