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その日、歴史が動いた 関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い 裏切り者と戦った漢の中の漢「大谷吉継と平塚為広」に涙がこぼれらぁ!

更新日:

もはや日本人なら知らぬ人もない関が原の戦い
歴史が苦手な人でも、「ああ、これで徳川家康が勝ったから江戸幕府作れたんだよね」と覚えている方は多いのではないでしょうか。

しかし、昨日書いた前哨戦の杭瀬川の戦いもそうでしたが、関が原に布陣した時点では西軍のほうが圧倒的に有利でした。
これは明治時代の日本陸軍の先生だったクレメンス・メッケルというドイツの軍人も断言したことがあるそうです(まあこれは、司馬遼太郎大先生あたりの創作の疑い濃厚だとか……)。

南宮山をはじめ主要な高所は西軍がすでに布陣していましたし、対する家康本陣を含めた東軍は低いところばかり。
そして東軍はほぼ一直線の陣形でしたが、西軍はそれを取り囲むような配置になっていました。
もし西軍がきちんと連携できて、前後と横から包み込むような進軍をしていたら、まったく違う結果になっていたでしょう。

しかし現実にはご存知の通り、小早川秀秋とそれに呼応した将たちのどんでん返しによって西軍は大敗してしまいます。

前置きが長くなりましたが、今日の主役はその裏切り者たちと戦った西軍の二人です。

慶長五年(1600年)あす9月15日、関が原の合戦が行われ、西軍の大谷吉継と平塚為広が戦死しました。

吉継さんなんかは三成に「アンタじゃ家康に勝てないんだから、戦はやめておけ」とさんざん言っていたのですが、受け入れられず参陣しています。

画・富永商太

画・富永商太

吉継と為広の2人は、秀秋の裏切りも予測しており、小早川隊から見て西軍の中で一番近い位置に布陣していました。
なんとも貧乏くじをひいた人物ですが、逆に「漢(おとこ)」の美学を感じさせます。

彼らの逸話を知っている人も一緒にウルウルしましょう!

 

裏切り者の小早川にも深~い事情が 

もともと小早川秀秋は秀吉の奥さん・ねねの甥っ子。秀吉の愛息・秀頼が生まれるまでは豊臣秀俊(ひでとし)と名乗っていました。将来、豊臣家の重きをなす人間として期待されていたのです。
しかし、秀頼が生まれたことによって秀吉の態度が急変します。
小早川隆景毛利元就の三男)に子供がいないっていうから、お前行ってくれない?」

なんというムチャ振りでしょうか。さすが天下の秀吉。留まるところを知りません。

しかし、そのご意向に逆らえない秀俊は命令に従って小早川家に入り、名前も秀秋と改めますが、秀吉の縁者であることには変わりません。関が原の戦いでは西軍で一番多く兵を率いていて、主力ともいえる状態でした。

それが吉継と為広の運命を決めることになってしまったのです。

一説には、三成もこの裏切りを予測していたとも言われています。
こっそり家康と連絡を取っていた秀秋はよほど挙動不審だったらしく、三成は「この戦が終わったら、あなたを関白にするし加増もしますよ」(だから妙なマネすんじゃねえぞ)なんてエサ……ごほん、褒賞の約束をしています。

関白の座よりも家康を選んだ時点で、秀秋のオツムの足りなさが表れている気がしますがね。

いや、もしかしたら「関白はあなたしかいない!」と言われてホイホイ参加したけど、西軍に参加してみたら「秀頼さまのために!」「美魔女の淀殿のために!」なんて声ばかりで、「あれ?あれ?あれ?俺、三成にダマされた?」ってなったのかもしれませんね。

 

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午前8時に合戦スタート!当初は西軍優勢だった 

さて、関が原の戦いが始まったのは午前8時ごろからといわれています。

が、お昼近くになっても秀秋ははっきりした態度をとりませんでした。
彼の目には西軍が有利に見えましたし、その時点では実際に西軍に勢いがあったのです。
単純な兵の数なら西軍のほうが多いですし、前日の杭瀬川の奇襲がうまくいっていたこともあり、士気は高かったのでしょう。

杭瀬川の戦い~家康&三成共にガクブルの関ヶ原前哨戦は西軍勝利だった

しかし、三成の先鋒として前線に出ていた島左近が負傷により一時撤退してから、徐々に雲行きが怪しくなってきます。
それでもぐずぐずする秀秋でしたが、矢継ぎ早に届く家康からの催促に耐えかねて、ついに正午過ぎ裏切りを決意しました。

鉄砲を撃ちかけられたという説もありますが、最近では「戦場でンなもん聞こえるんかいな?」と疑問視されています。
「鉄砲じゃなくて大砲だったんじゃ?」ともいわれていますね。

ちなみにこのとき、「裏切るとか武士としてありえんわ!もうアンタにはついていけない!!」と逆に秀秋を裏切った松野重元という常識人もいました。まあ、この松野さんのKYは残念すぎますが。

 

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寡兵で大軍を押し返すも、まさかの第二の裏切り

予想通り裏切った秀秋に対し、まず平塚為広が先鋒として応戦します。
平塚為広は秀吉の護衛をしたこともある力自慢の武将でしたが、所領は少なく、このときの動員人数も数百人ほどでした。
ですが大谷隊と連携・奮戦した甲斐あり、秀秋の先鋒隊を数回は押し返すことに成功します。

しかし、ここで第二の裏切りが起こりました。
秀秋の裏切りを警戒するために配置されていた脇坂安治・朽木元綱なども西軍に向かって攻撃を開始したのです。
その数、小早川隊と合わせて2万前後(諸説アリ)。
これにはさすがの平塚隊も耐え切れず、部隊は壊滅してしまいました。

為広は最後の最後まで戦いますが、雲霞(うんか)の如くわき続ける敵兵を見て覚悟を決め、急いで辞世の句を認めます。
そして近くにいた兵に敵将の首と手紙を託し「大谷殿へ届けてくれ」と言い残して壮絶な討死にを遂げました。
討たれるその瞬間まで得意の大薙刀を振るっていたのでしょう。

なだれ込む二重の裏切り者と、大谷吉継との戦闘がはじまりました。
このとき、家康からの秀秋の見張り役として来ていた奥平貞治という人が致命傷を負っています。
数で勝る部隊の、しかも前線に出ていたわけでもなさそうな立場の人間が、その日のうちに死ぬような傷を負ったというのですから、大谷・平塚両隊の奮闘振りが窺えますね。

 

平安時代かよ!まさかの辞世の句の交換日記エピソード!

しかしやはり多勢に無勢。
攻めるも退くもままならなくなった吉継の元に、為広からの使者が到着します。
手紙には辞世の句が書かれていました。

「君がためすつる命は惜しからじ 終(つひ)にとまらぬ浮世と思へば」
(意訳:主君や友誼を結んだ君のためになら、命を捨てるのも悪くない。この世で永遠に生きられるわけでもないのだから)

文字通り命を惜しまず、爽やかささえ感じるこの句を見て、吉継も覚悟を決めました。
返歌として次のように詠んでいます。

「契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも」
(意訳:もしあの世でも縁があるとしたら、死後の世界の入り口で待っていてくれ。遅かれ早かれ、私もそこへ行くだろうから)

そしてギリギリまで戦った後、吉継は側近に介錯を命じて自害したのです。(歌のやりとりとか結構、二人とも余裕あるよな)

こうして堰き止め役がいなくなった西軍は、「今こそ好機!」とばかりに動き出した家康本隊と裏切り者たちとに挟撃され、あっけなく壊滅してしまうのでした……。

圧倒的不利な状況でも最後まで戦った吉継と為広は、まさに武士の鑑ともいえるでしょう。

長月七紀・記

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【TOP画像】関ケ原合戦図屏風/wikipedia

 





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