西郷どん感想あらすじ

『西郷どん』感想あらすじ第19回「愛加那」

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ヤンキー漫画じゃないんやから

悪代官は、上申書を書こうとします。
しかし止められます。

このピンチを救うのは、大久保正助からの書状です。
あの男の正体が西郷だなんて……とビックリしている悪代官。今更そこなのか。

あーあー、恥ずかしい展開だなぁ。

ヤンキー漫画などでありますよね。
中学時代は市内に知れ渡る恐怖の存在。それが訳あって引越し先でおとなしく過ごしていると、何も知らない小者のヤンキーがちょっかい出してしまい、正体を知る別のヤンキーから
「ばかっ! あいつ、実は相当やべぇやつだから関わるな!」
とかなんとか言わせるやつ。

とにかく西郷どんの能力そのものでは、根本的な問題解決に一つも役に立たないわけで。
大久保の手紙が届いていなかったらどうなってたのよ!

結局、本作って、西郷どんはともかくえらいしモテモテだからみんなひれ伏すよ、ってだけです。
主人公補正だけで無双しないでくりしょり!

 

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「アンゴにしてくりしょり! あなたが好きだ」

そして、またまたまたまたビーチで占い結果を聞くとぅま

二階堂ふみさんのプロモーションビデオとしては最高です。

どんな作品にもよいところはある。
それがきっと、この二階堂さんです。

ただ、それでも、彼女をもっとまともな大河で見たかったなぁ……とは思ってしまいます。

ナゼここでまたビーチタイムかって?
8時31分だから。時間稼ぎです。

このドラマは毎回この時間帯に時間稼ぎとしか思えない水増し的な場面が出てきます。

そして積極的に夜中、西郷どんの部屋にくるとぅま。どういう貞操観念なのでしょうか。かなり非常識です。

しかも、床に座って見上げながら、
「アンゴにしてくりしょり! あなたが好きだ」
だそうですよ。

鎌を構えたところはよかった。
それをわずか数分で、タップすると女の子の肌が露出するゲームのようなご都合主義に陥ります。

しかも脱ぎ出すとぅま。
うええっ、ドン引き……。

うん、ドラマの仕組みを考えればわかりますよ。

8時40分手前のいつものクライマックスタイム。
肌もあらわな二階堂ふみにドキッとか、そういう見出しのネット記事が流れるんでしょうね。

 

さようなら、鎌を構えた凛々しいとぅまよ

愛加那と西郷どんの関係は難しいです。

権力のある側が、持たない側に女を差しだされるような、現代の受け手からすれば受け入れがたい部分がどうしても出てきます。

そこをなんとかするのは、創作者の腕前次第。
本作はこの点でも最低の部類ではないでしょうか。

糸といい、篤姫といい、愛加那といい。
なんだかわからないうちに西郷どんにラブビームを出すという。

一昨年の真田信繁や昨年の井伊直虎がモテる理由はわかりますよ。
人間的に魅力があります。

一方、本作の西郷どんはフェロモン体質なのでしょうか。

しかも結婚式をしたらみんな喜んでいます。
ヤマトンチュに敵意を燃やしていた人も、すっかりころっとしています。

それを可能にした西郷の魅力が伝わってこないから、島民たちがチョロいとしか思えません。

結婚式を見ながら、私は久々に『ゲーム・オブ・スローンズ』を動画配信サービスで見返そうと思いました。
あのドラマの結婚式で、甘ったるいだけで実のない本作の結婚式の印象を吹き飛ばすことにしました。

なんだか西郷どんは、とぅまにラブな名前をつけて喜んでいます。
どうでもいい。心の底からどうでもいいわ~!

愛加那となった彼女からは、あの凛々しい魅力は消えました。
結局、西郷どんのフェロモンビームに撃ち落とされた美しい蝶に過ぎないのです。

さようなら、私が好きになりかけた、凛々しいとぅま。
鎌を構えたあなたは素敵でした。

 

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MVP:とぅま

前述の通り、凛々しいとぅまはよかったと思います。

あんな凛々しい性格の娘が、夜中に男の部屋で脱衣をしだす。
その展開が残念でなりません。

 

総評

西郷隆盛のドラマが見たいのに、本作がつきつけてくるのは甘ったるいだけの別物です。

メロン味の歯磨き粉を皿に絞っただけのものにスプーンを添えて、これがマスクメロンでございますと主張されている。
そんなとてつもなく虚しい気分になります。

ナゼこの幕末、嵐が吹き荒れる時期に、こんな悪代官とエッチな新妻が出てくる手垢のついたラブコメディを見なければならんのですか。

毎年、大河ドラマの叩き記事では馬鹿げたものが性懲りも無くメディアに掲載されます。

【視聴率アップの秘策は!? 大胆濡れ場も!】
という調子のものです。

良識的な大河ドラマは、こんな馬鹿げたテコ入れはしません。
しかし本作は、妻が初夜を迎える様子、春画を見て顔をあからめる様子、暗い照明で脱ぎ出す様子を何の恥ずかしげもなく入れてきます。

そんなことを想像するお前がいやらしいんだと言われてもこの際かまわない。
どうしたって、こんな展開は、スポーツ新聞の例の小説コーナーを彷彿とさせます。

本当にエロい歴史ドラマが見たいなら、HBOに限りますね。
『ROME』も『ゲーム・オブ・スローンズ』も、登場人物はバンバン脱ぎ出しますよ。

しかし、そのことを話題にするファンは意外と少ない。
ヌードと濡れ場以外に見所がたっぷりあるのです。

これはもう予算とかの問題ではなく、ひたすらセンスな訳で。
できないことはない。

本作の今回の反応が、エロチックな場面への賞賛だけだったら。
それは中身がないからです。

さて、史実をフォローしておきますと。

西郷どんは、愛加那をそこまで愛していたかはわかりません。
書状では使用人の女というような表現も出てきます。

流刑時代も、西郷は中央政局への復帰に意欲的でした。
その際、妻は足かせにまったくならないってことです。

要するに、いつでも妻を置いて行く気があったということですね。

現代人からすれば冷たい話ですが、当時は致し方ないでしょう。

問題は、ドラマでそれを極端に美化するところです。

 

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蛇足:21世紀にもなって「白人の救世主」もどき

かつてはテンプレ通りの表現であったものの。
21世紀現在では差別的かつ陳腐であるとみなされる表現があります。

「白人の救世主」も、そのひとつです。

Wikipediaを引用しますと……

「映画における白人の救世主(英語: white savior)とは、白人が非白人の人々を窮地から救うという定型的な表現である。その表現は、アメリカ合衆国の映画の中で長い歴史がある。白人の救世主は、メシア的な存在として描かれ、救出の過程で自身についてしばしば何かを学ぶ。」

「下級階層のグループに属し、都会で暮らしながら一般的な社会秩序や、特に教育システムなどに奮闘する、白人人種でない者が(大抵、黒人とラティーノ)登場する。その映画の結末までに、白人人種でない子たちが白人の教師の犠牲を通じて、一変させられ、救い出され、回復する」といったものである

渡辺謙さんが、西郷隆盛をモデルとした人物であるカツモトを演じた『ラストサムライ』も、この種の典型的な作品とされています。

 

こういう映画が批判されるのは、あまりにご都合主義であるからです。
白人様が弱い者に手を差し伸べて救ってあげて、そのことで悟りを得るとか。いいことをした気分になるとか。

しかし、助けられるほうにとっては無神経です。

マイノリティはマジョリティの救世主がいなければ何もできないのか?
マイノリティは純粋無垢な存在として、マジョリティを癒すために存在しているのか?

こういう突っ込みがあるわけですね。

私も、実は『ラストサムライ』を見たとき、薄ら寒さ、気持ち悪さを感じました。

大河ドラマと一見関係のなさそうなこの話をなんで持ちだしたかと言いますと、『西郷どん』の島編が、こうした作品を連想させるからです。

西郷どんは、奄美の人から見ればマジョリティ。
そういう意味では、本作も一種の「白人の救世主」タイプのお話ではありませんか?

21世紀現在も、こうしたタイプの作品は作られ続けています。

ただし、このパターンにあてはまっていても、『それでも夜は明ける』、『ドリーム』は名作として高く評価されています。
それはそれなりに工夫や配慮があるからです。

このパターンに分類され、しかもゲテモノ扱いをされている映画『グレートウォール』も、実は配慮があります。
あの映画は設定に工夫があって、必ずしも白人の男が優れているという描き方ともちょっと違う。

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で、話を本作に戻しますと。

『西郷どん』は、『グレートウォール』レベルの工夫をこらしていますか?
全然ダメですよね。

今更『ダンス・ウィズ・ウルブス』の粗悪な焼き直しを得意げに見せられてもウンザリ。
だって時代はもう、2018年なんですよ。

この手の映画につきものであるのが、これまたご都合主義的なヒロインです。

従順で人種の壁を乗り越える美女。ポカホンタスあたりがそうです。
そういう、工夫がまるでないまま、今時こういう陳腐な表現をするとは驚いてしまいます。

これまで2年連続で挑戦的、実験的、従来の枠を広げるような大河ドラマが続きました。

『真田丸』は『ゲーム・オブ・スローンズ』を意識した作風。
『おんな城主直虎』は、近年のディズニーにおける活発なヒロイン像を彷彿とさせる、意欲性を感じる実験作です。

そのあとに『ダンス・ウィズ・ウルブス』の粗悪な焼き直し。
もう、こんなの、何かの冗談であって欲しい。
そう切実に思うのです。

正直、嫌な予感はしていました。

第一回で、西郷どんが女装をちらっとして、「おなごは大変だ!」というコントみたいな場面があったじゃないですか。
一見差別に心寄せたみたいに思えますけど、あれ、実は一番やっちゃいけないパターンです。

一瞬だけ変装して気持ちがわかる――なんて気軽に言うものじゃない。
変装なんて、すぐやめられる。

しかし、当事者はやめられないわけですよ。

白人が顔に靴墨塗って、同じようなことをしてみたらどうか、想像してみてください。
本作の制作者は、どうやら何か勘違いをしているとみえる。

彼らを自動車メーカーにたとえてみましょう。

「往年の名車が素晴らしかったのは、今の車のように、自動ブレーキやカーナビやBluetooth接続機能がない、媚びない作りだったからだ!」

そして彼らは、エンジンパワーだけはあるものの、昆虫めいた面構えの悲惨なシャシー、まったく安定しないハンドリング、なんだか臭い内装、雑な塗装の車を作って、堂々と売り出すのです。

そして、広告宣伝費を湯水のように使う。

ああ、人々がF40を愛したのはその優美な美しさやパワーがゆえなのに。
重たいクラッチや、燃料漏れをしょっちゅうしたからではないのに!

往年の名車をそうたらしめていた要素は学ばないし、昨今のユーザーのニーズも無視。
そしてとんでもないものをこしらえて満足する。

そこにあるのは、倫理感の欠如です。

『花燃ゆ』について私はさんざん貶しました。
今更それを振り返ろうとは思いません。

ただ、脚本家さんには同情しています。

あの作品に与えられていた、長州藩の政治劇を描かずに長州の幕末を描けという不可解なミッションは、手足を縛った人間をプールに突き落とすくらい無茶苦茶でした。

本作の不快感は、積極的なサボタージュを感じることです。

本来は出来ることを、積極的に手を抜いている。
手足を縛られているわけでもないし、プールに飛び込んだわけでもない。プールサイドでビールを飲みながら、スマホでゲームをしている。

そのせいで仕事ができていないのです。
そんなふうに手を抜いているからこそ、30年近く前の映画を焼き直すようなことをしてしまう。

2年連続、車でたとえるならば、それがガレージにあるだけでウキウキするような、そんなチャーミングな大河ドラマが続きました。
欠点はある。
けなす人もいる。
それでもオーナーにとっては、所有することそのものが喜び、のような。

今年は、ガレージの前を通るだけで気分が暗くなる。
そういう車を買ってしまったような苦い気持ちが常につきまとうのです。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【編集部より】

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