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徳川慶喜/wikipediaより引用

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徳川慶喜(一橋慶喜) 西郷どんの低評価っぷりを覆します!英仏も惚れた超絶タイクーンとは?

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明治維新150周年を彩り、世間的にも話題となるはずだった大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』。
維新三傑の一人である西郷隆盛を名優・鈴木亮平さんが演じるのですから『絶対にスベらない!』と思っていた方も多いでしょう。

しかし現実は惨憺たる視聴率です。

本サイトのスタンスとしては、そんな数字など関係ないのですが、今年の大河は、篤姫と恋愛沙汰を入れたり、島津斉彬相撲を取らせたり、ジョン万次郎に「LOVE」を教わったり、妙なアレンジで現代に寄り添いながら、実際は大コケしているのがあまりに痛々しい。

この妙ちくりんなストーリーは、いったい何が狙いだったんでしょうか?数字だったら大失敗じゃん!

もはや、大河の信用を損ないかねない罪だらけの現状ですが、最近、特に酷いのが
徳川慶喜一橋慶喜
の描写ではないでしょうか。

イラスト・小久ヒロ

時代劇と相性バツグンのお顔をした松田翔太さん。
さぞかしキレッキレな人物になるかと思ったら「ふんわりとした馬鹿」みたいな印象です。

史実の慶喜は、西郷隆盛が簡単に言い負かせる相手ではありません。
実は有能な島津久光(これまたドラマではバカっぽく描かれてますけど)ですら、キレて力勝負するしかないほど。

慶喜はいい意味で“狡猾”な人物でした。
その知能・風格は、歴代徳川将軍としても、幕末の人物としても、トップクラスの実力派であり、徳川家康レベルと評価されたほどなのです。

何度でも言います。

慶喜は激烈に有能だ!

ただし性格的には逃走上等で難アリだ!

そこで本稿では『西郷どん』の描写を忘れ、慶喜のカリスマと魅力を、クズっぷりを少々混ぜながら抽出してみたいと思います。

【関連記事】徳川慶喜(一橋慶喜)の生涯

 

ラスト・タイクーンの魅力

徳川慶喜は、日本人のみならず西洋人から見ても、
「素晴らしくエレガント、ハンサム。彼が傷つくなんて嫌だ!」
と思われるほどでした。

幕末事情で、実は忘れられがちなことがあります。
それは、英仏の干渉。

開国後は捕鯨船の補給許可さえあればいいというアメリカや、不凍港に立ち寄りたいロシアあたりとは異なり、
「うちらが日本政府に干渉したらいいじゃん」
という、危険な発想をする国がありました。

それがイギリスとフランスであり、この両国は、日本が幕府と天皇の制度に分かれているとスグに喝破しました。

フランス「幕府に味方しよう。日本人はナポレオンが好きだ。我等の皇帝は、ナポレオン三世!」
【参考記事】ナポレオンの『那波列翁伝初編』

イギリス「宿敵フランスが幕府なら、我等は天皇制を支持する薩長を支援する。薩摩とは薩英戦争でかえってわかりあえた」
【参考記事】薩英戦争

ってな感じで争い、結果、イギリス側が勝利、明治以降も同盟関係が続きますよね。

実はそのイギリスも、徳川慶喜のことを殊のほか気に入っていたのはあまり知られてないかもしれません。
西郷隆盛らが江戸を中心に戦争をしようとした際、イギリスが釘を刺したほどです。

「慶喜公を何か危うくするようことをしたら、あなた方はイギリスを敵に回しますぞ」

英国サイドにしてみれば、ラスト・タイクーンがどうなろうと知ったことではないはず。
それでも彼らは慶喜を庇いました。

さしもの西郷らも、イギリスを敵に回してまでは、慶喜に砲撃できませんでした。

ナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜/wikipediaより引用

慶喜はもともと西洋文物を好み、賢く、ハンサム。
その魅力に打ちのめされ、フランスからナポレオンの軍服が寄贈されたりしました。

「アジアにこんなロマンチックな名君がいるとは……」

なんて彼らが驚嘆した、とか言うと「さすがに大げさwww 」と思われるかもしれません。
が、西洋人はガチで惚れ込んでおりました。真面目な話です。

しかも、本人も強く意識しておりましたが、慶喜は母方から皇族の血も引いています。
母は有栖川宮織仁親王の第12王女(末娘)の吉子女王。嫁いだあとも、おすべらかし、小袖に袴で過ごした女性です。

「おすべらかし」とは「大垂髪」と書く、公家女性の髪型ですね。

大垂髪(おすべらかし)/photo by Corpse Reviver wikipediaより引用

吉子女王/wikipediaより引用

そういう母の子であれば「天皇家に降伏しても当然」となりますわな。
ただでさえ、出身の水戸徳川家は天皇崇拝の気風が強い家ですし、自身が将軍を降りるのも迷いはなかったのです。

夢中なのは、西洋人だけではありません。
妻妾も、江戸っ子も彼にぞっこんでした。

新門辰五郎のように、お金も名誉も持ち合わせた火消しの大親分が、自分の娘を妾にしたほどです。
辰五郎は、慶喜に「ジジイ」呼ばわりされると、逆に親しみを感じて喜んでおりました。

【関連記事】新門辰五郎

本来の慶喜は、そういう魅力ある人物です。

仮にあなたが西郷隆盛だったとしたら、そんな相手に懐刀をかざして、畳にぶっ刺すなんて真似できますか?
あまりにバカげた話だと思いませんか?

それでも映像にしたいというなら、それはもはや現実離れしたファンタジー。

とにもかくにも徳川慶喜は、ラスト・タイクーンとして最強最高の男でした。

 

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でも、グレートなクズかもしれない

一方で、慶喜のことを「マジクズ!絶対許さん!」という勢力もおります。

筆頭は島津久光です。

そもそも薩摩藩の島津斉彬が「将軍継嗣問題」で慶喜派だったことはドラマでも描かれておりましたね。

【関連記事】島津斉彬

兄の後を実質継いだ久光も、慶喜が将軍後見職に就任すると歓迎ムードだったようです。

【関連記事】島津久光

が!
その期待はすぐに裏切られます。

徳川慶喜/wikipediaより引用

慶応3年(1867年)5月17日。
土佐藩邸に四人の大名が集い、会議が開催されました(四侯会議)。

メンバーは、
徳川慶喜(一橋徳川家当主、将軍後見職)
島津久光(薩摩藩主の父)
松平春嶽(越前藩前藩主、前政治総裁)
伊達宗城(宇和島藩前藩主)
と、錚々たるメンツですね。

しかしここで慶喜、
「俺以外の三人は極悪人、しかもバッカじゃねえの! 俺と一緒にしないでね」
と、酔っ払って吐き捨ててしまうのです。

【参考記事】松平春嶽

会議の話題は、長州処分と兵庫開港問題であり、長州処分がグダグダになったのもこの辺に理由がありそうです。

ともかくこの態度に久光はガチギレしまして。
「こげんアホ将軍とやっくれなら、長州ときびってしまうよなあ〜〜〜!」
となっても仕方なかったのです。

慶喜は頭が良すぎたせいで強気になり、無神経だったのかもしれません。

というか久光はリベンジできたからまだマシです。

「あぁ? 慶喜公? おれなんかは、えらぁい世話になったべした! はははははっ! おめ、おれに何を言わせてえ? あぁ?」
こう真顔でガチギレする権利は、むしろ佐幕派にあります。会津藩とか。

しかし会津藩主・松平容保は真面目です。将軍の悪口なんか絶対に言いません。

【関連記事】松平容保

ただし、会津藩士全員にそんな穏健な態度を期待してはいけません。

幕末当時、若く、血気盛んで、その気性の激しさゆえにトラブルメーカーでもあった家老・山川浩。
『八重の桜』では玉山鉄二さんが、ムカついたら弟だろうと切腹を誘う名演技を披露した、会津屈指のマッドマックス怒りのデスロード系の人材がおりました。

山川浩/Wikipediaより引用

 

慶喜がトンズラこいた後、大坂城は大混乱

会津藩では慶喜の代わりに、家老の神保修理に罪を着せて切腹させるという修羅場を迎えました。

しかも修理の妻・雪子はこのあと会津戦争で「娘子軍(女性部隊)」に参戦した説もあります。
ハッキリしているのは、雪子は会津戦争時に大垣藩兵に捕らわれ、陵辱された挙げ句に自害したということ。

それも大坂城からアッサリ逃げた慶喜のせい!

大坂から船で脱出する慶喜を描いた錦絵(月岡芳年)/wikipediaより引用

ここで山川に話を戻しますと
「いやあ、無責任将軍様がトンズラこいたがら。おれ如き一家老が大坂城代になっちまった! たまげたべしたあ!」
(慶喜テメエ何逃げてんだコラ、ふざけんじゃねえ)
と、著書『京都守護職始末』でボロクソに記述します。

2013大河『八重の桜』の小泉孝太郎さんは、こういうソウルフルで魅力的、でも会津からすればクズな慶喜を好演しました。

一方、西郷どんでは、せっかくの松田翔太さんという逸材が、ああもマヌケに描かれ、どうにも歯がゆいところなのです。

 

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王者の贅沢ライフとその引き際

このあと、山川はどうなったか。
それについて慶喜とからめて少し見ておきたいと思います。

会津藩は敗北後、明治2年(1869年)に不毛の地・斗南藩に流刑同然で流されます。
そして容保の子・容大にかわり、実質的に藩を支配したのは山川でした。

松平容大/wikipediaより引用

しかし会津は、困窮のあまり苦労しかありません。
山川家がこっそりおからを買い占めただけで藩士から糾弾されまくるという、悲惨な生活を送ることになります。

このあとも山川は苦労続きですが軍人として活躍。
西南戦争で大躍進をしたこともあり、陸軍少将への昇進が決まります。

それでも山川家は、東京在住の元会津藩士の支援にお金がかかったせいで、ずーっと貧乏でした。

山川少将出世の際には、長州の山県有朋が、
「山川は会津出身じゃねえか」
とクレームつけたとか。

しかし山川はこう言い返します。

「佐幕藩家老のおれですら苦労したのが明治だべした。んだらよ、将軍なんかさぞや苦労したと思うべ? そうでねえんだなあ、これが」

そうです。
慶喜はそういう苦労はほとんどしてないんです。

なんせ徳川家の領土である静岡に引っ込むと、慶喜は趣味人になっています。

写真・狩猟・投網・弓術・囲碁・謡曲・サイクリング・釣り・顕微鏡・油絵・手芸(刺繍)等。
お金は当然かかりますが、財産は腐るほどあるので問題ない。

狩猟姿の慶喜/wikipediaより引用

弓を引く慶喜/wikipediaより引用

食生活も充実です。

この時代に好きな食べ物が豚肉・パン・牛乳。
おから程度で糾弾された山川からすればヌグググ……ですよね。

そんな慶喜を家臣は「貴人は情けを知らねえ」と貶すこともあったのですが、実はそういう単純な話でもないようです。

想像してみてください。
前将軍、しかも若く賢く、精力あふれる慶喜周囲に、幕臣が集まってきたら?

それだけで不穏ではないですか。不平士族の反乱なんかも起こる時代に……。
新政府から睨まれないためには、趣味人として呆けることこそ、最も賢いのです。

カリスマ性すら消えた晩年は、お飾り議員として君臨。
彼が憧れたナポレオンや、ナポレオン3世と比較しても、スマートな元王者だとは思いませんか?

【関連記事】ナポレオン3世

 

これからの慶喜は脳内補正で見ておきたい

当時、世界屈指の列強イギリス&フランスの老練な政治家すら、ブラボーと屈服した優美さ。
島津久光や松平春嶽すら圧倒してしまう、高い政治力。
明治政府も警戒するだけで、リッチ趣味LIFEを見守るしかなかった、処世の巧みさ。

彼はまるで、スフィンクスのような、とらえどころのない大物です。

1867年大坂での慶喜/wikipediaより引用

人間的な好き嫌いは分かれるかもしれませんが、チンケなクズとしてはとても描けない、巨大で深淵な男であることは間違いありません。

それが『八重の桜』では、巧みに表現されていたんですけどね。
ざっと
◆遺伝した父・徳川斉昭の強烈さ
◆カリスマ性
◆容貌の優美さ
◆西洋軍服が似合うスタイルの良さ
◆雄弁性
◆政治力
◆頭の良さ
◆頭が良すぎて不誠実にすらなる部分!
こうした部分を上手に描いていたのに対し、西郷どんの慶喜はさすがにトンチンカンすぎるんでは?と突っ込まざるを得ません。

最後にもう一度いいます。
徳川慶喜は「クール」だろうと「クズ」だろうと、その規模がデカイ!
日本史上屈指、いや世界史上に出すべきレベルであり、幕末大河に出演させるなら「一人だけチートキャラ」ぐらいでちょうどよいのです。

実際、そんな慶喜としのぎを削る西郷の方が、結果的に西郷自身の評価も上がって良いのでは?

皆さん西郷どんをご覧になられるときは、グレートな慶喜公を脳内補正でよろしくねっ!

【関連記事】徳川慶喜(一橋慶喜)の生涯




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文:小檜山青

【参考文献】
慶喜のカリスマ』野口武彦
明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す』一坂太郎
もう一つの「幕末史」』半藤一利

 




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