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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

最後の源氏将軍・源実朝「オレは海賊王になる!」

更新日:

「男は夢のあるうちが花」とよく言われます。

目標に向かって邁進している人は大層魅力的に見えるという意味ですが、それは今も昔も、はたまた男女の別も関係ありません。
一見地味にしか見えない人が、胸のうちに大きな夢を抱いていることだってあるわけで。
当コーナーで、鎌倉幕府ネタがでると地味の代名詞扱いしていたあの人にも、そんな希望に満ちていた頃がありました。

建保四年(1216年)の11月24日、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が宋(当時の中国)に渡るための大船の建造を命じました。
なんでいきなりそんなことを言い出したのかというと、この時代らしい不思議な縁があったからです。

源実朝(Wikipediaより)

 

謎の中国人が人生をかえる

ある日、実朝の下に一人の中国人が訪れました。
名を陳和卿(ちんわけい)といい、平氏が八つ当たりで焼いた東大寺などを再建した建築名人です。
彼は「実朝様は徳の高いお人だから、ぜひお顔を拝ませていただきたい」というイミh……もとい、縁起のいいことを言い、謁見を許されました。
これがそのへんのオッサンだったら門前払いだったでしょうが、宋から渡ってきた有名人ですから特別に許してもらえたんでしょうね。

有名人がはるばる自分に会いにきたと聞いた実朝は、ウキウキ気分で会いに出てきます。
陳和卿はといえば、その顔を見るなりじわじわと瞳を潤ませました。……そこ、オッサンの涙とか誰得なんて言わない。
どうしたのかと実朝は尋ねます。

すると和卿は「貴方は前世で宋の医王山という山の僧で、私はその弟子でした。今生でも会えて嬉しいです。できれば貴方のために働きたい」と電p……お告げめいたことを話し出します。
もしここで実朝が「このオッサンいきなり来たと思ったら泣き出してキショイんですけど!者ども出会え出会え!!」とか言ってたら和卿は死んでいたでしょうが、なんと実朝は和卿の言うことを信じます。

別に実朝が電波を受信してしまったわけではなく、(当時の基準では)きちんとした理由があります。
あるとき実朝は、夢の中で見知らぬお坊さんに「おぬしは宋の僧(……)だったんじゃよ」と言われました。

胡散臭い夢だと思って誰にも話していなかったことなのに、初対面の和卿が合致するようなことを言ったので「あれは夢のお告げだったに違いない!」と感動してしまったのでした。
ときに実朝24歳。
12歳で征夷大将軍になっていましたから、子供らしい夢を抱くヒマもなかった代わりに権力はあります。
前世がわかったとなれば、縁の地にもぜひ行きたくなるわけで。

 

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おれの夢は将軍やキングじゃない!

実朝は和卿を信用し、医王山へ向かうための船を作らせました。
いきなり「宋に行きたいんです!」と言い出した若き将軍に、母・政子も重臣もビックリ仰天。
「どうしたんですか仕事がイヤになったんですかとにかく落ち着いて!」と皆で引き止めますが、実朝は聞きません。
すわ遅すぎる厨二病か乱心か、と慌てる周囲をよそに、船の建造は進みます。

しかし、翌年の春完成した船は、由比ヶ浜での進水式で座礁してしまいました。
和卿の設計がまずかったのか、はたまた別の問題があったのか定かではありません。
実朝はよほどがっかりしたのか、再建を命ずることなく渡宋を諦めます。
ここでブチギレて和卿の首を刎ねたりしていないあたり、やはり大人しい人だったようですね。

なぜあれほど渡宋にこだわったにも関わらず、あっさり諦めたのでしょうか。
それはどうやら、当時の将軍を巡る事情にも関わってきそうです。
皆さんご存知の通り、実朝は26歳の若さで甥っ子かつ養子の公暁に暗殺されてしまうのですが、この渡宋船建造の少し前あたりから、まるでそれを予見したかのような言動をしています。

鶴岡八幡宮の大銀杏(今は倒壊してない)の影に隠れていた暗殺者公暁にコロされてしまった(Wikipediaより)

 

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千の風に乗って風の辞世の歌

実朝は征夷大将軍の他にも、朝廷での位を持っていました。
この頃既に日本は落ち着いていて、大きな戦もなく平和そのもの。
したがって武士である実朝が昇進する理由は特にないのですが、にも関わらずガンガン位が上がっていっています。
「何もしてないのに昇進するといろいろやっかまれたり仕事を押し付けられたりしますから、征夷大将軍以外の位は返上したほうがいいんじゃないですか?」と部下に諌められているのですが、実朝は聞き入れませんでした。
「私の代で源氏は途絶えるだろうから、今のうちに名を上げておきたいのだよ」と言っていたそうです。

実朝には奥さんはいたのですが実子がおらず、だからこそ養子を取っていました。
それにまだ若いですから、これから子供に恵まれる見込みもあったはずです。
なのにどうして血が絶えるなんて考えたのでしょう?
兄で二代将軍だった頼家のように、「自分もいずれ暗殺される」と思っていたとしたら理屈としては合いますよね。

結果的に辞世となった歌にも、そう思っていたかのような節があります。
暗殺直前の朝に詠んだものです。

「出でていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」
(意訳:庭の梅よ、私はこの家を出て行くが、春には変わらず咲いていてくれ)

これは菅原道真の「こちふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな」の本歌取り(和歌の技巧の一つ。有名な歌をもじって詠むやりかたで、教養があることを示すもの)とされているのですが、道真がこれを詠んだのも京から追放されたときでした。
「こちふかば」のほうは意訳すると「梅の花よ、東風(こち)が吹く春になったら、遠く流された私のところにも春を教えておくれ」というところでしょうか。

それを踏まえて「主」は実朝自身、「宿」をこの世もしくは将軍の座、「春」を源氏の血と置き換えて考えると……(´;ω;`)ブワッ
たった一つ抱いた夢も頓挫し、いずれ殺されることを知っていて周囲を咎めもせず、どんな気持ちでこの歌を詠んだのでしょうね。
長月七紀・記

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参考:Wikipedia「源実朝」

 





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