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足利義満/wikipediaより引用

鎌倉・室町時代 その日、歴史が動いた

大物感満ちあふれる3代将軍足利義満 将軍になった時は11歳の少年だった!?

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誰しもいつかは通る道でありながら、親の葬儀や相続に関して大事なことを知らない人は意外とたくさんいます。

最近はツイッターなどで「こうしとかないとヤバイぞ!」という情報が出回るようになったのでまだマシですかね。ちょっと前はそのときになってからアタフタすることも多かったでしょう。
ましてやそれが年末年始とかぶった日にはもう、てんやわんやというか師も走るというかドタバタ劇というか。

何かとややこしくて教科書でもすっ飛ばされがちな室町時代にも、そんなメに遭った人がいました。

 

11歳で将軍となった足利義満

正平二十二年=貞治六年(1367年)の12月30日、足利義満が家督を継ぎ、11歳で室町幕府の三代将軍になりました。

この頃はまだ南北朝に分かれていたので、元号も二つあります。
父である二代将軍・義詮(よしあきら)が38歳という若さで急死したため、取るものも取り合えずという感の強い相続でした。
ついでにいうと、室町幕府の将軍はほとんど10歳前後~10代半ばで位についています。たまに青年将軍が出たかと思えば、とんでもなく短気だったりモグラ叩きのモグラ状態だったりしてロクな人がいな……ゲフンゲフン。

えー、話を戻しまして義満の時代です。
幼い主となると側近が牛耳ろうと動き出すのはもはや様式美ですが、この頃はまだ室町幕府自体ができたばかりだったため、案外幕府の中は穏便に済んでいます。
しかも国の中枢たるべき皇室は真っ二つになっているという有様で、プチ戦国時代のようなものでした。

もしここで外国から攻め込まれていたら、日本という国そのものの存続が危うかったでしょう。
ちなみにその頃、お隣の中国大陸では元王朝=モンゴル民族を追っ払うべく、テンプレ通りの内乱が始まっていたので「日本ぶちのめそうぜ!」なんて余裕はありませんでした。
このタイミングすげえ。

 

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京都府警を設立!

さて、義満がまず取り掛かったのは、幕府と将軍の権力を確立すること。
上記の通り、室町幕府はまだ名ばかりで中身が伴っていない状態です。
これをがっちり固めるためには、まず各地の武士達を臣従させることが最優先事項でした。

というのも、後醍醐天皇が「よーし(よくわかんないけど)150年ぶりに親政しちゃうぞ☆」と政治へ手を出したせいで、鎌倉幕府を倒した本当の立役者である武士達はろくに褒美がもらえないばかりか、血筋を理由に公家から見下されるなど損ばかりしていました。

そうなれば「そっちがその気なら自分で土地ぶんどったるわい!」と別の意味でやる気になってしまうのは時間の問題。
後醍醐天皇だけに逆らうならまだしも(?)、武士のトップである幕府にも従わない姿勢を見せている人が多かったのです。

尊氏も義詮もこの「どうにでもなーれ」といいたくなるような状態を何とかしようと頑張っていたのですが、義満の代までこの混乱は引き継がれてしまいました。何て迷惑な遺産なんだ。
が、かつて「この景色が気に入ったから持ってこい」と言い放ったほどの奔放な思考を持っていた義満ですから、今度もその発想力で危機を乗り切ります。

まずは朝廷から京都市街の警察権をもらい、ついでに将軍直下の軍や官僚機構を設けて幕府の「実」を整えました。
これで周辺の武士が「京をよこせ!」と攻めてきても、自力で撃退できるようになったのです。

 

仏教、平安文化、金閣寺、、ルネサンス到来!

次に、義満は権威を高めるため仏閣の建立に力を注ぎました。

後々彼自身が葬られ、戒名につけられることになる「鹿苑院(ろくおんいん)」などからなる臨済宗の大本山・相国寺もこの頃作っています。
応仁の乱を始めとしたその後の戦乱や、明治政府の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく。神道を優先することがなぜか仏教排斥に繋がり、お寺や仏像をぶっ壊しまくったという罰当たりにも程がある政策)で壊されてしまったため、今では跡形もなくなってしまっていますが……。

金閣寺自体は、今はお寺「鹿苑寺」の一部ですが、当時は北山台という「自宅」でした。

さらに、戦乱で長らく中断されていた歌会始(年始に朝廷で行われる和歌の会。現在も多少形を変えて皇室で続行中)などの行事を復活させるなど、「オレはエラい将軍様だから、こんなこともできちゃうんだぜ!」と自らの立場を大々的に喧伝します。

こうして幕府の存在を内外に知らしめた義満は官位も上がり続け、25歳の時には准三后(皇族でない人に皇族と同じ待遇を与えること)を宣下され、室町幕府を最盛期に導きます。
義満というと必ずセットで覚えさせられる南北朝の統一や勘合貿易も、この位があってこそのものでした。

いつの時代も、名前や位と実力が伴ってないとうまくいかないんですねえ。当たり前っちゃ当たり前ですけど、足利将軍で教科書に出てくるのが尊氏・義満・義政義昭しかいないのもわかる様な気がします。
でも義満さんは金閣寺以外にもっと知られてもいいと思うんですが!

長月七紀・記




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【参考】国史大辞典 足利義満/wikipedia

 



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