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「わし苦手なんで、君」(絵・富永商太)

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その日、歴史が動いた

人質から天下人へ 艱難辛苦にまみれた徳川家康の人生とは【その日、歴史が動いた】

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「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
徳川家康の性格を表したものとして有名な句ですね。
信長や秀吉、明智光秀のものと同様に、これは家康本人が詠んだものではないのですが、どんな人生だったかを実によく捉えています。
とはいっても、家康は好きでのんびり屋になったわけではなく、奥歯を噛み締めながら「その日」を待っていたのでした。

「わしは大老であって奉行じゃないから」絵・富永商太

絵・富永商太

家康も父ちゃんも長男も幼名は『竹千代』なり 

天文十一年(1542年)の12月26日、後の徳川家康である松平竹千代が誕生しました。
家光の話でよくこの「竹千代」というのが出てくるので混乱しがちですが、これは松平家の嫡男が代々受け継いできた名前です。
家康のお父さん広忠も、おじいさんの清康も皆初名は竹千代でした。
諸般の事情で始末されてしまった家康の長男・信康もこの名前をもらっています。
要するに「次はこの子が継ぐから!」という表明でもあったんでしょうね。
しかし例によってややこしいので、以下家康で統一します。歴史はわかりやすくてなんぼ。

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幼い頃から人質生活 

世は戦国時代の真っ只中。
大名家の子供に生まれたからといって、安穏な暮らしが出来るとは限りませんでした。
幼い家康もまだまだ弱小大名に過ぎなかった松平家の嫡男として、あっちこっちへ人質に出されるなど苦難の日々を送ります。

徳川家康竹千代

人質どころか誘拐までされた家康に支払われた身代金は、当時のお金で5000万円ほどだったそうです/画・富永商太

何せ松平家は、家康の将来の栄達振りを前借りするかのように不幸の連続でした。
家康が人質に取られるのは仕方ないにしても、上記の広忠も清康も家臣に暗殺されているのです。
二人とも村正と銘の打たれた刀で殺されたといわれており、そのため後に真田幸村の愛刀が村正だったとかいろいろ箔がつく原因にもなりました。
とはいえ、家康も村正使ってたらしいんですけど(ボソッ

(参考「徳川家を呪ったとされる妖刀【村正】  家康が小刀でケガしただけで刀工は廃業の悲喜劇」

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太原雪斎に学問を習ったとか? 

そんな不幸真っ盛りの家から連れ出された将来の狸は、しかしそのおかげで運命的な出会いを果たした……ことになっています。
今川家の人質になったときには義元の軍師・太原雪斎に学問を習ったとか、織田家にいったときにうつけ真っ盛りの信長に会って気に入られたとかですね。

どちらも確かな資料がないのですが、小説やドラマでは定番のシーンになっています。
というのも、雪斎は義元に従ってあっちこっち戦に行っていましたし、信長は信長で弟に反乱起こされるほどの暴れん坊で、まともに城にいたことはほとんどなかったと思われるからです。
……だからこそ会いに行ってたかもしれませんが、まあ信長だから仕方ない。
この頃のエピソードとしては、「水を怖がる家康を、信長が頭から川に放り投げて落とした」といういかにも悪ガキのやることらしい話も伝わっています。現代から見ればどう考えてもイジメか殺人未遂ですよn…ゲフンゲフン。

普通に考えれば家康さんのライフはゼロなのよ! 

とまあ、そんなふうにあっちこっちたらい回し状態なうえに、もう少しでうっかり殺されるような目に遭っているので、人の十倍は忍耐力がついたわけです。常人ならMPとかSAN値とかいろいろゼロになっていたでしょう。
しかも義元が死んで晴れて自分の家に帰ったのに、今度は同盟を結んでいた信長が本能寺の変で死んでしまい、体勢を立て直すヒマもなく秀吉が実質的な後継者の座をかっさらってしまったため、家康の人生の8割はベンチウォーマーになるという笑えない事態になります。

そりゃこんだけ待たされてたら、「次こそは!」と思ってあっちこっちに根回ししますよねえ。
秀吉と家康は6歳差ですし、当時の寿命からすればいつポックリいってもおかしくありませんでした。
ただ金をばらまいたんじゃなく、恩を着せたり養女を嫁がせたりといったさまざまな方法をとったのも、60年近く世の中の流れを観察し続けた結果、より成功率の高い方法を探っていたのでしょう。

若い頃から武芸や勉強をたしなみ好奇心も旺盛だった 

家康=狸のイメージが強いせいで「でっぷり太って後ろでふんぞり返ってる親爺」と思いがちですが、若い頃からあらゆる武術に通じ、また勉強好きで、多趣味かつ新し物好きでもありました。
豊臣政権時代にもこれらを欠かさず、身体頑健でいられたことも最終的な勝因に繋がったのではないでしょうか。

こうしてみると、幼少の頃から老年に差し掛かるまでの苦労、身体能力と健康、手足になってくれる家臣たちという条件が揃った家康が最終的な勝利者になったのは当然だったのかもしれませんね。

 

(霜月けい・絵)

(霜月けい・絵)

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