MAGI感想

MAGI(マギ)感想あらすじエピソード5歓声と憎しみの矢【マドリッド篇】

興味津々でミゲルの剣術を見守るフェリペ2世。
そのとき、マンショは大使暗殺を目にしております。

「汝の敵を愛せ。イエスはそう言われたのではありませんか?」

マンショはフェリペ2世に呼ばれ、暗殺について追及すると、怒ったフェリペ2世が日本刀を抜いて斬りかかってくるのでした。

このあたり、フェリペ2世の性格が出ています。
彼は支配し、従わぬ者を徹底して排除する、そんな王なのです。それこそが権力を持つ者の振る舞いだ。そう信じているのです。

あの大使は、スペインの敵対国から来ていました。
それならば殺していい。

イエスの教えの解釈じゃない。そういう権力者なのです。死を前にして怯える者を見ることに快感を覚えるのだと。
それが神を信じる者の言葉かと、マンショは逆らいます。

 


憎しみの矢を受ける覚悟はあるのか?

フェリペ2世が激昂のあまり、斬りつけて来ます。
それを燭台で防御するマンショ。

フェリペ2世にとって、マンショは目障りで仕方ない。なぜならば、屈する者ばかりを見てきたのだから。

名工の研いだ刀だけに、なかなか折れません。
燭台を切断した切れ味にフェリペ2世は感心し、送り主に会いたいと言うのでした。

しかし、その送り主こと信長は謀叛で死亡しているのです。

ここでフェリペ2世は機嫌を直し、信長と会って王としかわからぬ心を語りたかったと言います。
同時に、「少年たちは歓迎されるだろうが、それと同じだけの敵もいる」と語ります。

これは王の言葉だと思うと、納得できます。王もまた、そういう立場ですから。

歓迎する人間と同じだけ、憎む人間もいる。
歓声をあげる者が増えれば増えるほど、行く手を阻む者も増える。
歓声と同時に、憎しみの矢を受ける。
王とはそういうことだ。

ああ、なるほど。これが信長の死を受けてフェリペ2世が到達した言葉なのかもしれない。

ヨーロッパでは残酷な刑罰がなかったなんて話は、もちろんありません。
当時、王に反逆をしたとなれば最悪の処刑法で惨い死を迎えました。

フランスではルイ15世の暗殺をはかったロベール=フランソワ・ダミアンが八つ裂きに。

ロベール=フランソワ・ダミアンの処刑/wikipediaより引用

イギリスでは、国会議事堂爆破事件未遂を起こしたガイ・フォークスが首吊り、内臓抉り、四つ裂きの刑。

ガイ・フォークスの処刑/wikipediaより引用

そこまで厳しい刑罰を設定しなければならないほど、王は反逆を憎み、恐れていたのです。
フェリペ2世もまた、そうでした。

 


カトリックにぶつけられる敵意

四人の少年たちは、馬車で次の目的地へ。

服装も豪華になって来ました。
衣装が美麗ですね。本当にスゴイ! 和服も洋服も、揃っているのです。

ミゲルはそんな旅路で、苛立っています。
兄の城が落ち、兄も母も自害を遂げていたのです。それをマドリッドで知ったのでした。

一行の馬車には、カトリックを罵倒する声とともに、紙でくるんだ石が投げ込まれます。
マルティノは驚くどころか、活版印刷だと嬉しそうそうに紙を読み始めるのでした。

そこには、プロテスタントによる免罪符批判が印刷されております。

ガリレオのことも書かれていると、マルティノは大興奮。
地動説を唱えたガリレオは、処刑の危機にさらされていたのです。

ガリレオに会いたいとワクワクするマルティノ。望遠鏡の説明を始めるマルティノでした。

ジョルダーノ・ブルーノが火あぶりの刑で地動説のガリレオは助かった?

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ここで活版印刷も重要です。

ルターの宗教改革が実現した要因として、活版印刷術があるわけですね。ルターは、現在のドイツ語の基礎を築いたとされています。

マルティン・ルターの宗教改革
マルティン・ルターの宗教改革で何が起き そして欧州はどうなった?

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そこで、馬車の車輪が外れてしまいます。
誰かが仕組んだ罠かもしれません。

ちなみに、馬車を止めるってかなり危険なフラグです。
馬車を止めて、そこに刺客を放つなり、爆弾を投げ込むなりすれば暗殺できてしまう。

ナポレオン暗殺未遂、アレクサンドル2世暗殺も、まずは馬車を止めるところからでした。

帝政ロシア・ロマノフ朝が滅亡しロシア革命が起きるまで

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高みから落ちては危ない

メスキータとドラードは、少年たちに警告。
フェリペ2世の異端者処刑は、プロテスタントの激しい怒りを買っておりました。

メスキータは、戸惑う少年たちに冷たい態度です。
ヴァリニャーノに反対したとも。ドラードは一瞬メスキータに怒りを見せます。

ここでドラードは、ヴァリニャーノからの伝言を語り出します。

過労、伝染病には注意すること。
悪い人物との交際禁止。
帰国後、悪に染まらないように。

笑ってしまうような言付けがコレ。
高い所に登って落ちないように。
子供扱いっちゃそうですが、それも気遣いなんですね。

留守を待つ家族に、帰国させると約束したからには守らねばならない。
ヴァリニャーノはそう何度もドラードに言いました。それだけ気遣っていたのでしょう。

マンショは、一人は死ぬから四人にしたのだろうと冷たく返します。

確かにヴァリニャーノには、そんな残酷かつ冷静な気持ちもありました。
しかし旅立つと、そんな気持ちは変わったのだろうとドラードは庇うのでした。

インドにいるヴァリニャーノは、海を見守り、四人の無事を祈る他ありません。彼は、使節の妨害があるとロレンツォという僧から聞かされます。

武力をもってして布教してはならない――。

そう信念を語るヴァリニャーノ。
布教とは、心と心をつなぐこと。支配のためにあるのではない。そう理想を持ちながらも、少年には理解できないかもしれないと懸念も示します。

見知らぬ人の心を知ることは難しい。
ヴァリニャーノは来日した際、鳥の餌入れのような【茶碗】を愛でる日本人を不思議に思ったのです。

その後、茶器を愛する心を理解するようになったのです。

反対に、イエスについて知らない日本人が派手な儀式を見たところで、理解できないのではないかと懸念を示します。

以前、日本食をバカにする宣教師がおりましたね。
あの伏線がつながりました。
日本人をバカにしていた表現ではなくて、ヴァリニャーノのように価値観や文化の違いを理解できないあの宣教師こそ、愚かで卑しいのであると。

そうそう、壮麗なキリスト教の儀式や建築物。
あれは信仰心の現れとも思えますが、そう単純なものでもありません。

葬礼な大聖堂を見たキリスト教徒ではない人が、
「うわっ、スゴーイ! こんな素晴らしいものがあったんだ」
と感動して、その体験談を広めた結果、信者が増えることもあるわけでして。そういう狙いもあるんですね。

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心を砕く天下人・秀吉

そのころ日本では、天下人となった秀吉が茶室にいます。

うーん、ヴァリニャーノのセリフのあとに、茶の湯ですね。
この場面が、実に凄い。
茶室にいると心が落ち着く、大坂城の黄金の茶室はくだらないと言うわけですが、秀吉の衣装はキンキラキンですからね。

矛盾がそこにはある。
しかし相手は秀吉。誰が指摘できるんですか。

秀吉は、千利休に「矛盾していると思っているだろう?」とツッコミます。
それもまたひとつの道と答える利休。

秀吉は美女を側室にしようとしたところ、その女はキリシタンで懐剣を忍ばせていたという話を語り始めました。

この秀吉に召されたけれども懐剣ガードした逸話のある女性は、複数おりまして。
信憑性が薄い人物もいます。

キリシタンということは、細川ガラシャあたりがベースでしょう。
ガラシャ本人かどうかは、特定できませんね。

ここで秀吉は、なかなかスゴイことを言い出すんです。

命がけで抵抗する者もいるかと思えば、這いつくばってくる者もいる。
それこそが力だと。

利休はなんとか興奮を宥めようとしますが、秀吉はそうはいきません。
キリシタンをどう思うか、と利休に問いかけ、さらには「高山右近と交流があるだろう」詰めます。

ここで高山右近の名前が出てくることも、すごいことだと思うのです。

これがもし、日本人以外を対象としたドラマならば、もっとメジャーな別の人物にしてしまうかもしれない。
本作は日本人のチェック、日本人以外の目、どちらも意識しています。

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利休は、神と向き合うキリシタンと気が合うと漏らします。
信仰心ゆえに、欲望を抑えているからだと。

ナルホド!
利休のわびさびと、キリシタンの信仰心には通じるものがある。
そう示唆したいからこそ、ヴァリニャーノの言葉のあとに、この場面が来るのかな?

「キリシタンのおなごもそうか?」と尋ねる秀吉。
秀吉の寵愛があれば、富や栄誉でも得られるはず、それでもそのおなごは、そんなものより己の心こそ大切にしたいのだと、答える利休です。

瞬間、秀吉は苛つき、顔を曇らせます。

「己の心か……」
そう言うと茶を豪快に飲み干し、こう言うのです。

「これがおぬしの心か」

そして大茶会を開く目的を語り始めました。

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こんな狭い茶室で、黒い茶碗で茶を飲むなど、趣味にあわない。
そう怒鳴りながら、秀吉は、突如、茶碗を叩きつけて割ってしまいます。

凄まじい迫力ですね。
【利休の心】だと言ったあとで、茶碗を割るんですからね。

「これがわしの心だ。よう覚えておけよ、利休」
もはや利休は頭を下げるほかありませんでした。

いやぁ、振り返ってみても凄い場面でしたね。
茶碗とキリシタンの女が重なって見えてくる。

秀吉は、好色だと言われています。フィクションですと、コミカルな描写をされることだってありますよね。
そのことを、本作はもっと深くて黒い何かとして描いている。そう感じます。

秀吉は、肉欲ゆえに女を抱くわけではない。
征服欲のせいではないか?
そう思えました。

自分のような成り上がり者、卑しく、美男でもない。
そんな男に高貴な美女が屈服する様に満足する。

そういえば、千利休の娘が秀吉にせがまれたなんて話もありましたっけ。娘の肉体を通して、利休を支配したいという、そんな欲求がそこにはあったのかもしれない……。

利休相手にしたって、そうなんです。
茶人の目の前で茶碗を叩き割ること。
女を寵愛すること。
それに、もっと様々な征服。

それこそが秀吉の悦楽なのでしょう。

怖い……怖すぎるぞ、本作の秀吉!
なんちゅうもんを見せてくれるんだ!


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