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真田丸レビュー

真田昌幸・表裏比興の合戦「天正壬午の乱編」 大河ドラマ『真田丸』では描ききれない詳細を城視点から解説

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北は上杉、東は北条、そして南から徳川

武田家滅亡後、真田昌幸は信長の配下になったものの、本能寺の変ですべてが無になってしまいました。

昌幸はここから周辺大国への従属と離反を繰り返します。

大国に挟まれた小領主が生き残るには隣接する大国のどれにも属しつつ、どれにも属さないという、一見、矛盾した立ち場で大国に緩衝地帯として見なされることが重要です。

北に上杉景勝、東に北条氏政、氏直父子、南に新たに侵入してきた徳川家康。真田家は、いずれも数カ国を領する大国に囲まれていました。

しかしどの国も大国ゆえに国境線が広範囲に渡ることがネックとなっています。
上杉景勝は織田信長が死んだとはいえ越中を奪った柴田勝家、佐々成政と睨み合いを続けており、徳川家康と北条父子は駿河で国境を接しつつ、織田軍団が逃げて空白となった甲斐や信濃を巡って争っている最中でした。ここに上田が係争地に加わると、大国同士がお互いに最悪の多方面作戦に陥ってしまいます。

兵力は集中させてこそ大国規模のメリットが出てきます。正直、上田に兵を割く余裕があるくらいなら別の方面に回したいのです。
もちろん、真田家を支配下に置けば、東山道の交通を支配し、他国に対して優位に立つことができるのですが、同時に大国同士が隣接、衝突し、互いに消耗するリスクも発生します。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20160320-5

そのような状況を真田昌幸は理解して利用します。

 

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完全支配のメリットよりは小さいけど、大国同士の衝突は回避

昌幸は大国同士がリスクを避けるため『川中島の戦いのような正面衝突はない』との仮定の下、隣接する大国すべてに次々と誼みを通じ、「真田を完全支配して得られるメリットよりは少ないが、大国同士の衝突は避けられるというメリット」を作り出すことに成功しました。

当時、上田で砥石城を本拠にしていた昌幸は、織田軍団が美濃へ逃走した後、最初に川中島の海津城まで南下してきた上杉家に従属を誓い、上田の領有を認めてもらいます。元々、北信濃(川中島四郡)は越後との関係が強く、武田信玄に追放された北信濃国人衆も多数、上杉家で保護していました。
また上杉謙信の時代には北信濃を越後との緩衝地帯として保持するために、完全領土化を目指す武田信玄と川中島で争っていました。

織田家が消滅して、空白地帯になった北信濃に上杉家が軍を動かすことは越後の安全保障上、同然の成り行きで、昌幸も上杉家の従属下にいることで上田の領土が保障されました。
しかし、この直後に北条氏政、氏直父子が北信濃に侵入し、北上してきます。北条家は「神流川の戦い」で織田家の滝川一益を破り、敗走する織田軍団を追撃しながら信濃に侵入していたのです。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20160320-6

ここで昌幸はあっさり北条家へ鞍替えしてしまいます。
まさに大国の侵攻に飲み込まれた感じですが、これも昌幸は「川中島で上杉との全面衝突はない」と考えての鞍替えです。

真田昌幸が更に斜め上を行ってるのは、北条家に臣従することの見返りに、織田家に奪われた沼田の領有も北条家にちゃっかり約束させていることです。北条家にしてみれば真田家を沼田と上田でかませることで、上杉家と国境を接するリスクを避け、コストのかかる戦を回避できれば安いものです。

 

上杉と北条の間でユラユラ揺れる沼田の運命

結局、上杉vs北条の川中島の戦いは、両軍激突とはならず幻となりました。上杉が川中島四郡、北条家が沼田を支配下に置くことで和議が成立したのです。

川中島4郡には上田も含まれていますが、真田の領地は侵さないという条件が加わっていますので、これで昌幸も一安心……と行きたいところですが「沼田は北条家」という文言が気になります。
この後、北条氏政、氏直父子は、沼田城に北条家の家臣を入れて、真田家との共同保有のようにしてしまいます。いずれ奪おうという野心に、腹黒さでは定評のある昌幸が気づかないはずがありません。

昌幸は、ここで再び上杉家に鞍替えすることもできましたが、和議がなったばかりの北条家を再び敵に回すほど、上杉家に余裕はありません。

上杉家は川中島四郡と引き換えに沼田を放棄していますので、真田家の沼田防衛に力を貸すかどうかは確信が持てません。沼田を保持したい昌幸にとって上杉家に鞍替えすることは、沼田を北条家の総攻撃にさらすことになり、リスクがが大き過ぎます。

しかし、このまま北条方に留まるとしても、北条家が上杉家の攻勢に後詰するどころか、沼田城をなし崩し的に奪いにくる可能性の方が高いです。
このピンチに昌幸は第三極を創り出します。

徳川家康です。

 

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上田城 最初は上杉の攻撃に備えて築かれた

徳川家は武田の旧領を積極的に傘下に収めながら信濃を北上。西進してきた北条家とは信濃や甲斐でぶつかり合っています。

徳川方1万の兵力で、北条方4万以上の大軍勢を各地で果敢にも迎え撃っていましたが、甲斐・新府城で北条を迎え撃った一戦では、北条家が戦を回避するという失態に続き、甲斐東部では北条方をついに破り、昌幸の周辺でも徳川方の勢いが優位に目立ってきました。
この勝ち馬に乗るように真田昌幸も徳川方に従属を申し入れます。

徳川家にとっては真田家からの申し入れは上田だけでなく沼田まで支配下に置くことになるので、対北条家で非常に有利になります。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20160320-7

真田昌幸にとっても徳川家に従属することで、対上杉家で、確実に約束できる後詰めを得ることができます。
また、上杉vs真田であれば国力に差があり過ぎて侵攻の抑止力はありませんが、上杉vs徳川になると大国同士の消耗戦になりますので、上杉も迂闊に手を出せなくなります。

徳川家にとっても北条家と各地で睨み合っていますし、西方では羽柴秀吉に備えなければならず、二正面作戦は避けたく、積極的に上杉を攻撃する意思はないでしょう。

結局のところ、上杉も徳川も真田を温存させることが上策となるのです。

このような大国に挟まれて駆け引きをしている時期に真田昌幸は上田城の築城に着手しました。上杉が積極的に攻めてこない状況とはいえ、目と鼻の先の葛尾城まで迫っていますので、まずは上杉家の侵攻を想定した城にしなくてはなりません。

これが最初の上田城のコンセプトになります。

 




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