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その日、歴史が動いた 江戸時代

吉宗の息子を自称して処刑された天一坊 彼が思いこんでしまった母の一言とは

更新日:

1729年に処刑された天一坊改行 なぜ?

一度人間として生まれたからには、何かしらの点で名声を上げたいと考えるものです。

実際に名を上げた人は、どちらかというと「何かを一生懸命やっていた結果有名になった」というケースが多い気がしますけども。
で、特に努力や由来があるわけでもない人間が有名になろうとする場合、やることはいくつかのパターンに分かれます。
犯罪でもでっちあげでも、とにかく「世間を騒がす」ことです。「ワタシはあの○○の子供なんです!」なんていうのはもはやテンプレですね。近年では最後のロシア皇帝・ニコライ二世の四女アナスタシアを名乗る女性の件が有名でしょうか。
性別は違うものの、似たような事件が江戸時代の日本でも起きていました。

享保十四年(1729年)のあす4月21日に処刑された、天一坊改行という人物です。

 

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天一坊「わたしは徳川吉宗の息子であるぞ!」

彼はときの将軍・徳川吉宗のご落胤を名乗り、「私は近々大名に取り立てられるだろう」といい始めたため、召抱えてもらおうと浪人がわんさか集まってきて騒ぎになりました。

こうした「ご落胤」の話は時代劇の鉄板ネタとも言えるものですが、ほとんど江戸城内から出ることない将軍や大名がなぜよそで子供を作れるのかという点にツッコミたい方もいらっしゃるかもしれませんね。

理由というか経緯は大きく分けて二つあります。
一つは二代将軍秀忠と保科正之のように、大奥の中や城内の身分の低い女性に手をつけてしまった結果、大当たりしてしまったというケース。

もう一つは、地元の女性と行きずりの関係を持ってしまった場合です。どっちもベタですね。

 

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暴れん坊将軍だけに、信憑性あると思われたが

特に吉宗の場合、若い頃から身体頑健で昼も夜も大変お元気だったそうなので、地元で手をつけた女性は数知れず。
この件について報告があった際も、「……身に覚えがある(´・ω・`)」という反応だったそうです。あーあ。

吉宗どころか世界中いつでもどこでも同じなんですけども、デキて困るような相手と関係を持つなという話ですね。
当の本人がどっちともいえない反応だったため、いくら眉唾でも天一坊を即座にしょっ引くわけにはいきません。各所の担当者が慎重に慎重に調べました。
そして本人にも聴取をした結果、驚くべき事実がわかったのです。

ご落胤説は彼の思い込みであるということが。

思い込むまでの経緯としてはこんな感じです。

1.吉宗がまだ部屋住み(穀潰し同然)だった頃、天一坊の母親が和歌山城に奉公していた

2.吉宗に?手をつけられて見事命中

3.母親は実家に帰されて天一坊が生まれた

4.母親と共に江戸に来た。母親は町人と結婚

5.母死去。「”吉”の字を大切にしなさい」と言い残される

6.天一坊、「吉といえば吉宗様。そして私は紀州の生まれ。ということは、吉宗様が私の父に違いない!いずれ大名になれるはずだ!」と勘違いする

7.伯父から「いずれ幕府から連絡が来るだろう」と言われていたため、勘違いが加速

8.浪人たちが噂を聞きつけてぞろぞろやってくる

9.いろいろウソをついて引くに引けなくなる

10.幕府に見つかりました\(^o^)/
つまり、「そもそも母親が妊娠したきっかけが本当に吉宗なのかどうか?」すら怪しかったのです。
しかも吉宗が「吉宗」と名乗ったのは宝永二年(1705年)で、それまでは頼方(よりかた)という名前でした。
天一坊は元禄十二年(1699年)生まれですし、さらに本名にも”吉”はついていませんし、時期的にも合わないので「”吉”の字を大切にしろ」というのも辻褄が合いません。

 

幕府は最終的に「アイツは偽者!」という結論を

どちらかというと「母親が手をつけられたのは、吉の字がつく和歌山城内の別の人物だった」というほうがありえそうな話です。
天一坊が生まれた時点での将軍は綱吉なので、武家では”吉”を避ける傾向があった(避諱)にせよ、どこまで徹底していたかは疑問ですし。
こうした諸々のツッコミどころが浮上してきたため、幕府は最終的に「アイツは偽者!」という結論を出しました。

そして「ご落胤を名乗り、浪人を集めて世間を騒がせたのはけしからん」ということで打首獄門になります。

ちなみに、打首は首を刎ねる刑、獄門は首をさらす刑です。順番として打首→獄門になるため、もはや慣用句扱いになってますが。

江戸時代の刑罰は複雑な上基本的にグロいので詳細は省きますけども、類似の犯罪が頻発しないように、犯人や遺体を晒すというのはよくあることでした。

この辺が現代の日本で「死刑は犯罪抑止効果がある」という考え方が根強い理由なのかもしれません。
現代で晒したとしたら、また「加害者の人権が!」っていう話になるんでしょうねえ。その他の理由からしてもまずやらないと思いますが。
何はともあれ、天一坊の処刑によりこの騒動は一段落し、その後みだりに「将軍のご落胤」を名乗る人物は出てこなかったようです。
いわゆる「悪魔の証明」に近いものですから、ウソがバレるorウソということにされる→どっちにしろ処刑されてリスクしかないという認識が主だったのでしょう。

比較的近年にも落胤を名乗った人物の詐欺事件がありましたが、懲役で済む世の中で良かったですね。
というか、今の時代にご落胤を名乗るとむしろ父親もしくは母親にあたる人物の名誉毀損になりそうです。「アナタが夜の生活にだらしなかったおかげでワタシは苦労した。だからお詫びと思ってカネと名声をください」って言ってるようなものですから。
でも、またそのうち誰かが言い出すんでしょうねえ。

長月 七紀・記

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参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/04/post_ba72.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/天一坊事件

 





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