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その日、歴史が動いた

八甲田山雪中行軍訓練~真冬の青森で登山そりゃ遭難するわ!

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知らぬが仏という言葉がありますが、こと歴史や軍事において無知は大惨事の幕開けに直結します。
明治三十五年(1902年)の1月23日に始まった、旧陸軍の八甲田山雪中行軍訓練はまさにその典型でした。
「八甲田山死の彷徨」などでよく知られている、最終的な生存率5.2%という最悪の遭難事故が起きたときの訓練です。

その悲惨さがよく知られている事件ですが、実はこの訓練には二つの部隊が参加していました。
元々当時緊張が高まっていた対ロシア戦を想定していた訓練ですので、一部隊だけでは不十分と思われていたのでしょう。
参加したのは青森歩兵第5連隊(以下青森隊)と弘前歩兵第31連隊(以下弘前隊)で、それぞれルートも目的も日程も異なり、互いの訓練予定すら知りませんでした。
小説などでは悲惨さを強調するためか、この2隊が競争したかのような話にされていますが創作です。

冬の八甲田山(Wikipediaより)

 

二つの隊の命運はなぜ分かれたのか

実は、この2つの隊は真逆といっていいほどの結果を出しています。
遭難したのは青森隊だけで、弘前隊は途中の帰還者1名を除いて全員生還しているのです。
ルートが異なるとはいえ、なぜ同じ場所で訓練をしたのにもかかわらず、このような違いが出たのでしょう?
その理由は大きく分けて三つあります。

一つは気象条件に関することです。
当時は記録的な寒波と強風が日本全体に襲いかかっており、元々世界有数の豪雪地帯である八甲田山周辺はマイナス20℃にまで冷え込んでいたと推定されています。
ちなみにマイナス20℃というと、南極にある日本の観測基地・昭和基地の8月(真冬)の平均気温とほぼ同じです。
現在記録されている南極の最低気温はマイナス89℃なので、南極としてはマシなほうなんですが。
タロとジロを始めとする樺太犬の強靭さと人間の脆弱さがわかりますね。

二つめは、青森隊の情報収集不足です。
青森隊は元々平地出身の者が多く、八甲田山周辺の気候に詳しい者はほとんどいませんでした。
しかも、地元民が上述の寒さや天候悪化を懸念して引きとめたのも案内を申し出たのも断って訓練を強行したのです。
確かにいざ実戦となれば天候悪化はむしろ好機ですから、強行したくなるのもわからなくはありません。
ですが、訓練で命を落としたら意味がないという考えはなかったんですかね。
さらに情報不足・認識不足から、青森隊は厳寒地に赴くとは思えないほどの軽装で入山したといいます。
予備の靴下や軍手すら用意せず、さらには凍傷を防ぐための知識がなかったため「ちょっと温泉入ってくる」程度の認識だったそうです。

三つめは、急ごしらえの編成による指揮系統の混乱でした。
青森隊では訓練直前に本来の階級や職務と食い違った人間が入っていたため、兵士が「誰の言うことを聞いたらいいのかわからなくなった」という軍隊としてはあるまじきことが起きていたそうです。
途中から相談もなく指揮官が交代していたともいわれています。

これだけ悪条件が重なったら遭難は当然、生存者がゼロでもおかしくはなかったでしょう。
現実もその半歩手前といった程度ですが。

弘前隊はというと、この三点において全てクリアしていました。
青森隊より人数が少なかったため統率が取りやすかったということや、雪中行軍の経験者がいたことなども有利に働き、予定よりも1日遅れる程度で完遂しています。
ただし反対する地元民を無理やり案内させた上に途中で置き去りにしたため、案内人は全員重度の凍傷を負ってほぼ再起不能になったそうです。ひどいってレベルじゃねーぞ!
弘前隊だって彼らがいなければどうなっていたかわからないというのに、このことについて公になったのは30年近く経ってからのことでした。到底完璧とはいえませんね。

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凍傷としもやけは大違い

今でも軽装で冬山に入る人が後を絶たないので、ついでに凍傷と凍死に関するお話をしておきましょうか。
凍傷を単なるしもやけのひどいものと勘違いしている人がいますが、全く違います。
軽度であれば対処法もほぼ同じなのでその認識でも構いませんけれども、重度の凍傷は回復不可能なまでに細胞が死ぬため、切断せざるをえなくなります。
当然動かす事はできませんから、身動きが取れなくなり凍死に至る危険も高まります。
八甲田山遭難事件の生存者も、全員凍傷による細胞壊死で手足のいずれかもしくは両方を切断することになり、五体満足で余生を送れた人はいませんでした。
現代だったら、官民の死傷者全員の遺族から裁判を起こされているでしょう。

また、凍死というとシベリアや北極・南極を想像するかもしれませんが、現在の北海道や東北でも十分起こりうる事態です。
凍死の原因は低体温症という症状で、体温調節機能が追いつかないほどの冷気にさらされた場合に起こります。
人間の体温は通常37℃前後、これが32℃くらいまで下がると通常の思考や活動ができなくなり、さらに体温が下がると昏睡~死に至るのです。
たまに仮死状態になってから助かった人のニュースが流れますが、それはごくごく稀な事例であって滅多に起こることではありません。
よく調べもせずに冬山登山に行こうとしている人には「アンタ八甲田山みたいになっても知らんぞ」くらいのことは言っておいてもいいでしょう。

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しかし、青森隊の死は決して無駄にはなりませんでした。
この事件を教訓として、現在の自衛隊では指揮系統の維持と装備の徹底が厳守されるようになったのです。
自衛隊に関しては、米軍との合同訓練で雪山に行った際、一人の死者・遭難者も出さずに終える事ができたとか。
そのとき雪合戦やってたそうなんですが、ホントなんですかね。
旧軍はどうだったかって?……ワタクシめの口からは指揮官の質によるとしか言えません。
長月七紀・記

 





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