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吉田松陰と松下村塾

雲行き怪しい長州藩 対岸小倉藩との軋轢から京洛敗退まで【吉田松陰と松下村塾百物語17話】

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眼前で砲撃戦を展開するのに、傍観の姿勢をとる小倉藩に対して長州藩は、仏艦キャンシャンへ攻撃を加えた翌日の5月24日に使者をたて、外国艦船への攻撃に加わるよう求めます。攘夷実行がなければ朝廷に訴えると、脅しもします。

小倉藩は、攘夷の実行期限が迫るにあたって、単に航行する外国艦船、無害通行の艦船については攻撃を加えず、とする幕府の方針を確認していました。
また、勅令は国政を総覧する幕府に発されるもので、諸大名への通達は幕府を通しておこなわれるものとして、攻撃の開始は、あくまで幕府による開戦命令のもとにおこなうも のだとして申し入れを拒否ます。

都では6月6日に伝奏(朝廷における連絡・広報係)に小倉藩京都留守居役が呼び出され、攘夷即刻実行の勅命が下されました。
ここでも留守居役はあくまで、諸藩は幕府を介して勅命を受ける立場だとする一方、幕府に勅命撤回の申し入れを朝廷に対して働きかけるよう申し入れます。

 

6月13日には「攘夷を実行し苦境に落ちいる隣藩・長州への支援をせよ。皇国の危急を識り自藩他藩の別なく危急出兵せよ」と、より具体的な内容をもつ勅命を留守居役は受けます。

同日、小倉本藩には長州藩からの使者が訪ね、不参戦は夷狄への利敵行為であり後世どう評価されるものか、神州日本の恥であるとの皮肉くった上、小倉藩領内を適宜借用 し外国艦船を挟撃することで攘夷の実効を高めたい、また、外国艦船攻撃にともない、わが方砲弾の小倉藩領内着弾もあることを予め断っておくと通達します。

当然のこととして小倉藩は領内地の貸借を断り、誤射による領内への着弾なきよう強く申し入れをおこないます。

20日。こうした小倉藩側の反応に対して高杉晋作は実力行使に出ることを決断。奇兵隊士約110名を小倉藩領に上陸させ田野浦を占拠します。実力をもってする長州の出方に対して、小倉藩内でも実力をもって対抗するべしとの強硬論もありましたが、外国を相手にした全面的な戦争に発展する可能性がある状況のなかで、国内内乱の引き金になる動きは避けるべしとして、事実を幕府へ報告するにとどめ、静観します。

小倉藩は筑後久留米藩に対して参勤交代の便にと大里に船屋敷地を提供していました。その船屋敷地に砲台を建設し長州の動きに呼応したいと久留米藩から申し入れを受けるということもこの時期にありました。久留米藩は神官で藩士の真木和泉守の指導によって、長州に同じく急進的な攘夷思想で藩論を統一していました。

長州、久留米の両藩への対応に小倉藩が苦慮する同時期に勅使・正親町公董(きんただ)が攘夷視察を名目に西下します。公董は小倉に至るとこれまでの小倉藩の行状を責め攘夷実行を迫ります。

第二次長州征伐戦で自焼する小倉城。ただし、長州征伐戦時には天守は既になかった。

第二次長州征伐戦で自焼する小倉城。ただし、長州征伐戦時には天守は既になかった。

7月16日。勅使による直接の叱責に屈した小倉藩政府は遂に攘夷実行を誓うことになります。
同日、奇兵隊は 、接収した田野浦の茶屋・藩主別邸に公董と長州藩主世子・毛利定広を迎え砲門の試射をおこないます。18日には大里の久留米藩船屋敷地の砲台で試射がおこなわれ、小倉藩領沿海部は他藩軍事活動勝手次第という前代未聞の地となってしまいます。

7月23日には、幕府の意向を長州へ伝える名目で関門へ入った幕府軍艦・朝陽丸を長州・小倉両藩砲台から砲撃するという事件が引き起こされます。
長州藩は砲撃を加えた同艦艇を拿捕。借用するとし、長用丸と改称。幕府との調整で乗艦していた小倉藩士・河野四郎、大八木三郎右衛門は艦内で自刃。幕府役人二名は長州内の止宿地で斬られます。

幕府はこの事態に対して、小倉藩には領内の長州兵占拠地奪還を命じ、福岡・中津・広島の三藩に対しては長州本支藩と小倉藩のあいだで衝突が発生した場合には小倉藩を支援するよう命じます。

緊張が高まるなか長州兵3000が城下に上陸すると、うわさが立ち小倉城下が騒然とする8月18日。毛利定広、支藩長府藩主・毛利元周が田野浦へ上陸。試射が再びおこなわれました。

同日、都では三条実美らの攘夷急進派公卿の謹慎・参内停止、長州藩の堺町門警衛解任を密かに決するいわいる「八.ー八政変」が生起します。
長州藩兵は、攘夷派七公卿とともに京洛を脱し本藩へ退きます。

 

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FrcoDon・記

幕府目付役の位置にあった小倉藩と、攘夷の先鋒を走る長州藩の立場が衝突した関門海峡。

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