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その日、歴史が動いた 中国

「四面楚歌!」漢王朝が興るきっかけとなった垓下の戦い

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もはや常識かもしれませんが、有名人が必ずしもイイ人だったり魅力的だとは限りません。
逆に悪人や凡人とされている人を詳しく調べていくと、深イイ話が見つかったりして。
後者については宇喜多直家や織田信忠などを取り上げましたが、今回は前者の例のような人のお話です。
先に言っておきますが、中国文明に私怨はないので中国人の方怒らないでください。
ところで、先日、なくなられたセゾングループ(というよりも無印良品)の堤清二さんは、長く中国との文化交流に取り組んだおかたです。合掌。

項羽四年(紀元前201年)の12月1日、お隣の中国大陸で漢王朝が興るきっかけとなった垓下(がいか)の戦いがありました。
紀元前のできごとは当コーナー初ですかね。
日付については諸説ありますが、12月だったのはほぼどこの資料でも一致しているようですので、今回は1日のこととして扱います。

15秒で分かる中国史=アホな皇帝が繰り返し出る

本題の前に、中国史はよくわからんという方もいらっしゃると思いますので、前提をお話しましょう。
極めて大雑把に言うとこんな感じになります。

1、有力者が統一

2、何代か経ってアホな皇帝が出てくる

3、国が乱れる

4、国家権力ジリ貧

5、新興勢力登場

6、皇帝家vs新興勢力または新興勢力同士でドンパチ

(最初に戻る)

まあ、中国に限らずどこの国でも似たようなものですがこの繰り返しです。
中国大陸の場合何がスゴいかって、世界史のほとんどの時代で最先進国だったというのに、同じ事を何回も繰り返しているという点です。
一つにまとまるにしては「中国」といわれる範囲が広すぎるんですかねえ。
これがイングランドとフランスみたいにしょっちゅう海を渡って他国と戦争してるとか、ドイツみたいにそもそも小国乱立状態だったんなら話がわかるんですが。
五千年の中華料理の神秘ってこういうこと?

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信と政のつくったキングダム崩壊

前置きはここまでにしまして、いよいよ本題です。
垓下の戦いの遠因は、キングダム秦王朝(始皇帝の王朝)に力がなくなったこと。
当然国は乱れ、次の皇帝になるべくさまざまな勢力が興ります。
この中で勢力を強めたのが項羽と劉邦でした。

二人は別々に兵を挙げたため、どちらが秦を滅ぼすかで競争状態。
先に秦の都である咸陽(かんよう)に近づいたのは劉邦でした。
これを知った秦内部の重臣がテンパり、皇帝を暗殺。おい落ち着け。
その重臣は劉邦に降伏したのですが、後からやってきた項羽は重臣本人どころか一族皆殺しにした上、美女や財宝を略奪し咸陽市街に放火という腹いせにも程がある蛮行に及びます。
この辺皆カルシウム足りなさ杉。

項羽はその後地元の楚(そ)という地方に戻り、「オレがここの王様だからな!」と宣言するのですが、当然他の地方の人はそんなもん認めません。
勝手に諸侯を任命したり国らしくするためにあれこれやるのですが、そもそも乱暴者の上あまりにもえこひいきの目立つやり方だったので、マグロの初競りを上回るスピードで項羽への恨みボルテージが上がっていきます。
何せ、秦との戦の最中でも「あいつら裏切りそうだから生き埋めにするわ」という理不尽な理由で20万人殺してますからね。
その親類縁者だけでも相当な反感を買っていたでしょう。

そしてとうとう劉邦を始めとした諸侯が次々に兵を挙げ、またしても戦が起きたのです。
権力者が自分のことしか考えないとこれだから……。

当然項羽も黙ってはいません。
彼は人の心の機微とか他人を気遣うとか公平さとかいう概念は全く持っていませんでしたが、戦に勝つ方法だけは知っていました。
一方劉邦は項羽ほど戦は得意ではなかったものの、他の勢力と協力することによって最終的に項羽を追い詰めることに成功しました。
その最終決戦が垓下の戦いです。

崖下に追い詰められた項羽は、そこで敵軍の中から懐かしい故郷の歌が聞こえてくることに気付きます。
それは一方向だけではなく、前後左右まさに四方からでした。
事ここに至って、項羽は故郷である楚(そ)の国の人までも敵になったことを知ります。
これが四字熟語「四面楚歌」の由来です。
項羽マジ項羽としか言いようがない。

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ここに至って女の詩を詠む項羽

そして一人悲劇のヒーロー気分になってしまった項羽は、詩を詠みました。
「虞や虞や 汝を如何にせん」と。
この期に及んで、付き従ってくれた部下よりも女「虞」さんの心配をし始めるときたもんだ。
さすが項羽さん俺たちにできないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれる憧れない!!
それでも項羽はその場で味方に刺されていないので、まだカリスマは消えていなかったようです。
この軍の兵ってキリストとか仏陀より心広いんじゃないの?

が、当然劉邦軍はそんな慈悲の心を持ち合わせていなかったので、項羽は奮戦の果てに自害します。
その遺体には兵が群がり、一時同士討ちまで起きたとか。スリラーかよ。

人間的にはアレでも武力に優れていたことは間違いありませんでしたから、あやかりたい人が多かったんでしょうね。
最終的に遺体と手柄を5人で分けたそうです。
こうして劉邦が勝利を収め、後世中国文明の象徴となった「漢」という王朝ができたのでした。

まとめると、「ワガママな乱暴者は友達の多い奴に勝てない」ってことですかね。

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