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その日、歴史が動いた

戊辰戦争の翌年 全国に小学校設置が決定 けっこうすごい日本の教育制度【その日、歴史が動いた】

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ここ最近「外国すげえ」という話を多く取り上げてきましたが、我らがニッポンだって負けていません。

例えば、明治維新の際あれほど急激に改革を進めることができたのは、江戸時代のとあるシステムのおかげでもあるのです。
本日はそこと絡めて、日本の教育制度のお話をさせていただきます。

明治二年(1869年)の3月23日、全国に小学校を設置することが決定されました。
理由はお馴染み「西洋に追いつけ追い越せ」やらなんやらいろいろありますが、国民の意識を統一するため、教育を一元化しようというねらいが大きかったと思われます。
では、それまで=江戸時代の学校とはいったいどんなものだったのでしょうか。

江戸時代の学校は、大きく分けて三つありました。
庶民が最低限の読み書きや道徳などを習う寺子屋、各藩が藩士の子供達を教育するための藩校、そして学者などが自分の主義主張や学説を広めるために作った私塾です。
寺子屋は数が多すぎて個別の名前が話題になることはほとんどありませんが、藩校や私塾には有名なものがいくつかありますので、聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。藩校だと水戸の弘道館や熊本の再春館、私塾では吉田松陰の松下村塾・シーボルトの鳴滝塾あたりがよく話題になりますね。
幕府が運営していた儒学の学校なんかもありましたが、めんど……ややこしいので割愛します。

平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた、旧吹屋小学校。明治6年(1873)に開校し、同33年(1900)には木造平屋建の校舎が完成(高梁市観光ガイドより)

平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた、旧吹屋小学校。明治6年(1873)に開校し、同33年(1900)には木造平屋建の校舎が完成(高梁市観光ガイドより)

高い識字率 今はスタンプだけどね

こうした各種学校が江戸や京都・大阪だけでなく全国に数多くありましたので、日本の教育水準は当時の世界各国と比べてもかなり高いものでした。

識字率にして最高80%超えといわれていますが、これはヨーロッパの国々と比べても数倍の数値です。もっとも、読み書きといっても「自分の名前だけ書ける」「手紙を書ける」「書類を作れる」などいろいろなレベルがありますし、それらを全てひっくるめて考えた場合の割合だそうですけれども。しかし、室町時代に書かれた「二条河原の落書」の作者が京童という説もありますので、江戸時代以前から「庶民が読み書きできる」というのは珍しくなかったのでしょうね。
ちなみに19世紀のイギリス(大英帝国最盛期)ですら識字率は20%程度です。開国当時のヨーロッパ人は「庶民が文字を読んでやがる!何てクレイジーなところなんだ!!」と思っていたかもしれません。

そういう状況でしたので、別に明治政府が教育制度に関して負い目を感じる必要はなかったどころか、むしろ識字率の高さを誇ってもいいくらいだったのですが、一つ問題がありました。
寺子屋や私塾ではそれぞれ好きな書物やお師匠様が手作りした教科書を使っていたので、教育の中身がバラバラだったのです。これじゃ幕末に「気に入らないヤツ皆ブッコロ!」なんて物騒な状態になるのも仕方ありません。
ですが「日本」として統一を図りたい明治政府はこれを放置しておくわけにも行きませんから、教育要綱を統一した「小学校」を設け、日本人に共通の意識を作ろうとしたわけです。
……昨今の教育現場で起こっているアレコレの事件を見ますと、とても共通の意識が持てているとは思えませんがウォッホン。

寺子屋の様子(Wikipediaより)

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給食費不払いどころでない高額な小学校

しかし、庶民にとってこの小学校という制度ははた迷惑極まりないものでした。なぜかというと、月謝がハンパなく高かったのです。

寺子屋や私塾では各家庭の状況によって「アナタのお家は今大変だから、月謝は少なくてもいいよ」「先生、今月のお野菜です」なんて風に現物での支払いや月謝額の調整に応じてくれていたので、生活が苦しい家でも安心して子供を学ばせることができました。それが当たり前のところに「皆一律で同じ月謝を払え!」と言われても、横暴にしか聞こえないですよね。
このためごく初期の公立小学校はセレブの坊ちゃん嬢ちゃんだけが通うところで、とても庶民の行けるところではありませんでした。

これを憂えたのはかつての寺子屋や私塾のお師匠様達です。
彼らの多くは安い月謝で生活がギリギリでも、子供を教えることに対して非常に熱心な人達でした。
「カネのせいで読み書きや生活の知恵が身につかなかったらどうしようもねえべ。オラたちにまかせてくんろ」ということで、公立学校よりも安い月謝で私立の学校を作り始めます。名門大学の沿革を見てみるとよく「前身は○○塾です」と書かれていますが、こういう理由もあるんですね。

当然明治政府にとっては面白くないので、あれこれ制度を整えて対抗しました。それでもなかなか成果が上がらず、ついに「小学校は月謝ナシにします!」と踏み切ってからやっと公立の小学校へ通う子供が増えたそうです。
ちなみにタダになったのが明治三十三年(1900年)で、大正四年(1915年)には就学率90%に達したそうです。現金というかなんというか。

こうして識字率の高さに加えて教育内容をほぼ統一することができ、各分野の人材が育つ基盤が出来上がりました。
身分制度がなくなって「平民からの出世」がしやすくなったというのもあるでしょうけれどもね。
社会人になるとなかなか何かを集中して学ぶのは難しくなってきますので、学生の皆さんは「学校に行かされる」というよりは「学校を使い倒してやんぜ!」くらいの勢いで勉強や部活に励んではいかがでしょうか。
べ、別に設備がいい学校だったのにフル活用できなくて今更後悔してるとかそんなんじゃないんだから!勘違いしないでよね!
長月七紀・記
参考:

今日は何の日 徒然日記

Wikipedia(寺子屋)

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