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織田家 その日、歴史が動いた

忍者か?とも囁かれる滝川一益 謎だらけの人生、最後はヒッソリと消えていく……

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信長に見出された家臣の一人・滝川一益

織田信長はあらゆる意味でスゴイことをやってのけた人ですが、発想の自由奔放さがそれに拍車をかけていますよね。
身分を問わず家臣を登用したこともその一つでしょう。秀吉をはじめとして、信長が自ら新たに召抱えた家臣は枚挙に暇がありません。今回の主役もその一人です。

天正十四年(1586年)、信長に見出された家臣の一人・滝川一益が9月9日、亡くなりました。

全国5000万人の「花の慶次」ファンにとっては、主人公の前田慶次郎のおじさん(滝川家から前田家に婿養子)として有名です。

滝川左近将監一益肖像/wikipediaより引用

 

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甲賀近辺の出身だから忍者!? ってのもいささか短絡的な気が

この人は、1525年に滝川一勝の子として生まれるということ以外は、前半生がほとんど謎、謎、謎。
甲賀あたりの出身であることから「忍者だったんじゃね!?」という説もありますね。しかし「戦の時には黒・赤・金(ドイツ国旗か!)の甲冑や羽織を好んだ」という記録もありますので、そんなド派手趣味の忍者がいるんかいな、とツッコミたいような気もします。

若き日の一益は博打が好きすぎて家を追い出されてしまい、尾張の知り合いのところで厄介になっていました。
そこからどうやって信長に仕えたのかは不明ですが、弘治二年(1555年)頃には部隊を任されていますし、永禄三年(1560年)には桶狭間の戦いで先鋒を努めていますので、ここまでの間に信長に認められるようになっていたようです。

翌年には松平家(家康)との同盟を取りまとめていることからしても、早い時期から信長からの信頼されていたのは間違いないでしょう。
信長というと戦に関することをイメージしがちですが、新参者でも「使える!」と見ればガンガン仕事を任せるところもカッコイイですよね。

 

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伊勢志摩へ侵攻するやたちまち征服で信長さん満足

さて、今川家を破り松平家と同盟を結び、美濃も手に入れた信長は上洛のため次のステップへ進みます。
一益はこのとき伊勢・志摩(現在の三重県)の担当を任されました。
伊勢北部の名家・神戸(かんべ)家には既に信長の息子・信孝が養子に入っていたため、足がかりは既にできています。

一益は巧みに調略と戦を使い分け、二年ほどで伊勢を織田家の配下に置きました。仕事早いです一益さん。
この働きには信長も大満足し、「攻めるのも退却もお前に任せておけば安心だな!」(原文は「退くも滝川、進むも滝川」)と珍しくはっきり褒めています。
その優しさ、明智光秀にも見せてやれば良かったのにとか思っちゃダメですかね。

ノリに乗った織田家は次に長島の一向一揆や石山本願寺との戦いに挑みます。
このときも一益は水軍(今でいう海軍)を率いて大活躍。続く武田家との戦いでも、信長の長男・織田信忠を見事に補佐して勝利へ導きました。
この功績を認められ、「関東はお前に任せた!引き続き頑張るように!」と上野国(現在の群馬県)&信濃国(現在の長野県)の一部を与えられています。

もっとも、一益は茶の湯に親しんでいたので「領地よりもあの茶器が欲しかったなあ……」なんて残念がっていたようですが。

イラスト・富永商太

 

本能寺の変で時流に乗れず、最後はヒッソリと

既にこの頃には心身ともに疲れていたのか、部下に向かって「お前らは出世したって俺をうらやましがるけど、国の主ってのも結構大変なんだぜ?あそこで遊んでる雀みたいに気楽に過ごしたいなあ」とぼやいたりもしていたようです。
当時の上野は物理的にも心情的にも中央から遠く離れていますから、茶の湯を楽しむこともできませんし、「頑張れ!」と言われたからにはまだまだ戦をしなくてはいけませんからね……。
隠居しなかったのはさすがの忠誠心というか何というか。

しかし残念なことに、一益の運はここまで。
本能寺の変で信長が死んでからは、秀吉の台頭と入れ替わりに一益は失脚していってしまいます。
信長の後継者を決める清洲会議やその後の賤ヶ岳の戦いなどで秀吉と敵対した後は、まるで坂を転がり落ちるかのごとく。

秀吉に降伏したあとに、秀吉VS家康の小牧長久手の戦いでは、伊勢方面で秀吉方だったのですが家康に攻められてあっさり降伏。秀吉と家康が講和後に、秀吉が激おこになって、ぶちころされそうになりましたが、出家することでなんとか命は助けられました。

その後は隠居して同僚だった丹羽長秀の下に行きますが、再び秀吉に呼び返されて豊臣政権下で働くことになります。
外交手腕は秀吉にも買われていたようで、小田原征伐の際にも北条家へ予告の手紙を書いたりしていました。ですが、かつて信長からもらったほどの領地や栄誉を与えられることはありませんでした。

そして、62歳で静かに世を去ります。お墓は高野山にあります。
「晩年は失明していた」とか「かつて攻めた地の農民に惨殺された」など、不遇にもほどがある話も伝わっています。
一益の運は、信長の隆盛に合わせたかのような浮き沈みぶりだったのでした。

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参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/09/post-d013.html
http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi4.htm

 





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