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その日、歴史が動いた 今川家

今川義元が死んでガクブルの今川氏真 「薩た峠の戦い」で部下にいきなり裏切られ……

更新日:

義元亡き後の今川家を物語る【薩た峠の戦い】

いつの時代も乱暴者がいれば風流人もいます。
この正反対の人が同じ家の中にいると、どっちかがけなされるのはかなりテンプレでしょう。

両方兼ね備えていて、どっちにも文句がつけられなかったのは細川幽斎・忠興親子くらいのもので、織田信長の兄弟にしろ徳川家康の息子達にしろ、大名の家族は比べられるのが必定。
昔からある一定の評価しかされていないと、「ああ、あのアホね」という固定概念がついてしまいますが、研究が進んで評価のひっくり返った人もいます。
今日の主役も、もしかしたら将来その一人になる……かもしれません。

永禄十一年(1568年)12月12日、今川家と武田家による「薩た峠の戦い」がありました。

この戦いは、桶狭間で今川義元が斃れた後の同家を知る上でポイントになる戦です。
……実際にはろくに戦ってないんですけど(ボソッ)。

薩た峠絵

歌川広重「東海道五十三次・由比」/wikipediaより引用

 

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すでに氏真に家督を譲っていた!? 

一昔前までは桶狭間の戦いが起きた頃まで、今川家の当主は義元と思われていました。

しかし、最近の研究ではその時期には既に嫡子・今川氏真に家督を譲っていたという説が有力なようです。
ということは、【当主がいきなり殺されちゃってバタンキュー】なんて、なし崩しな展開ではなかったということになります。

『今川家が滅びたのは氏真が蹴鞠ばっかりやってるアホだったからだ』

そんな風に思われがちですが、氏真は決して戦のわからない人ではありませんでした。
ただ、当時の敵が武田と松平(徳川)のダブルコンボという、もはやいじめレベルだっただけで、彼は彼なりにきちんと情勢を理解して戦おうとしているのです。

 

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甲相駿三国同盟を破棄した信玄が・・・

さて、本題の【薩た峠の戦い】に参りましょう。

きっかけは、松平元康(後の徳川家康なので以下家康で)が今川家から離反したことでした。多くの方がご存知の通り、家康は小さい頃織田家や今川家の人質になっていました。そのため義元が生きている間は逆らうことができず、今川家の武将として信長と戦ったこともあります。

しかし目の上のたんこb……もとい義元がいなくなれば、当然自分の家を自分で守りたくなるというもので。

これを横から見ていたのが武田信玄。

武田晴信

そもそも武田・今川・後北条の三家は「甲相駿(こうそうすん)三国同盟」という舌を噛みそうな名前の平和協定を結んでいました。

が、唯一内陸国である甲斐(現・山梨県)の武田家としては、やっぱり交易や軍事その他諸々の意味で海に出る道が欲しいわけです。
そこに今にも瓦解しそうな今川家がいるのですから、「よーしワシちょっとつっついてぶん捕っちゃうぞ☆」と考えるのも無理はない話。何が何でも取る気なので「ワシと協力して今川家を潰そうZE!」と家康に書き送る念の入れようです。

 

気がつけば目と鼻の先に武田の軍勢!

信玄が甲府を出たのが12月6日。
そして12日には駿河・庵原郡(現在の静岡県富士宮市あたり)まで来たというのですから、信玄のハッスル具合が窺えます。
今なら電車で数時間の距離ですが、当時はもっと道も悪かったでしょうし、一人二人の旅行じゃなくて当主率いる軍勢ですからそれなりの人数がいたはずで、武田軍の統率が取れていたことの証明にもなりますかね。

これを聞いて当然氏真は( ゚д゚)ポカーン。

元々同盟を組んでいたはずの相手が急に攻め込んできた上、もう目と鼻の先にいるというのですから「くぁwせdrftgyふじこ」状態です。
それでも武士の意地か、部下に例の文字化けする名前の峠で迎え撃てと命じました。

一方でもう一つの同盟相手で嫁の実家である後北条氏には援軍を要請し、さらに自らも出陣するなど行動を起こします。

 

先陣を命じた部下にいきなり裏切られ

氏真がエラいのは、すぐ背後といっていいくらいの清見寺というところまで自分も行っていること。ここは義元の軍師だった太原雪斎(たいげんせっさい)が住職を務めていたお寺です。
雪斎は桶狭間の前に亡くなっていますから、その弟子あたりと戦略を練ろうとしていたのかもしれません。

が、さすがに信玄のほうが一枚も二枚も上でした。

既に今川家の重臣にまで「氏真を見限ってこっちにつけば、悪くはしないよん」と誘いかけ、裏切るよう根回しをしていたのです。
そして運の悪いことに、氏真から迎撃を命じられた武将がその一人。出陣はしたものの、あっという間に陣を畳んで引き上げてしまいました。

他の裏切っていなかった武将も「そんならやーめた。どうせ氏真じゃ信玄に勝てっこないし」と解散してしまう始末。いつぞやの富士川の戦(わな)いじゃあるまいし……と思いきや、地理的には結構近かったりして。

「◯◯川が血に染まった」なんてのは戦国物の小説やドラマのお約束ですが、富士川には戦嫌いの神様か妖怪でも憑いてるんでしょうか。

この知らせを受けた氏真は、愕然としつつも急いで駿府へ戻るのですが……続きは明日の「今川館の戦い」で。

長月 七紀・記

参考

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http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/12/post_2ca0.html

 





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