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吉田松陰と松下村塾

久坂玄瑞の発言力が増す長州藩 攘夷決行までの足取り【吉田松陰と松下村塾百物語15話】

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井伊直弼暗殺後、徳川斉昭、慶喜など攘夷派の指導者が相次いで復権。一方、老中・安藤信正が、それまでの幕府を中心とした強硬策から、朝廷との関係を深める方向へと路線の転換を図ります。

朝幕一和策と呼ばれる信正の路線転換の象徴が、孝明天皇の妹・和宮と将軍・家茂との婚儀、いわゆる皇女・和宮降嫁の実現でした。

当初、降嫁に強硬に反対していた孝明天皇でしたが、万延元年(1860)10月18日に幕府が攘夷実行を約し、外国船を打ち払うことを条件に勅許を下します。

文久元年(1861)10月に和宮が東下すると、翌文久二年1月15日に信正は、和宮降嫁は幕府が朝廷を利用するものだとする水戸の浪士によって襲われ失脚。

婚儀は同年2月に予定通りにおこなわれる一方、11月に至り、非現実との考えから引き延ばされてきた、攘夷について勅旨に従えことを幕義で決定。翌文久三年、家茂が三代将軍・家光以来229年ぶりの上洛をおこなうと4月20日には、攘夷実行期限を5月10日と上奏します。

長州藩内では開国論の「航海遠略策」を幕府に具申し容れられていた長井雅楽など、開国派が安藤正信の老中職からの失脚とともに、攘夷派公卿とのつながりを強め、朝廷において存在感をました久坂玄瑞を中心とする攘夷派に主流の立場をとってかわられます。なお長井雅楽は直目付職から罷免され、遂 には自決に追いこまれます。

長州藩は前田、角田、杉谷など14ヶ所の砲台に藩兵・諸隊をあわせて約千の兵力と丙辰丸、庚申丸の帆走軍艦、蒸気商船に大砲を搭載した壬戌丸、癸亥丸を係留し関門海峡を航行する外国艦船に対して砲撃をおこなうべく5月10日を待ちます。

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FrcoDon・記

山口県下関市みすも川公園の復元されている長州藩の砲門©Yuzi Kikutake

山口県下関市みすも川公園の復元されている長州藩の砲門©Yuzi Kikutake

 

 





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