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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第43回「輝きののちに」】
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双寿丸も大宰府へ向かう
「俺、来年、大宰府に行く」
双寿丸が賢子に告げました。
なんでも殿である平為賢が、隆家について大宰府に行くのだとか。
武者として武功を立てるというと、賢子が一緒に行くと言います。女は足手まといだとして、都で婿を取って幸せに暮らせと突き放す双寿丸。
双寿丸のいないところに私の幸せはないと食い下がるものの、賢子は衝撃を受けています。ご飯を食べに来ていただけなのかと問われ、双寿丸はあっさり認めます。
飯を腹一杯食べる。その価値が二人は違います。
双寿丸は妹みたいな顔を見ているのが楽しかったようで……捨て子である彼は身寄りがなく、知らない家庭の温かみが心地よかったのですね。
「ありがとう」
心底そう告げる双寿丸。賢子は再度、一緒に行くと訴えますが、やはり断られてしまいます。
道中何があるかわからない。ダメだ。おじじ様と母上といとには改めてお礼を言いに行くと双寿丸が告げます。
そんな賢子を見ているしかない乙丸。
まひろが琵琶を弾き、賢子が落ち込んでいます。
母の隣に座り、ふられたことはあるか?と尋ねると……「ある」と認めるまひろ。
そんな母に、双寿丸から「女は足手まといだ」と言われたと告げ、近い内に大宰府へ行くことを説明します。
武者は命を賭けるから、危ない目に遭わせたくないのだろう。まひろがそうフォローすると、ならばそう言えばいいのにと不満そうな賢子。
「男はそういう本音を言いたがらない」
まひろがそう説明します。
ただ、まひろの知る貴族男性はむしろ下劣な本音を隠す方向性で、武者とは逆にも思えますが……ともあれまひろは、失恋した娘に、泣きたければ私の胸で泣けと腕を広げます。
驚いて「できない」といいながら笑いだす賢子。
彼女は、双寿丸の門出を祝う宴をしたいと言います。せめて彼の思い出に残りたいと笑う賢子。よい考えだとまひろが賛成します。
こうして素朴な宴が開かれることとなりました。
太鼓を叩き、福丸が歌う。
ふたつにひたしき かしまだち
そう繰り返す福丸。
「死を恐れぬ者か……」
福丸に加わって踊る双寿丸を見て、為時が思わず言葉を漏らします。
微笑む賢子と、それを見守るまひろでした。
MVP:藤原実資と倫子
もうさんざん書いてきましたが、どうして道長はこんなに虚で、どうしようもないのでしょうか。
政治家としていかに下劣で浅はかで、成長してこなかったのか――今回、実資がビシバシと指摘していました。
それでも中国時代劇の世界観よりは優しい。日本ではまだ儒教倫理を政治に活かすことすら遠い時代ですので、こんなゆるいシステムにしかならないのでしょう。
源倫子は、夫の下劣さを見抜いていました。
振り返ってみれば、敦成誕生の「五十日の宴」では嫉妬を見せるだけの愛はありました。
それがもう全てマイナスに振り切っていて、決定的に道長を見限っている。
行成は、この二人よりも容赦があるようで、愛憎の入り混じった複雑な表情を浮かべています。
予告を見ると、今度は公任がバトンを受け取り「左大臣をやめろ」と道長を突き放すようです。
そこで「望月の歌」を詠ませるとは……道長がどれだけ幼稚で思い上がった愚か者だと突き放すつもりなのでしょう。
しかも、この道長像は嫌なリアリティがある。
私は前回のレビューで「道長は自己憐憫に酔いしれたどうしようもない奴だ」と突き放していました。今週は予測通りです。
政治家としても無能。
夫としても無情。
父としてもいやらしい。
一体この道長のどこに美点があるのか。
しかし、けれども、まだ道長に好意的な意見もありますよね。
私は人間を騙す手法を大河ドラマとその反応から学べるものだと感じ入っているところではあります。
冷静に考えると政治家として実績がなく、だらしなく甘えているだけの道長。
いい歳こいて、糟糠の妻を放置し、自分が甘えられる若い頃からの腐れ縁にすがる下劣さ。
そんな場面でも美しく演出し、情感たっぷりに描けばこうも人の心を動かすのですね。
玉磨かざれば光なし
人間は自分がずっと見てきて愛着を持った何かは庇いたくなるのかもしれません。
大手芸能事務所周辺でもそういう泣き落としがあったばかりではないですか。
かつて青春時代にハマっていたとか。利害関係にあるもの。こうした対象に、人間とはとことん甘くなるようです。
大河ドラマ序盤では登場人物の青春時代を甘く描くもの。そうして見てきた青春の輝きに、人は簡単に幻惑されるようです。
若い頃にハマったものを熱心に語り出し、陶酔する人はいます。
果たしてそうやって自分の青春トークを展開することはよいものなのかどうか。そこは冷静に考えたいところ。
そのうえで、今年は良心的であることも指摘しておきます。
こういう青春ドラマの手癖とノリを悪用したのが『花燃ゆ』『青天を衝け』『どうする家康』でした。
かつて読んだ漫画やドラマのような、昭和平成レトロなラブコメ描写をすると、一定数の視聴者がキュンキュンします。
SNSで投稿がバズり、それを集めてネットニュースにすればPVも稼げます。
そういう仕組みに鈍い層は、そうした現象だけ見て「面白いドラマなんだな」と受け止めます。
『花燃ゆ』は少女漫画風をあざといまでに狙い、「壁ドン」めいた場面までありました。
しかし不発に終わりました。
『青天を衝け』は、美男が青春コメディをしていればいいと言わんばかりの内容。
妻となる女性相手に屋外で告白タイムを展開したり(幕末であの階層では無作法)、やたらとラブラブキュンキュンした臭い演出が目立ったものです。
そのくせ、明治以降の経済政策はろくにやらない。
極め付けは最終回の「青春はつづく」でしょう。渋沢栄一の死後はアジア・太平洋戦争敗戦という日本史上最大の悲劇を迎えるのに何を言っているのやら。
『どうする家康』も、ナイーブさだのなんだの言い訳し、最終回に性懲りも無く瀬名を出してきて、ラブコメ調展開でした。
どれもこれも大人として、権力者としての責任を放棄し、幼稚な己に酔いしれる――そんな、くだらない展開に心底うんざりさせられたものです。
しかし今年は、むしろそうした幼稚な逃避と、手癖のついたラブコメ演出を毒として出してきている点が良心的に思えます。
人間は老いてゆくもの。
青春に耽溺するだけで一生を終えられるわけがないのです。
玉磨かざれば光なし――。
どんなに輝かしい青春を送ったところで、磨くことを怠れば光らなくなります。『光る君へ』は、青春に幻惑された結果、光らなくなっていく君を描いていてそこが良心的なのです。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
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【参考】
光る君へ/公式サイト





