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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」】
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官軍が京都守護を襲撃
承久3年(1221年)5月15日――京都守護の屋敷を官軍が襲撃し、伊賀光季は討ち取られました。
そのころ鎌倉では、三浦義村のもとに上皇様から使いが来て、味方になれと伝えてきたことを長沼宗政に打ち明けています。
宗政は帝の兵が攻めてくると理解しています。密命に従えばそうなる。命じられたのは義時追討であり、首を差し出せとのこと。
とはいえ義村は冷静さを保つように努めます。
焦ってはいけない。一つ手を間違えると命取りであり、まずは大義名分が必要だ。
すると上皇に呼び出されていた押松が京都から鎌倉にやって来て、上皇様からの贈り物があると笑顔を見せています。
なんと平知康ではないですか!
後白河院の寵臣であり、頼家のもとで蹴鞠を教えていたあの男が、18年ぶりに鎌倉へ来ました。
まぁ、死ににきたようなものですが……なぜこの地獄へのこのこ戻ってきたのだろう。
聞けば、鎌倉に詳しいことを上皇に見込まれ、この大役をおおせつかったとのこと。恐れ多くも後鳥羽院の院宣を持ってきているとか。
「戦の旗印になさいませ!」
まるで断られることなど微塵も思わず、ニコニコと満面の表情の押松。
君臣ともども、なんと脇が甘いのでしょう。真面目に戦をする気があるのか! そう言いたくなるほど緩い。
しかしこれが歴史の進化前なのかもしれません。
日本の歴史では、源平合戦も十年もしないうちに終わっていて、その程度の戦乱だとそこまで戦術は大きくがそこまで変わりません。密書を運ぶプロの忍びはまだ存在していない。
長い乱世が続くと変わります。武将たちは『孫子』「用間篇」でも読み漁り、賢くなるのです。
義時の耳にも、上皇挙兵の報告が届きます。
4日前の挙兵であり、京都守護の館が落ちたと知ると、朝廷軍が攻めてくると焦っています。
一方、三浦義村は、やや鼻息荒く得意げに、上皇様の院宣が届いたと宗政に告げています。
院宣さえあれば御家人は従う。すぐに兵を整えるとのこと。しかし……。
「実は俺のところにも届いた」
なんだかものすごく間抜けな話になってきましたね。
押松は義村だけでなく、他の御家人も回っていたのです。念の為に義村と宗政の院宣をつきあわせると、内容はほぼ一致。
義村のプライドが音を立てて砕けるようで、嗚呼、こういうところが見たかった!
彼は得意げな時よりも、プライドをへし折られた時の方がいい顔するんですよね。いい、実にいい!
「どうして俺よりお前のところへ先に行ったのか!」
「わからん」
もぉ〜、義村の屈辱は頂点よ!
三浦義村の生涯とは?殺伐とした鎌倉を生き延びた義時従兄弟の冷徹
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宗政は素朴なので、院宣の意味や義村の屈辱を理解できていないんだな。
理解してねちこく突かれてもそれはそれで嫌だけれども、こんなシンプルな相手が先んじていたことにプライドはもうズタズタなのよ。
三浦が頼りじゃなかったのか?
北条と並ぶほどの一族は三浦だけじゃなかったのか?
弟の三浦胤義まで使って工作しておいてこのオチか!
さすがに義村の精神もへし折れたんじゃないかと思いますね。モチベーションが尽きたかもしれない。
それにしても後鳥羽院は、人をたぶらかすのが源頼朝よりも下手ですね。
石橋山の戦いに敗れ、再起を図ろうと兵を集め始めたとき、馳せ参じる坂東武者に対し
「お前だけを頼りにしているぞ!」
と臭い芝居をしていました。
むろん、あのときとは時代も変わっています。
数多の謀殺や陰謀がらみの事件が起き、坂東武者も以前ほど単純ではなくなった。
ゆえに調略をかけるにしても数に頼ればよいというわけでもなく、もしも後鳥羽院が、三浦義村だけに絞っていれば別の策が立てられたかもしれません。
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る。『韓非子』
【意訳】計画は機密を保ってこそ成功する。漏洩すれば失敗する。
「頼もしきは三浦殿じゃ……」
上皇様が鎌倉に攻めてくるのか?と政子が焦っています。
京都守護を討ったからにはそうだろうと答える泰時。
大江広元は、かつて平家討伐を求めた後白河院のように院宣を出していると見抜いています。
そこへ遅れてやってきた義村が、北条追討の院宣を差し出しました。
忠義を褒める政子。義村はあくまで北条に忠誠を尽くすといけしゃあしゃあと言い切ります。
「頼もしきは三浦殿じゃ……」
義村が政子から誉められると、すぐ隣では宗政が「ずりーーーー!」という顔になっている。清水伸さんが実に素晴らしいですね。
案の定というか、宗政が院宣を出すと、なぜもっと早く出さないかと政子に軽く叱られてますからね。
広元は冷静に、三浦殿のように忠義のある御家人ばかりではないと指摘すると、義村は、院宣を持ってきた奴は我が館にいると、またポイントをそつなく稼ぎます。
報告を終えた義村たちが廊下へ出ると、宗政はずるいと責めたてます。
それでも義村はまだ諦めていない様子。
彼としては、自分のミスでやっちまったわけじゃないし、上皇様がこんな間抜けだとは思わなかっただろうけど、そこは仕方ない。
当初の目論見と比べたらずいぶん獲れる魚は小さくなったけど、せっかくだから獲っておきたい――そんなところでしょう。
最後まで、ぶれませんね。つくづく根性が悪いというか、ただただ計算高い。しかしそこが素敵です。
そしてそんな義村のポイント稼ぎのために、押松が犠牲になります。
ご飯をモリモリと食べ「鎌倉はいいなぁ」とか呑気に食事を楽しんでいると、突如現れた御家人たちに両脇を抱えられ、連行されてゆきます。
吐かせるだけ吐かせたら、人生は終わることでしょう。鎌倉なんかに来たのが悪かった。
夫である義時の異変に気づいたのでしょう。
京都で何が起こっているのかとのえが焦りながら問い詰めています。
「兄は見殺しにされたのですか!」
しかし義時はそっけなくあしらい、次男の北条朝時と共に奥へ。
二階堂行政も、婿殿はこうなることがわかっておったのかと憤りを感じています。
「ゆるせませぬ!」
ここにもプライドがへし折られた女が一人います。のえは京都が好きです。兄が京都のいることは誇りだったことでしょう。
その京都で兄が討たれてしまうなんて……執権の妻という地位にまで上り詰めていたのに、それを防げなかった!
のえは燃えている。瞳には黒い炎が宿っていて、なんとも凄絶です。
ここで義時が足を止め、のえを労り、優しい言葉を掛けていたら運命は変わったかもしれない。
しかし義時は踏み間違った。
上皇との戦いでは正解を選べるのに、妻との対峙では間違いばかりを選んでしまいます。
泰時たちに覚悟を告げる義時
上皇から御家人たちへ送られた院宣――義時が眼の前に並べ、時房と泰時を呼んでくるよう朝時に伝えます。
院宣は全部で8名分。
驚くべきことに、北条時房宛のものもあり、後鳥羽院は北条を直接揺さぶるつもりだったのでしょうか。
あるいは蹴鞠で通じ合えたと勘違いしたか。
その真意は不可解ですが、もしかしたらこれも時房の愛嬌がなせることかもしれません。
あんなにかわいらしく蹴鞠に付き合った時房なら、自分の味方をするかも……と後鳥羽院も考えてしまった可能性が。
「こうなったからには道はひとつ。上皇様相手に一戦を交えるしか道はないかと」
「官軍と戦うと言うか」
「鎌倉を守るためにございます」
泰時がキッパリとそう言い切りました。
母の八重を思い出します。迷ったようで覚悟を決め、北条の館に矢を放ち、挙兵のきっかけを教えたあの姿。
愛する者のためならば、矢を射る覚悟が彼女にはあった。あの一矢が歴史を、運命を変えた。泰時もそんな矢になろうとしています。
「お前は私と逆のことを考えるな……」
義時がそう言うと、時房は記念に院宣をもらいたいと言います。
呆れたように首を横に振る義時。トキューサよ、駄目に決まっているでしょ! 悪用されたら困るじゃないですか。
「戦はしないおつもりですか?」
「この院宣をよく見ろ。これは鎌倉に攻め込むためのものではない。私を追討せよという院宣だ」
「しかし……」
「太郎。私はお前が跡を継いでくれることを何よりの喜びと感じている。お前になら安心して北条を、鎌倉を任せることができる」
「どういう意味ですか?」
「私一人のために、鎌倉を灰にすることはできんということだ」
兄の言葉に驚く弟に、義時はこう言います。
「五郎。太郎を支えてやってくれ。次郎、お前もだ」
そして御家人に言い渡すという義時。その顔には、もはや安堵感さえ漂っています。
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しかし泰時は許さない。
「鎌倉のために命を捨てるおつもりですか?」
「戦を避けるには他に手はない。時がない、急げ」
泰時が戸惑っていると、義時は姉に会うと告げ、その場を退席します。
彼らのやりとりを聞いていたのえは肩を振るわせ、啜り泣きを堪えている。
義時はもう終わりました。死の覚悟ができたところで、のえという美しい死神の前を通り過ぎてしまった。のえはもう黒い衣を身に纏ってしまった。
死の覚悟を、自分よりも先にあの泰時に伝えた!
政村のことなんて全く触れなかった!
自分たち親子への愛が、気遣いが、一片もない!
私の人生は何だったのか?
せめてここで義時が立ち止まっていれば、政村を呼び寄せていれば、あるいは……。
平相国や義経、頼朝と並んだ
「なりませぬ」
姉の政子へ覚悟を告げると、尼将軍である彼女はきっぱりと義時に言います。
上皇様が憎んでいるのは自分。ならば私一人が京都へ行けば済む話だと淡々としている。
しかし京に行けば首を刎ねられてしまう。行ってみなければわからないと義時は返すものの、実際はそう思っていないとわかります。むしろそれが望みなのでは?
そんな兄の真意を見抜いた実衣は「気持ち悪い、一人でかっこつけている」と言います。
私も同じ意見です。かっこつけているだけではなく、もう燃え尽きているし、いっそ死んで楽になりたいように思える。
最終回目前の大河主人公が自滅願望に取り憑かれているなんて、驚くばかりですよ。
政子は納得しないのに、義時は陶酔し切って、これが執権としての最後の役目だと悟ったような表情を浮かべています。鎌倉を守るために他に手はないと。
頼朝から引き継ぎ、なんとかやってきた。多少手荒なことをしたけど、些かの後悔もない。
ここで実衣が「多少」ではない、「かなり」だと突っ込みます。その通りだ。
それなのに義時は、私を憎む御家人も多いから良い頃合いだと言います。あとは太郎に託す。
そう一方的に決心を伝えると、これから御家人たちと話してくると立ち去ろうとします。
もっと考えてと政子が訴えても、完全に自己陶酔しているのか、ろくに聞きもしない。
元はと言えば伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊が、その名を上皇様にあげられる。それどころか討伐のために兵を差し向けられる。
平相国平清盛
源九郎判官義経
征夷大将軍源頼朝
それと並んだと。
「北条四郎の小倅がおもしろき人生でございました」
そう去っていく義時。
「かっこよすぎなのよ」と呆れたように言い放つ実衣がありがたい。
本当に自己完結、陶酔していて気持ち悪い。
天命を甘く見ていませんか?
こんな格好つけて酔いしれながら死ねるほど、楽な運命が待っているのだと本気で思っていますか?
「大丈夫。かっこいいままでは終わらせません」
目を泳がせながらも、必死に頭を働かせている政子です。
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