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女性 その日、歴史が動いた 諸家 関ヶ原の戦い

富田信高と安濃津城(あのうつじょう)の戦い 俺の嫁がこんなに強いはずはなくはない!

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「男尊女卑って昔のダメな風習の一つだよね、最低!」
「昔の女性はホントかわいそう!」
なんて思っている方はいませんか?
でも、歴史を見ていくとそうとは限りません。
それどころか、肝っ玉母ちゃんどころじゃないようなたくましい女性たちがたくさんいるのです。
今日はそのうちの一人をご紹介しましょう。

関ケ原合戦図屏風/wikipediaより引用

東軍・富田信高1,700 vs 西軍・毛利秀元30,000 圧倒的!

慶長五年(1600年)のあす8月25日は、安濃津城(あのうつじょう)の戦いが終わった日です。
「何じゃいソレ」と思われるかもしれませんが、年号をよくご覧ください。
関が原の戦いがあった年ですね。

関が原の戦いというと、「徳川家康が1日で石田三成に勝ったYO!」ということだけが知られていますが、実はその前後にもあっちこっちで戦があったのです。
日本中の大名が真っ二つに分かれて戦ったので、当然といえば当然ですね。
まさか「関が原だよ!全員集合!」なんてことはできませんし(古い?)

さて、舞台である安濃津城は伊勢国安濃津にあった城です。
今の三重県津市にあたります。

ここは富田信高という徳川方(東軍)の武将が守っており、そこへ豊臣方(西軍)の毛利秀元が率いる3万の軍勢が押し寄せてきました。
もともと小さな城の一大名である富田家に太刀打ちできるほどの兵がいるはずもなく、周辺の味方に援軍を頼んでも集まったのはたった1700人。
これでは戦のしようがありません。

しかし信高は諦めませんでした。
援軍を出してくれた分部光嘉(わけべみつよし)とともに、自ら槍を振るって奮戦します。
その姿に勇気付けられたのか、十倍以上の戦力差があるにも関わらず健闘しました。

 

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多勢に無勢に現れた白馬の騎士

ですが多勢に無勢。
ついに信高は敵兵に囲まれ、絶体絶命のピンチに陥ります。
切腹できないのは残念だが、一人でも多く敵を討ち取ってやる!」と覚悟を決めたとき、奇跡が起こりました。

城の正門から、一人の武士が信高目指して駆け寄ってきたのです。
あちこちの史料で「容姿端麗な武士」「美しい若武者」と書かれているので、遠目からでもわかるほどの美丈夫だったのでしょう。
その武士は、小柄ながらに槍を翳して大奮戦。
迫る敵兵を何人もなぎ倒し、西軍を混乱に陥れます。

疲れきっていた信高も目の前の光景が信じられず、まずは誰なのか確かめようと少しずつ近づきました。
生き残れたらその武士に褒美を与えなければいけませんし、それでなくても命の恩人です。
しかし、顔を見てもさっぱり見当がつきません。
「もしかして、分部殿の家臣だろうか?」とも思いますが、それにしても何かおかしい。
いったい誰だろうとハテナを浮かべる信高に、武士のほうから近付いてきました。

「殿が討ち死にされたと聞き、私もお供しようと出て参りました。まさか、生きてお会いできるなんて……!」

信高を連れ、城の中へ退きながら武士は語ります。
そこで初めて信高も気がつきました。

「お、お前……オレの嫁じゃないか!!?」

なんと、その武士は信高の奥さんだったのです。
実名は伝わっていませんが、宇喜多家の娘だそうですから武士の娘には違いありません。武器や戦時の心得もあったことでしょう。(112頁、笠原和比古『関ヶ原合戦』講談社学術文庫、2008。284頁、藤井治左衛門『関原戦史』西濃印刷、1926)

 

リア充は爆発してもうた……

しかし普段奥にいる妻がいきなり実戦に出てくるなんて、いくら何でも予想の斜め上どころか圏外です。生死を共にしようとしただけでも嬉しかったでしょうし、信高はまさに男冥利に尽きる気分だったでしょうね。

このとき、信高も奥さんも二十代半ば~後半の若い夫婦だったそうです。
これは「リア充爆発しろ!」なんて言えません。

その後信高は降伏することになるのですが、奥さんの雄姿は「巴御前の再来のようだ」と褒め称えられ、今に伝えられています。
幕末に月岡芳年(つきおかよしとし)という画家がこの逸話を元にした浮世絵を描いているのですが、奥さんが白馬に乗った勇ましい姿で描かれています。
ただし、信高らしき人がその馬の轡を取るという、ちょっと可哀想な扱いで……。

その後、信高は宇和島藩主(愛媛県)になりますが、罪をおかして逃亡中のある人をかくまった罪で改易となってしまいます。みなさんの願い通り、リア充は爆発したわけです。

でも、ある人とは、妻の甥っこだったのです。
「妻の恩を返したのだから悔いはない」と思った愛の人だったのかなぁと、想像したくなっちゃいますね。

長月 七紀・記

 

参考文献:




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【参考】今日は何の日?徒然日記 伊勢・津城/城郭放浪記

 





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