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「わし苦手なんで、君」(絵・富永商太)

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その日、歴史が動いた

江戸しぐさよ!建国記念日の翌日は徳川家康の将軍の日で祝日にせよ

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今も昔もお偉方といえば権力争い。
勝ったほうは当然出世し、負けたほうは良くて左遷、悪くて命を落とすなんてのはよくある話です。
左遷された場合はグレるか、「ここで終わってたまるか!」と奮起するか、もしくは「オレはもう駄目だ、ここで生きていくしかないんだ……」と諦めるかのどれかでしょう。
戦国大名でいえば、蒲生氏郷は諦めた派・伊達政宗や徳川家康は奮起した派ですかね。ちょっとズレますが、松平忠直あたりはグレた派でしょうか。
政宗の場合は生来の性格も大きかったでしょうけれども、家康は「その日」のために準備を整えていたというほうが正しい……かも。

慶長八年(1603)の2月12日、徳川家康が征夷大将軍に任じられました。江戸幕府の始まりです。

といっても皆さんご存知のように、この時点ではまだ豊臣家が健在ですから、建前上は「秀頼サマが成人なさるまで」ということになっていたかもしれません。
いきなり「今日から政治はウチがやりますんで」なんて言ってしまうと、日本史上最凶のモンペ・淀殿が何を言い出すかわかりません。
家康の本心を正確に知ることはできませんが、「もしかすると秀頼サマが成長したら、母親を説得してくれて豊臣家を滅ぼさなくて良くなるかも」と思っていたかもしれませんしね。そんな期待を持っていたところで、この12年後には完全に裏切られるんですけども。

 

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狸の腹については膨れていることくらいしか想像できないものの、江戸を含めた関東で一旗挙げるという考えは、おそらく秀吉にトばされたときから持っていたでしょうね。
当時関東の中心地といえば(直前に秀吉が滅ぼした)後北条氏の本拠・小田原でしたから、江戸はむしろ外れも外れ、ド田舎なんてものではありませんでした。
一応太田道灌という人が江戸城を築いてはいましたが、かなり簡素なものだったため、徳川家臣は皆「これイジメですよ!こんなボロ屋でどうしろというんですか秀吉は!!」と怒り心頭だったそうです。
関東一帯もまだ未開発の土地ばかり、江戸周辺は入り江も多く、不便にも程がある場所でした。

「若いおねえちゃんと大奥つくるぞ!」絵・富永商太

「若いおねえちゃんと大奥つくるぞ!」絵・富永商太

しかし家康はさすがに目の付け所が違います。
「ここは、手を入れればもっと豊かな土地になるはずだ」と気付きました。
平野が多く、海に面しており交通も便利で、気候も暑すぎず寒すぎず……ということは今整えられていないだけで、素材としては申し分ない場所だと見ることもできたわけです。
怒る家臣たちを「まあまあ、まずは家を建てて腰を落ち着けようではないか」となだめ、屋敷の建築に勤しみ、海沿いを埋め立て、さらに江戸城を改築したりして足元を整えました。

そして少しずつ田畑の開拓も進めていきます。
これには、税の取立ての問題もあったと思われます。かつて後北条氏が関東を治めていた頃、このあたりの税は(当時の基準としては)かなり低い割合になっていました。
ですから、もし家康が「今日からオレがご主人様だ!税増やすぞ!!」なんてやってしまうと、一気に農民の反感を招くことになりかねなかったのです。移封されたばかりの上、一向一揆で懲りていた家康としては何が何でも避けたい事態だったでしょう。
それをカバーするには、関東全域で採れる米の量を増やしたほうが効率が良いというわけです。

こうして家康は、江戸を含め関東一帯を豊かにしていきました。
秀吉としては「家康をド田舎にトばしたから、もう豊臣家がのっとられることはなかろ。見張りには蒲生氏郷を置いたし、うまくいけば潰しあってくれるかもしれん。ワシあったまイイ!」とご機嫌だったかもしれませんが、さすがについこの前まで農民だった人の考えは代々武士をやって(ついでにいろいろ苦労をして)きた家康に通じなかったということでしょうか。

秀吉は頭がいい人であることは間違いないんですけども、どうにもこうにも「目先」しか見えてない感が強いんですよねえ。家康は頭脳明晰というタイプではないものの、「○年後こうしたいから今こうしておくべきだな」という観点で動いていたからこそ、幕府を築けたのではないかと。

このままだと「狸△」というイヤなオチになってしまいますので、最後にアレな話も付け加えておきましょうか。
家康が征夷大将軍になったこの日からぴったり265年後、十五代将軍・徳川慶喜が江戸城を出て寛永寺へ謹慎しています。鳥羽・伏見の戦いから逃げ帰ってきて、「ワタシはもう朝廷には逆らいませんのでお許しを!」というポーズ(ガチ?)を見せたあの日ですね。
慶喜が日付を意識していたかどうかはやっぱりわかりませんが、徳川家にとって2月12日はいろいろ因縁のある日ということになりそうです。

それが天長節(建国記念の日)の翌日というのもまた……もしかして明治政府が天長節の日を決めたのも、これが影響してたりするんですかね。
もしそうだったとしたら、「あら、こんなところにホコリが」的なイヤミですね。ワーコワーイ(棒)

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