いだてん感想あらすじ 大河ドラマ・朝ドラ他

『いだてん』感想あらすじ視聴率 第2回「坊っちゃん」

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今日も古今亭志ん生の出囃子から大河ドラマのスタート!

前回のオリンピック予選である金栗四三中村勘九郎)のゴールが映し出され、物語は明治へ。

若い頃の美濃部孝蔵(森山未來)にバトンタッチするとホッとしてしまいます。

ビートたけしさんのファンには申し訳ありませんが、どうしてもナレーターとしての聞き取りやすさの落差を感じてしまうのです。

【第2話の視聴率は12.0%でした】
西郷どん等、過去作品との比較は『いだてん視聴率』へ

 

戦争に恨みしかない熊本の住民たち

場面が変わって始まったのが、なんと西南戦争です!

金栗家のある熊本も、甚大な被害を受けました。
薩摩と違って熊本では、この戦争に対して恨みしかありません。

本作の官軍は横暴ながら、優しい振る舞いをして慕われた隊長もおりました。

元会津藩士・佐川官兵衛の西南戦争タイマン勝負!そのとき銃弾が胸を貫いた

熊本は西南戦争で、実に酷い目にあっているのです。

昨年の大河では、西郷隆盛らが戦争の合間合間でウェイウェイ楽しそうにしておりましたが、あの横暴さを跳ね返す緊迫感のある場面。
よくぞ補ってくれたとガッツポーズをしたいところ!

戦場の近くに、金栗家はありました。ここで四三が生まれたのです。

コレラなんかに罹患しなくてよかったね!
西南戦争では、地獄のような目に遭った現地住民も少なくなりませんでした。

西南戦争 リアルの戦場は悲惨そのもの~食は奪われ、死体は放置、全国規模で疫病広まる

 

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父・43歳の子だから単純に四三

家長の金栗信彦(田口トモロヲ)は病弱であったため、家業の酒蔵は潰れてしまいました。

四三はそんな父・43歳の時の子で、下から二番目。
そのため名前が「四三」です。

時代考証をすっとぼけた作家は、
『どんな親だって、我が子の名付けにはこだわるはず』
という考えになりがち。

しかし、それがそうでもないんです。
特に戦前ともなりますと、結構、淡白な名付けになったりします。

例えば阪急電鉄や宝塚歌劇団の経営で知られる小林一三は、一月三日生まれなので「一三」でした。

阪鶴鉄道で監査役を務めていた頃の小林一三/Wikipediaより引用

【関連記事】小林一三

戦前ともなりますと、妾を囲う男性も多かった。
今期『まんぷく』ヒロインの父もそうでしたし、『あさが来た』、『わろてんか』ヒロイン夫もそうです。

生田斗真さんが演じる三島弥彦。その父・三島通庸も同じく囲っております。

ちょっと気になるのが、弥彦と母・三島和歌子の関係性。年齢的にちょっと引っかかるんですよね。
妾腹の子を実子扱いしているのかな、と思ったりもします。

そういう明治の暗黒部分もやるのかなぁ。

「四三」という名前に戻りまして。

妾が多いと、子供も増える。
すると名付けなんてどうでもよくなる。そんな親もおりました。

明治時代の牛鍋王である実業家・木村荘平の場合なんて、荘太、荘五、荘七、荘八、荘十、荘十二……と、荘に生まれ順をつけただけですからね。

そういうところをすっ飛ばさない本作はエライ!
ベタな泣かせを使わないのです。

 

凝って名付けても死んじゃうかも

子供について、もっとシビアな話をしますと、当時はまだまだ乳幼児の死亡率が高い。

凝って名付けても死んでしまうかもしれない――そういう現実があるんですね。

乳幼児の死亡については、朝ドラはカットしがちで、『わろてんか』も『まんぷく』もそうでした。
戦前を扱う以上は、当時を知るためにも避けて通らないで欲しいのですが、昨年は、幕末大河もユルユルだっただけに、どうしようもないですね。

このころ美濃部家では孝蔵が生まれておりました。
後の古今亭志ん生になる美濃部孝蔵です。

こりゃまた、皮肉っちゃ皮肉な名付けですし、ルーツも感じます。

親孝行の「孝」の字。
親は武士として儒教を学んで、我が子にもそういう素養を身につけて欲しかったワケです。

生まれは神田。
父は、元徳川直参の旗本・美濃部戍行。
生まれも育ちも江戸っ子でえ、ってやつですね。

古今亭志ん生/wikipediaより引用

【関連記事】古今亭志ん生(美濃部孝蔵)

近頃、儒教に妙な難癖をつける風潮があるようですが、日本史を考えればトンデモナイ話で。

武士ならば、儒教は一般教養のようなものです。
儒教を学ぶ機会がない武士は、一段低く見られました。

儒教ってそもそも何なのか?荒くれ者にも優しく諭した孔子の教えと君子の道

美濃部戍行だってキッチリとそのあたりを学んだでしょう。

 

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嘉納も身体が弱かった

熊本で生まれた四三は、生まれながらにして病弱。
丈夫になってくれと、祖母スマは願っております。

このころ、病弱な子供は死への片道切符を手にしているような、そんなシビアな状況もあります。

江戸時代以前の乳幼児死亡率が異常なのはナゼ? 徳川家でも島津家でも子供は多く亡くなった

当時は、さすがに江戸時代よりマシだって?
いえいえ、明治時代の農村ともなれば、大差ありません。

しかし、それを克服する子供だっているわけです。

その一人が、嘉納治五郎です。

嘉納治五郎/wikipediaより引用

【関連記事】嘉納治五郎

嘉納は病弱で、喧嘩も弱い。
その克服のため、柔術に目を付けました。

当時、そんな嘉納は熊本におりました。
第五高等中学校(のちの熊本大学)に赴任していたのです。

小泉八雲や夏目漱石もいたという紹介もあります。

会津出身のこの人も、おりました。

秋月悌次郎(ていじろう)幕末の動乱を生き抜いた会津屈指の秀才 その生涯77年

小泉八雲は、彼を聖なる老人、神様のようだと絶賛したそうです。

というか、ですね。
なんで『西郷どん』より、『八重の桜』のほうがボタンをうまくつないでいるの……?

 

父・信彦は乗り気になり熊本まで40キロの道のりを……

金栗家は四男三女の七人兄弟です。

長男の金栗実次(中村獅童)は四三を心配しています。
繰り返しますと、当時は乳幼児死亡率が高いものです。

しかし実次は、
【病弱な四三を嘉納に抱かせて強くしよう!】
というスマの提案を断ります。畑仕事があって渋い顔を浮かべるんですね。まぁ、迷信ですからね。

しかし、父・信彦は俄然乗り気になります。
熊本市まで40キロ。
歩いて向かうというのです

そうそう、この移動が大事なんだ!!

ダメな歴史ドラマは、距離感がなくてホイホイと移動させます。
昨年の西郷どんなんか、まさにその典型で、江戸から薩摩まで謎のダッシュをしておりました。

きちんと歩いて、水を飲み、休む。そうそう、それでいい。

 

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ほとんど描かれなかった田原坂で休憩の親子

しかし、40キロは疲れますよね

箱根駅伝のコースを歩いたことがある――という編集さんは、成人男性でも一日30~35キロが限界だと申しております。

それを病身で40キロの負担は相当きつい。
信彦は重曹水を飲みながら、よろよろと向います。

重曹水っていうと、最近はお掃除エコグッズのイメージかな。
ここで父子は、田原坂を通過します。

もう今更語るのも嫌気がさしてきます。
昨年まっとうに田原坂の戦いをやっていれば、いいバトンが渡せたはず! チェストー!!

信彦は、ここで西南戦争の思い出話をします。

時代背景がわかっていいですね。
どうやら官軍から刀を要求され、大変だったようです。

これがあの、昨年大河で最初から最期まで絶賛されていた西郷どんの悪行が引き起こしたものですからね。
なにが民のためだったんだか。

西南戦争で大暴れした山川浩さん「んだんだんだ! ゆるせね!」

と、山川はさておき、会津と嘉納の間には関係があるっちゃあるのです。
昨年の大河が渡せないバトンを、せっかくだから拾いましょうか。

 

山川と嘉納は実は関係のある間柄

山川は西南戦争で指揮をした後、

元会津武士・山川浩の西南戦争がまるでマンガ! 凄まじき戊辰リベンジ

嘉納の前々任者として、東京高等師範学校の校長を務めておりました。

以下の記事に山川~嘉納の詳細がありますが、

東京高等師範学校(東京高師)とは?嘉納治五郎が育てた日本スポーツの礎

もう少しだけ触れておきますね。

山川の後、なぜ柔道家が校長になったのか。
それは東京高等師範学校が、知勇兼備・文武両道タイプを求めていたからでしょう。

ついでに申しますと、山川と並び会津藩家老であった西郷頼母の養子・西郷四郎は、嘉納の愛弟子です。

西郷四郎と伝説の山嵐!姿三四郎のモデルとなった柔道家は会津藩士だった

まさに大河の流れで歴史が紡がれていく――醍醐味がここにあります。

 

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胃弱の青年は、やっぱりあの夏目さん?

はい、話を戻しまして。
どうにかこうにか嘉納治五郎を見に来た四三。そこに口ひげの青年と遭遇しました。

夏目漱石も胃弱というナレーションがヒントかな?
やっぱりそうなのかな?
サブタイトルも「坊っちゃん」ですしね。

夏目漱石も、古今亭志ん生と同じ徳川直参旗本の子孫です。

夏目漱石の先祖は三河武士! しかも三方原の戦いで家康の身代わりで死んだって!?

それでもって、胃弱ね。

夏目漱石と胃潰瘍「吾輩ハ胃弱デアル 特効薬はまだない」

こういう江戸っ子でえタイプは、三島弥彦みたいな薩摩閥のお坊ちゃまが大嫌いでした。

「ケッ、下劣な芋侍のくせに威張り散らしやがってつまらねえ!」
そう思っていたわけですな。

原因は、昨年大河ドラマ主人公に責任があるんです。

幕末でモテモテだったのドコの誰?1位が久坂で2位が土方 薩摩隼人はモテどころか……

昨年の大河で、西郷どんが
「世のため人のためにも、江戸への放火も仕方ない」
と言い出し、多くの視聴者がその豹変ぶりに悶絶しましたが、そんなもん江戸っ子が納得したハズもないのです。

相楽総三と赤報隊は時代に散った徒花~西郷隆盛に見放された草莽の志士たち

何度も脱線して申し訳ありません。

道場を訪れた四三は、なんとかして柔道を見ようとします。
夏目らしき青年に抱えられて覗こうともしましたが、どうしても人垣が邪魔になってしまいます。

あきらめた信彦に誘われ、とぼとぼと帰る父子でした。

 

嘉納に会えたと嘘をつく父、戸惑う四三

帰宅して四三はスマから歓迎されますが、「嘉納に会えたか?」と聞かれて黙り込みます。
信彦が「そうだ」と答えてしまうのです。

そんなことはなかったのに……父の嘘にショックを受けつつも、喜ぶ家族に何も言えない四三。
ああ、これはいい伏線です。
嘉納に会えたときの喜びもひとしお、ってもんよ。

このあと四三は尋常小学校に入学。しかし、通学路は細く、遠い。小柄で通学もやっとの思いです。
かつてはこういうことが多かったもの。自転車すら普及しておりませんからね。

病弱な四三は、まともに通学すらできない。

祖母スマの背中に隠れ、兄・実次の追及を逃れようとする。と、おしおきのために、学校部屋という二畳に監禁されてしまいます。

泣きそうな四三が可哀相です。勉強するか、走るのかと迫られる。
こういう、当時の厳しい教育をちゃんとやるあたりも好感が抱けます。虐待と思われちゃうか……と甘くするのは逆効果です。

 

ヒッヒッフー!にヒントを得て

子供たちが「産まれるば〜い!」と騒いでおります。

実次の嫁・キヨメのお産でした。
必死で叫ぶ、迫真の出産です。そうそう、こういうものでしょう。

誰かちょっと『まんぷく』スタッフ呼んで来て。
こういうのな、出産ってこういうのな! 軽いイベント感覚で処理するものではない。

ヒッヒッフー!
耳に入るのは、出産のための呼吸法です。

四三は、この呼吸法にピンと来ました。真似て走ることにしたのです。

スッスッーハッハー!

これは大発見です。
呼吸法をマスターした四三は、明治34年(1901年)、往復三里12キロある高等小学校に入学。

とつけむにゃあ!

四三は、いだてん通学できるようになったのです。




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