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その日、歴史が動いた 中国

崇禎帝~疑心暗鬼から自滅しちゃった中国明王朝の皇帝サマ

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用心深いことは多くの場合美点として評価されますが、これが行き過ぎると腰の重さや疑心暗鬼という弊害ももたらします。
今回お話しするのは、後者の面で自滅してしまったある君主の末路です。

1644年(日本の正保元年)、中国明王朝の皇帝・崇禎帝が自害しました。

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崇禎帝、いい人そう(Wikipediaより)

 

中国の「秀吉」明の初代皇帝・朱元璋

中国史は久しぶりですし、明のお話も初めてですので、まずこの王朝についていつものカンタンな説明から始めましょうかね。

明は、1368年に朱元璋(しゅげんしょう)という人が建てた王朝です。
朱元璋はもともととても身分が低く、その日の食べ物にも困るような暮らしをしていたことがあるという異色の皇帝でした。そのため彼は理想が高かったのか、国を万全なものとするために対外戦争や内政など、全ての方面に八面六臂の大活躍をしました。
しかし晩年の朱元璋は、「麒麟も老いては駑馬に劣る」という言葉そのままの暴挙を働いてしまいます。後継者が心配だからというだけで、有能な家臣を次々と殺してしまったのです。

「彼らを放置しておくと、いずれクーデターを起こして息子や孫の地位を脅かす”かもしれない”」という理由でした。

それでも民衆にとっては農業や税制の改革をやってくれたので、良い皇帝として称えられています。
民衆からの人気や晩年の耄碌ぶりなどは豊臣秀吉とよく似ていますね。政権の末路もある意味似通っているかもしれません。

初代皇帝(Wikipediaより)

 

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偉大な初代皇帝の悪いところばかり真似てしまい

本日の主役・崇禎帝は、朱元璋の悪いところを再現したかのようなことをやってしまって自滅したからです。

朱元璋が万全を期したとはいえ、さすがに250年も経つとあちこちで問題が起きはじめます。
北方からは異民族(女真族。後々清を建てた民族)の侵略、南方では反乱が起きて滅亡の兆しが見えていました。

崇禎帝の先代で兄である天啓帝がロクにこれらへ対策をせず、私腹を肥やしたため崇禎帝はこうした大問題を同時に二つも対処しなくてはならなかったのです。さぞ「ニーチャン勘弁してくれよ」と思ったことでしょう。肖像画だと崇禎帝のほうがヤバイ目しt…何でもありません。

彼は即位すると、直ちに兄の下でいろいろやらかした魏忠賢という宦官(アレを切り取る代わりに出世の道が開けた中国諸王朝の役人)を始末し、新たに徐光啓という人物を重用して明を立て直すべく頑張ります。
本人の性格も真面目で、「最後の王様」にありがちな酒色に溺れるというようなこともなく、自ら倹約をして財布の紐を締めるなど、良い皇帝になれそうな人物でした。

中国史に必ず登場する「宦官」の恐ろしき実態 特に明王朝の腐敗っぷりがヤバイ……

 

真面目すぎて人間不信 名将も処刑

猜疑心で丸々と…ってことはないだろうが(Wikipediaより)

が、彼にはそうした長所を全ておじゃんにするほどのデカ過ぎる欠点があったのです。それが猜疑心の強さ、人間不信でした。

朱元璋のように子孫のことを考えてというよりは、「誰が裏切るかわからないから、とりあえずエラい奴は裏切る前に殺しておこう」というような状態で、奸臣忠臣問わず手当たり次第に処刑してしまったのです。

中でも「袁崇煥は異民族と通じている」という噂を信じて、この北方民族からの侵略に一人で対応していた名将を殺してしまったのは最悪でした。
この噂そのものが後々清王朝の二代皇帝になるホンタイジの計略で、崇禎帝は見事にハメられてしまったのです。
民心もどんどん離れていき、南部の反乱軍へ加わるものが続出する有様でした。

当然鎮圧のための軍費もかさみますが、崇禎帝はこれを民への増税という一番アカン手段で対応しようとします。これが皇帝への不信に拍車をかけ、反乱軍は潤ってゆくという悪循環を生み出しました。

 

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最後に残った部下は一人

しかし崇禎帝は既に客観的な視点で物事を見ることができなくなっており、改善することができないまま即位17年後の春、北京を反乱軍に包囲され自害に至ったのです。
最後に助けを求めたとき、崇禎帝の元に駆けつけたのは王承恩という宦官だけだったといいます。彼は崇禎帝の息子達を逃がしてくれたのですが、兄の時代に専横を働いた宦官を殺して安定を図った崇禎帝が、死に際してアテにできたのは宦官一人というのは何とも皮肉なものです。

王承恩は宦官には珍しく徹頭徹尾、忠誠を貫いた人物で、崇禎帝が縊死した後その隣で自らも首を吊って殉死し、お墓も崇禎帝のすぐ側に作られたとか。

その後は朱元璋の別の子孫が明の亡命政権(南明)を作って何とかしようと頑張った時期もあったのですが、北方民族の建てた清王朝に敗れ、血筋も国も跡形もなく消えてしまいました。

崇禎帝にとっては仇である反乱軍の頭・李自成を討ったのが女真族というのもまた何ともいえないところです。女真族が「明の正当な後継者である」という形を調えたかっただけなんですけども。体裁って本意がバレるとヤな感じですよね。

こうしてみると、王様に一番必要なのは「人を信じること」や「人を見る目」なのかもしれません。
有能の代名詞みたいにいわれている諸葛亮(孔明)だって、劉備が「馬謖を重用するべきではない」と言ったのを聞かずに後で痛い目を見ていますからねえ。
能力と人望・観察眼は兼ね備えにくいということでしょうか。

長月 七紀・記

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/崇禎帝
http://words-words.blog.ocn.ne.jp/wordswords/2007/06/post_c6ff.html




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