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その日、歴史が動いた 江戸時代

ナゾ多き俳聖・松尾芭蕉 一日50kmを歩いて忍者説まで流される

更新日:

有名な人の謎というのはいつでも心惹かれますよね。
本能寺の変の黒幕にしてもそうですし、トンデモ?説では「家康は大阪の陣で幸村に討たれて、その後は影武者なんだよ!」なんてのもあります。
今日の主役も、日本人なら大多数の人が知っているのに謎の多い人物です。

元禄七年(1694年)10月12日、「おくのほそ道」で知られる松尾芭蕉が亡くなりました。

将軍でいうと五代綱吉が生類哀れみの令(実際はこういう名前の法律はないんですが)で史上希に見る悪評を受けていた頃です。
意外と江戸時代前半の人だったんですね。

 

一日50km歩いたことから忍者説まで流れる始末

芭蕉は名前が有名な割に、実はとんでもなく謎の多い人でもあります。

その最大の理由は「おくのほそ道」での日程。
一日辺り50kmも歩いている日もあり、出発時45歳とは思えないほどの健脚ぶりなのです。

人生50年と言われた時代の45歳ですから、今とは感覚が違います。
芭蕉は若い頃肉体労働で食いつないでいたので、体力はあったのでしょうが、それにしても早すぎる。
※ちなみに現代の成人男性が一日に歩ける距離は30~35kmぐらいが目安だと思います。長距離を徒歩で進みますと、平均時速3~4kmに落ち着くので一日10時間歩きっぱなしで30~35kmとなります。日本橋から小田原まで数日間かけて、実際に東海道を歩いた編集部員談

ということで、芭蕉といえば「実は忍者だったんじゃね?」という疑問が出てくるのです。
これは歩く早さだけでなく、「おくのほそ道」や同行者で弟子の曾良の日記と齟齬が多いことも関係してきます。
一緒に行動していたはずなのに、日付や天気が合わないのです。
芭蕉がボケていただけと考えることもできなくはないですが、そもそもボケているような人は本州の半分を歩けないでしょうし。

 

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「松島や・・・」は芭蕉の作品ではない!?

芭蕉はこの旅に出るきっかけを「松島の月が見たくなったので」としているくせに、現地では一泊しただけで一句も読んでいないあたりも実にアヤシイ。
ちなみに「松島や ああ松島や 松島や」は芭蕉の作ではないという説が濃厚だとか。
徒歩での旅に出るきっかけになった場所なら、もっと滞在してじっくり句を練っていても良さそうなものです。

その割に近所の「瑞巌寺(伊達政宗の菩提寺)や石巻港はじっくり見物していた」ということが曾良の日記に書かれています。

どちらも仙台藩にとっては経済・軍事両方の面でとても重要な場所。
このことから、「芭蕉は仙台藩の内情を調べるために、幕府から送られた忍者だったんじゃないか?」という説があるのです。

確かに俳人を装っていればカムフラージュはできるかもしれませんが、同行者に記録されてたら意味がないんじゃ……?

 

この説を否定する材料としてはっきり証明できるものはありません。

しかし、松島に滞在しなかった点については「うまく句が読めないほどの絶景だと感じたので、早めに次の目的地へ向かった」とも考えられます。
瑞巌寺や石巻港はただ単に興味深かった、それまでの疲れを取るためだった故の長期滞在という可能性もなくはないですよね。

移動距離についても、曾良の日記と噛み合わない部分がある以上、本当に一日に50km移動したとは限りません。
日付がずれているかもしれませんし、もしかしたら途中で馬を借りたこともあったかもしれないですよね。

ちょっと単純すぎて無理やり感もありますが、何でもかんでもパッと見てスゴイことを「ニンジャだ!」というのも短絡的すぎるんじゃないかなーと。
「日本には今でもサムライがいる」って思い込んでる外人さんじゃないんですから。

 

芭蕉の俳句がなぜかウクライナでウケている

外人さんといえば、なぜかはるか遠い東欧の国・ウクライナでは外国文学の一環として教科書で松尾芭蕉が取り上げられているそうです。
しかも東洋からは芭蕉だけ。
漢詩でも源氏物語でもなく、なぜか(二回目)芭蕉だそうです。何がどうしてそうなった。

俳句は単語数も少ないですし、特に芭蕉の句はわかりやすいものが多いですが、チョイスのいきさつを知りたいところですね。
いくら芭蕉が健脚でもウクライナまで行ってるわけがありませんし、何かきっかけになるできごとがあったのでしょうが……謎が謎を呼ぶとはこのことです。
案外、日本びいきのウクライナ人が教科書作っただけだったりして……いやいやまさか。

話がまとまらなくなってきましたが、最後に芭蕉の辞世の句に関するトリビアを。
一般的に、おくのほそ道の旅が終わった後に詠んだ「旅に病んで 夢は枯野を かけ巡る」が芭蕉の辞世とされていますが、実はこれの数日後に別の句を詠んでいます。

「清滝や 波に散り込む 青松葉」

とても死ぬ間際の人が詠んだとは思えない、生き生きとした良い句ですよね。
この句、もともと亡くなる年の夏に詠んでいたものを推敲したため、季節はずれの「青松葉」が季語として入っています。
これだとそれっぽくないので、「旅に病んで」のほうが辞世として伝えられたんでしょうか。

イメージは有名人ほど大切なものだ……ということですかね。

長月 七紀・記




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参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2006/10/post_b4e8.html
http://shabadaba.blog85.fc2.com/blog-category-8.html
http://murakaminaoyuki.blog7.fc2.com/blog-entry-37.html





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