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その日、歴史が動いた 合戦

織田政権を支えた婿と舅 森長可と池田恒興が小牧・長久手の戦いで死す――

更新日:

 

嫁と姑の争いはよく聞きますが、婿と舅の場合はどういうケースが多いんでしょうね。
「娘さんをください!」「バカモン!」的なやり取りの後は飲み仲間になったりするんでしょうか。

そんなやりとりの有無や親密さはよくわかりませんが、戦国時代には同じ戦で命を落とした婿と舅がいました。

天正十二年(1584年)の4月9日、小牧・長久手の戦い中に亡くなった池田恒興と森長可です。

小牧・長久手の戦いは非常に広い局面で長期間にわたり展開されましたが、ピークは秀吉軍の2人の武将の死でした(小牧市サイトより)

恒興は信長の乳兄弟で長可は信長のお気に入り

この戦いは本能寺の変の後、信長の後継者の地位を巡って起きたもので、秀吉vs織田信雄(信長の次男)&家康という構図でした。

恒興と長可は二人とも秀吉についており、信雄方についていた水野勝成という武将の隊の狙撃により亡くなっています。実の親子であれば同じ隊の主将と副将、あるいは別の隊でも連携して行動するのは珍しくありませんが、婿と舅でしかも両方戦死というのはあまり聞かないですよね。

もしかすると、その理由は信長時代からの付き合いにあったかもしれません。

時を遡って信長存命の頃、二人は主からの信頼を特に受けているとして有名でした。
恒興は信長の乳兄弟、長可は信長のお気に入りだったからです。

その流れからか「オイ恒興、お前の娘を長可にやれ」ということで池田家と森家は縁を結ぶことになりました。

信長の乳母兄弟の池田恒興(Wikipediaより)

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勇猛でもあるが凶暴でもある

おそらく恒興からすれば主命とはいえ、戦々恐々な気持ちだったでしょう。

長可は織田家臣の中でも際立って勇猛でしたが、同時に凶暴ともいえるほどの苛烈さを持っていたからです。
撫で斬り(皆殺し)や無差別発砲など、容赦のなさが札付きであることは恒興も充分知っていました。

その他信憑性のアヤシイ逸話では「長可がどんなに(ピー)なことをしても信長は咎めなかった。えこひいきすげえ」ということになっているのですが、信長は軍規違反に対してはきっちり叱り付けています。

……叱っただけで終わらせたことは甘いといえば甘いですけども、信長からすれば「品行方正な無能」より「凶暴でも有能」なほうが有用だったでしょうから、ただのひいきというのはちょっと違う気がします。

事細かに記された遺言状には…

一族ほぼ全滅の憂き目に「娘は武士にやるな」の遺言のせつなさ…(Wikipediaより)

それに、戦以外での長可は案外(?)マトモな面も持っていました。

父と兄の戦死により13歳で家督を継ぎ、15歳のときには既に他の重臣達と同じような仕事を任されていましたし、自分の領地の特性をよく見極めて特殊な税制度を作ったりと、ただの乱暴者ではなかったのです。
特に税制度については地元兼山(現・岐阜県可児市兼山)で明治時代まで守られたほどでしたから、領民からは比較的良い殿様と見られていたのではないでしょうか。

また、武将としていざというときの心構えもきちんとしていました。

長可が亡くなった後、森家の家臣たちが秀吉に届けた遺言状には事細かな気配りが記されているのです。

「名茶器と金山は秀吉様へ差し上げたい」
「弟(後の忠政、初代津山藩主)は秀吉様のお側でお仕えすること。森家の跡目なんて継がなくていい」
「娘の嫁ぎ先は武家ではなく、町人にしてもらいたい。できれば医者がいい」
「妻(恒興の娘)は池田家の城に戻れ」

という、とても「汚物は消毒だーっ!!」レベルの残虐さを持っていた人物とは思えないほどの指示の細かさでした。

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もし味方が全滅したら城に火をかけて自決してね★ 

特に娘や妻の身を案じていたことを見ると、良くも悪くも情の濃い人物であったことが窺えます。

母・妙向尼も本能寺の変の直後に「殿(長可の父・可成)が亡くなられた後も生きてこられたのはお前達や孫の成長を見たかったからなのに、もう四人も戦で先立ってしまった。武士として名誉なこととはわかっているけれど、私は何のために生きているのだろう」と言っていたそうですしね。

もしこの優しさが妻への態度に現れていたとしたら、恒興からも「信頼できる婿」と思えそうですよね。

同じ織田家の人間だったのですから、手紙や時候の挨拶・贈り物などもしやすかったでしょうし、父娘の間で送り合ったこともあったでしょう。
詳しい記録がないので「こうだった」と言い切ることはできないにしても、お互い良い婿・良い舅と感じていたのではないでしょうか。いや、そうであってほしいものです。

……たとえ、長可の遺書の最後が「もし味方が全滅したら、お前ら家族皆城に火をかけて自決してね★」(超訳)でも。

長月 七紀・記




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参考
http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakiyama/kassen/002859.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/池田恒興
http://ja.wikipedia.org/wiki/森長可
http://ja.wikipedia.org/wiki/小牧・長久手の戦い
http://ukikimaru.ran-maru.net/ran/morikejosei.htm
http://ukikimaru.ran-maru.net/ran/nagayosi1.html#11

 




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