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まんぷくモデル安藤百福の生涯96年をスッキリ解説! 日清食品の誕生物語

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絶え間なき挑戦 次はカップヌードルへ

チキンラーメンで大成功を収めても、走ることを止めない百福。

それはアメリカで海外視察の際に見かけた光景でした。
日本と違い現地には丼がないため、紙パックにチキンラーメンを入れて食べていたのを見て思いつくのです。

「最初からパックに入れたインスタントラーメンを作ってみたら、どうだろう?」

1966年から温めてきたこのアイデアを、百福はついに着手することにしました。
が、道のりは険しいものでした。

最初の難関は、もちろん容器です。

試行錯誤の結果、紙パックではなく発泡スチロール(ポリスチレン)にしました。
断熱性が高く、持ち運びやすく、かつ低コストで製造できるのが強みです。

今ではほとんど見かけなくなりましたが、少し前までは発泡スチロールが当たり前だったのを読者の皆様もご存知でしょう。
そして技術大国となった現在では考えにくいかもしれませんが、当時の日本のテクノロジーでは、その容器をうまく作ることができませんでした。

そこで百福は、アメリカ企業と合弁会社を新たに設立。
こだわったのは片手で持てるようなデザインでした。

今日では当たり前の手の平サイズのあのカップ型ですが、当初はまだ手探りで、百福は130種類ほどのサンプルを作らせ、枕元に置き、日夜考えます。
朝、目が覚めると容器を手に取り、気に入らないものを排除する消去法です。
しっくりくるもの、という自身のフィーリングを頼りに模索し続けました。

 

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無理ならアイデアを絞り出す!

しかし、なかなかクリアできない問題が残りました。

発泡スチロール独特の臭いです。

現在では紙製品のカップが主流ですが、微かに残るあの臭いをご記憶の方もおられるでしょう。

そんな臭みをできるだけ抑えるにはどうすればよいか?
試行錯誤を繰り返していたある日、百福は、ブリキ製の菓子缶に容器と熱湯を入れて、一晩放置しました。
と、これが大成功。この経験を元に、容器を除臭室に入れて熱風をかける方法が採用されます。

次は蓋です。
インスタント食品の保存能力を最大限に活かすには、密封性を堅持することは避けられません。
密封するにはどんな仕組みにするのがよいか。

アメリカ出張からの帰路、飛行機内で百福の手にマカデミアナッツの小さな容器が配られました。

紙にアルミホイルをつけたその蓋に、百福ははっとします。お土産用にと一つ余分にもらうと、大事に持ち帰りました。
そしてこの容器をヒントに、おなじみのアルミ蓋を作り上げたのです。

容器と蓋ができれば、いよいよ中身。チキンラーメンより分厚くなる麺をどうするか。こげてしまわないかと心配していましたが、実際に揚げてみるとうまくいきました。
具は素材にこだわり、当時は珍しかったフリーズドライを採用。味だけではなく、蓋を開けた瞬間カラフルな具材が見えるように工夫をこらしました。

画像を見ると、すぐさまコンビニへ走りたくなりますね。

さて、こうしてできた容器と中身でありますが、無事に入れることができなければ意味がありません。
実際、容器の上から麺を入れようとするとバラバラになってしまい、袋詰めのチキンラーメンよりはるかに難しそうでした。

ここで思いついたのが、麺をカップに入れるのではなく、麺にカップを被せる手法でした。
ほんとアイデアマンと申しましょうか。

これにてようやくカップヌードルの完成となったのです。

 

極寒の長野 浅間山荘事件が後押しとなった

昭和46年(1971年)、ついにカップヌードルが販売開始されました。

しかし、チキンラーメンほど爆発的に火が付きはしません。
そこで日清食品はあるイベントを仕掛けます。
見目麗しきモデルたちが歩きながらカップヌードルを食べる、というものです。

「あのモデルが食べているのは何?」
流行に敏感な若者は気になって仕方ありません。

当時の日本人からすれば、立ったまま食事をするというのは、マナー違反で、だらしがないとされていました。
しかし若者はそんなことは構いません。
格好いいことなら、真似したいわけです。

銀座三越前で試食イベントを開くと、ジーンズやミニスカート姿の若者たちが、立ったまま平気でカップヌードルをすすりました。
これも百福の読み通り。
アメリカで、百福は立ったままハンバーガーを食べる若者を見ていました。

「いずれ日本人もそうなるだろう」
眉をひそめるどころか、そう確信を持って、百福は流行を作り出してきたのです。

見た目にもこだわっておりました。
パッケージデザインは、大阪の日本博覧会シンボルマークのデザイナーである大高猛に依頼。
言わば名実ともに揃った状態となったのですが、それでも売上はジリジリとしており、苦闘の日々が続くのです。

値段が割高で、立ち食いへの抵抗感がネックでした。
販売場所を増やすために、お湯の出る自動販売機を投入する工夫をこらしはしましたが、それでも大々的な効果は上がりません。

 

そんな苦境を劇的に変えたのが、昭和47年(1972年)2月。
「あさま山荘事件」でした。

場所は冬の長野県。
山荘を取り囲む機動隊員たちは、寒さのあまりたちまち凍ってしまう食事に難儀しておりました。
そこで提供されたのが、熱いまま食べられるカップヌードルだったのです。

浅間山荘事件でお馴染みの浅間山荘/Wikipediaより引用

そしてその姿は、視聴率90パーセントを越えたとされるテレビ中継に乗って全国へ流されました。
日本中が固唾を呑んで事件を見守る中、捜査員がすするカップヌードルにも注目が集まったのです。

「あれ、何、食ってんだ?」
「なんだろう? 私も食べてみたい」
ツイートのない時代でも、興味を引かれた人が続出。
この事件以降、カップヌードルは爆発的に売れるようになったのでした。

 

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ひっそり消えたカップライス ぶっこみ飯とは別物です

発売する商品が次から次へとヒットする。
そんなイメージの日清食品ですが、幻と消えたものもあります。

カップヌードルのあと、古米の処理に悩んだ食糧庁から、その処理を依頼されました。
そこで百福は「カップライス」を作りました。

政治家たちが試食すると、皆が絶賛。
事前の注文も好調で、これは新たなヒット商品になるかと思われたのですが……。
追加注文はほとんどありませんでした。

百福が慌ててスーパーを回ると、買い物客はカップライスを手に取っても、結局はラーメンの方を選ぶのです。
原材料が米のため、麺より価格が高くなってしまうのが大きな敗因。かくしてカップライスは、ろくに売れないまま、ひっそりと姿を消してしまいます。

この失敗は、50億円もの損害を出してしまいました。

しかし時は流れて平成29年(2017年)。

日清食品からカップヌードルの汁にご飯を入れた味を再現したという、カップヌードルぶっこみ飯なる新商品が登場したわけでして。
百福の発想は、ちょっと時代の先を行きすぎていたのかもしれませんね。

 

「食足りて世は平らか」(食足世平)の精神

昭和60年(1985年)、百福は引退し社長の座を息子に譲りました。

リタイアライフを悠々自適に……と思いきや、その10年後の平成7年(1995年)、文字通りの激震が関西地方を襲います。

「阪神・淡路大震災」です。

阪神淡路大震災直後の阪神高速3号神戸線/写真提供:神戸市

真冬の早朝に関西一円を襲った恐怖の天災。

全国ネットで放映されるテレビ画面には、あのときと同じく壊滅した市街地、戸惑うばかりの被災者たちが映し出されておりました。
百福の脳裏には、戦後の焼け跡で飢えていた人々の姿が浮かんでいたのです。

阪神淡路大震災直後の長田区鷹取商店街周辺/写真提供:神戸市

そこで当時85才の百福は、日清食品で救援隊を組織するよう自ら命じます。

給湯機能つきのキッチンカーとライトバンが、1万5千食ものインスタント麺を載せて、避難所へ。
交通網が寸断される中、半日かけてインスタントラーメンが届けられます。

・平成16年(2004年)の新潟中越地震
・平成23年(2011年)の東日本大震災
・平成28年(2016年)の熊本地震

日本列島の巨大地震の多さに思わずゾッとさせられますが、人々が飢えに苦しめられているとき、日清食品はあたたかいインスタント麺を提供し続けてきました。

それは戦後の焼け跡でラーメンをすする人々を見て、百福が思った創業理念「食足りて世は平らか」に基づいた行為なのです。

 

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いつまでも止むなき挑戦 96才での大往生

百福の挑戦は、最晩年まで終わりません。

平成17年(2005年)、日清食品が4年の歳月をかけて作り上げた宇宙食「スペース・ラム」が、NASAから正式な認可を受けました。

そして国際宇宙ステーション内で野口聡一飛行士が「スペース・ラム」を食べる中継映像が流れるのです。

宇宙空間で食べるための工夫は大変なものでしたが、日清食品はそれをも克服。

「人生に遅すぎるということはない」
スペース・ラムでの成功を見て、百福はしみじみとそう言いました。

そして平成19年(2007年)、百福は96才で大往生を遂げます。

死の直前までゴルフをし、健康そのもの。彼を元気溌剌にしていたのは、挑戦を忘れない心を持っていたためか、それとも毎日食べ続けていたチキンラーメンのおかげなのか。それとも両方でしょうか。

ニューヨークタイムズ紙は彼の死を追悼し「ミスター・ヌードル」と百福を讃えました。

多くの人の腹を満たし、幸せにしたいと願い続けた百福の人生。その思いは現在も引き継がれ、日本のみならず世界中の人々が彼の発明したインスタント麺を味わっています。

世紀の発明家、安藤百福。

※ドラマのレビューは『まんぷく感想』をご覧ください。

文:小檜山青

【参考文献】
インスタントラーメン誕生物語―幸せの食品インスタントラーメンの生みの親・安藤百福 (PHP愛と希望のノンフィクション)
ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉安藤百福: 即席めんで食に革命をもたらした発明家 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)




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【サイト】
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