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岩倉さんの髪形はどう見てもおかしい(Wikipediaより)

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その日、歴史が動いた

チーム「世界一周おつかい団」岩倉使節団の派遣が決定

更新日:

歴史を見ていると「よくこの時代・タイミングでこんなことできたな」って思うことがありますよね。

古代だと「目には目を」のハンムラビ法典の公平さとか、中世だと鄭和のアフリカ航海とか。
それらに比べればインパクトは弱いものの、明治初期の日本にも「今じゃできないよねソレ」な出来事がありました。

政府中枢の半数が国を空ける

明治四年(1871年)の10月8日、岩倉使節団の派遣が決定しました。
使節団とは大まかにいえば国のお使い。
もうちょっとそれっぽく言うと、使者の集団ですね。
明治新政府のナンバー2・岩倉具視を大使(リーダー)とし、副使(サブリーダー)に大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・山口尚芳の4人が就いていました。
政府中枢の半分が国を空けるというなかなかダイナミックなお使いです。

この他に書記官・随行員・留学生などが数十人つき、総勢107人という大所帯。
政府高官の中に「これからは女子にも充分な教育を受けさせるべきである」という意見が出てきたため、女性も含まれていました。
有名なのは津田塾大学を作った津田梅子ですね。
当時6歳でアメリカに留学したため、帰国後には日本語を忘れてしまっていたそうで。
やっぱり小さいときのほうが飲み込みがいいんですねえ。

岩倉さんの髪形はどう見てもおかしい(Wikipediaより)

岩倉さんの髪形はどう見てもおかしい(Wikipediaより)

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最大の目的は不平等条約改正

さて、この壮大なお使いの目的は主に3つ。
まずは幕末のどさくさに紛れて結ばされた、欧米各国との不平等条約を改正すること。
が、これは最初に訪れたアメリカで早くも難航し、なんと8ヶ月もかかったのに失敗しています。
内乱が治まったとはいえ、まだまだ「東洋人なんてサルだろwwww」という偏見が根強かった時代。
いくら岩倉が「私は貴族です!天皇にも信頼されててエラいんです!」と言い張ったところで、西洋人にとっては「誰それw悔しかったらウチらみたいに近代化してみろよwwwww」ってなもんです。

というわけで、この目的はいきなり頓挫してしまいます。
が、タダでは起きないのが日本人の日本人たる所以といいますか、切り替えが早いというべきか、「そんならオメーらの技術盗んですげえ国になってやる!!」と思い直しました。
西欧の文化や技術を学ぶ、これが2つめの目的です。

そこに絡んできますが、3つめは留学生の派遣です。
これにより学校や病院など、公共施設について学ぶことも重要でした。

訪問先は国名だけで12、その他各国の植民地も見ています。
当時の世界事情をざっくり見てみましょうか。

・アメリカは南北戦争直後、西部開拓中

・イギリスはヴィクトリア女王の治世中、産業革命に成功し富んでいく中で庶民や子供が犠牲に
・フランスは革命が一段落して、ナポレオン三世がパリ市街を改造していた頃
・ベルギーはオランダから独立して落ち着いた頃

・デンマークは鉄道ができていた
・スウェーデンは二院制議会が置かれていた

・ドイツやイタリアは統一したばかり
・オーストリアでちょうどウィーン万博をやってたので見物

だいたいこんな感じです。
この他にはオランダ・ロシア・スイスなども訪問しました。
帰国途中ではスエズ運河を通り、セイロン(現スリランカ)、シンガポール、サイゴン、香港等列強の植民地も見ています。
最後に立ち寄ったのは上海で、開港したばかりの市内を見学して帰ってきました。
この世界一周の社会科見学、船旅の期間も含めて1年と10ヶ月で周ったというのですから相当なハードスケジュールだったでしょうね。
前述の通り、アメリカで8ヶ月食ってますし。

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貴族のお遊びとの批判も憲法につながる

結局第一の目標・条約改正が上手くいかなかったため、帰国後は「貴族様のお遊びかよ!無駄遣いすんな!!」なんて言われてしまうんですが、もちろん成果もありました。

一つは今後模範とする国が定まったこと。
どこだと思いますか?
ヒントは「憲法」です。

そう、大日本国憲法のお手本となったとされているビスマルク憲法の国、ドイツです。
当時の宰相・ビスマルクは同時期に内乱から統一へ向かっていた日本に対し、親近感を抱いていたようで、使節団を夕食会に招いています。
他の国が「国際基準(=オレ達)に合わせて法律を作れ!」と主張する中、ビスマルクだけは「そんなモン気にしないで、富国強兵をもって独立を維持するべきじゃ」と発言し、使節団に深い印象を残しました。
大久保はこの発言に大きく影響を受け、「ビスマルク卿を見習うべし」とまで言っていますし、伊藤はビスマルクを真似て葉巻を吸っていたとか。
そこ真似しても仕方な……形から入るって事ですねわかります。

余談ですが、ビスマルクは身長が190cmくらいあったらしいので、今より小柄だった当時の日本人一行からしたらそりゃ大迫力だったでしょうね。
憧れるのもなんとなくわかる気がします。

八重の学校「同志社」設立にもつながる

もう一つは、教育機関に関する方針が決まったこと。
これには(まだ結婚する前の)八重の旦那さん、新島襄が大きな功績を残しています。
彼は当時アメリカでクラーク博士(「少年よ、大志を抱け」の人)について学んでいて、日本人で初めて学士号を取っていました。
その後使節団と合流し、ドイツで持病のリューマチが悪化したため療養・滞在することになるのですが、そこで欧米諸国の教育制度についてまとめた報告書の原案を出しているのです。
これをさらに別の人が「理事功程」としてまとめあげ、後々日本の学校制度を作る際の基礎資料となりました。

ちなみに当初の目的である不平等条約改正ができたのは、この使節団から数えて40年後の明治四十四年(1911年)。
なんと日清・日露戦争に勝ってからの話なのです。
当たり前といえば当たり前ですが、国同士の約束って一度取り付けちゃうとなかなか直せないものなんですねえ。
現在(*2013年現在です)「TPPを年内に妥結しろ!」なんて話が海の向こうから出ていますが、もうちょっと国内で審議してから決めて欲しいところです。

長月 七紀・記

参考:

http://ja.wikipedia.org/wiki/岩倉使節団

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http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2010/10/post-da58.html
http://netabare1.blog137.fc2.com/blog-entry-2209.html





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