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その日、歴史が動いた 徳川家 大坂の陣

狸親父こと徳川家康が大坂冬の陣へ出陣!

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京都から大阪へのロング&ワインディングロード

教科書に載っていても、顛末のよくわからない事件って結構ありますよね。
乙巳(いっし)の変という事件と大化の改新という政治改革のように、厳密には違うできごとがごっちゃになっていたりとか。
大半の学校で「歴史=暗記させるもの」と捉えられているので、意味や経緯まで手が回らないというのもあるんでしょうね。
そういうことも面白く教えてくれる先生に出会えると、自然に覚えられたりするんですけどねー。
というわけで(どういうわけだか)、今日は狸の本音を探ってみたいと思います。

慶長十九年(1614年)の11月15日、徳川家康が二条城から大坂城へ出陣しました。

大坂冬の陣の幕開けです。
「家康は豊臣家を滅ぼしたかったから、イチャモンつけて戦を起こした」という印象の方が多いかと思いますが、実は狸はここまでの間に結構な譲歩をしているんです。
家康から見れば秀頼なんて孫みたいな歳ですから、当初はまともに相手をするのも大人気ないと思っていたのでしょう。
血が繋がってないとはいえ、元主君の子供ですしね。
じゃあ何で最終的にケンカになったのかというと、豊臣側が家康の譲歩をことごとくはねつけてしまったからです。
時代を遡って、関が原の後から順に見ていきましょうか。

 

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秀頼を優遇した徳川家康 なぜ、ホワイ?

関が原の戦いで勝った後、家康は西軍の処罰を行いました。
この時点で豊臣家の所領を大幅に減らしたともいわれていますが、一番おいしい近畿地方を確保し続けていますから、最近では「その割に秀頼の財布分厚くね?」という研究結果が出ています。

関が原はあくまで豊臣家内の内紛でしたから、五大老筆頭である家康が当時7歳の秀頼に代わって処罰をするのは当たり前のこと。
それに、ここで既に豊臣家を滅ぼす気になっていたとしたら、ずっと大坂で秀頼についていればよかったわけですよね。
あれやこれやと吹き込んで、徳川家に政権を譲り渡すよう誘導するなんて簡単だったでしょう。
子供ほど洗脳……もとい、教育しやすいものはないですから。

でも、家康はそうしませんでした。
豊臣の姓も大坂城も朝廷での位も残したまま、大坂冬の陣が起こる年まで十年以上秀頼をほうっておいたのです。
それだけでなく、血の繋がった孫娘の千姫を秀頼の正室にやっています。
これは秀吉との約束でもありましたが、やはり家康にその気があれば破棄することもできたでしょう。
政治的な意味で丸め込むためであれば、「千姫は事情があってダメになっちゃったテヘペロ☆代わりに養女あげるね!」なんて手も使えたはずですし。

 

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石田三成がキレた結婚作戦も意外と

事実、石田三成を怒らせるための各大名家との婚姻にはほとんど養女を使っています。
ということは、やはりある程度の時期までは豊臣家を潰すつもりはなかったのではないでしょうか。

ちなみに、千姫が嫁いだのは家康が征夷大将軍になったのと同じ年でした。

「秀頼様は将来関白になるんだから公家ですよね。ウチは武家として幕府開きますんでよろしく。んでもって、公家のトップと武家のトップが結婚で結ばれれば万々歳!めでたしめでたし!!」なんて考えだったのかもしれません。
豊臣と徳川ではなく、公家と武家として付き合う形にすれば、対立する必要も成り行きもないことになりますから。

石田三成/wikipediaより引用

 

史上初のモンスターペアレント淀殿

その後も家康は武力行使をしないまま、何とか豊臣家を丸く治めようとした節があります。

「幕府も作ったし、これからはウチが政治をやるから形だけ臣下になってくれません?」とか、「新しい天皇陛下のお祝いに京都まで行きますんで、秀頼様もいらっしゃいませんか」などなど。
京都での会見だけは成功したものの、他の件についてはことごとく豊臣側が拒否してしまいました。
小説やドラマだとだいたい秀頼の母・淀殿がはねつけたことになっていますね。
後々講和を結んだときも「徳川方の砲撃で目の前の侍女が吹っ飛ぶのを見て、淀殿が大砲を怖がったから」という理由が大きかったそうですし、おそらく実際にもかなり口を出していたのでしょう。
こうしてみると、史上初のモンスターペアレントかもしれませんね。

しかし家康が譲歩を重ねていることがわからない豊臣方は、自ら戦の準備を始めてしまいます。
秀吉の遺産は莫大なもので、徳川家と一戦やるくらいの食料や兵士を集めるには余裕が有り余っていました。
そして実際に兵糧や浪人をどんどん大坂城へ入れてしまったのです。
家康も戦の準備はしますが、まだ自分から仕掛けようとはしませんでした。

 

国家アンコウってお前旨そうだな

これだけ心証を害された上に、双方が戦支度を始めたところで起きたのが例の鐘事件です。
教科書っぽくいうと「方広寺鐘銘事件」ですね。
多分「君臣豊楽」だけだったら家康も咎めはしなかったでしょう。
問題なのは「国家安康」のほうです。

現代ですら人の名前を書き間違い・読み間違いは失礼にあたりますよね。
当時は名前に対する扱いがもっと厳しい時代でした。
名前を呼ぶことはその人の本質・人格に対して働きかける行為にあたるとされていたのです。
親が子を、もしくは主が家臣を呼ぶときでもなければ本名を使わないのはこのためでした。
そういう時代に天下随一の権力者の名前と同じ字を、ぶった切るような並びで使ってしまったのですから怒られて当然です。
これについては当時も随分と物議を醸したようで、あっちこっちから「普通やらんだろ」「豊臣家頭大丈夫か?」とツッコまれています。
しかもこの文章、どこかから引っ張ってきたわけではなく、豊臣家がこの鐘のために作らせたもの。
そりゃ家康を呪うための文だと勘違いされても仕方のない話です。

それでも家康はまだ自分からはおっぱじめません。
一応弁解の機会は与えています。
ここで使者になった豊臣の重臣・片桐且元(かつもと)は、前々から徳川家と豊臣家の間を取り持つ役をしていたので、家康の怒りを感じ取っていました。
「そろそろ狸に頭下げておかないとヤバいですよ」と淀殿を説得にかかりました。
が、このとき出した条件はやはり淀殿の気に食わないものばかり。
当然受け入れるわけもなく、逆に且元は大坂城から追い出されてしまいます。

 

モンペに常識は通用せず

といっても、且元が出したのは武家としてはそう珍しい条件でもありませんでした。
「他の大名と同じく、秀頼が江戸へ参勤交代すること」
「(同上)淀殿が人質として江戸に住むこと」
「豊臣家が領地換えに応じること」
この三つのうちどれかをやったらいい、という話です。
「どれか」であって「全部」ではないんですね。
この頃他の大名はこれ全部やらされてるんですが、淀殿にはそうした常識が通用しませんでした。モンペ怖いよモンペ。

仲介役がクビになったことを知らされた家康、ついに交渉も譲歩も通じないと見て腰を上げます。
関が原のときと同じように、動くとなったら素早いのが狸。
且元が大坂城を出た10月1日には、豊臣家へ宣戦布告をしています。
家康が隠居所にしていた駿府を出たのは10月11日で、京都・二条城に着いたのは23日。
そこから半月以上京都にいたことになりますが、これは江戸から来る秀忠やその他の大名達を待っていたため。
そして軍勢がまとまった後は、キレた狸の容赦ない攻撃が始まるのでした。

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