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その日、歴史が動いた 細川家

武家の名門に生まれた細川忠興は「アレな伝説」No.1の戦国武将でした

更新日:

5月2日は、お茶の歌で有名な八十八夜です。

となると日本茶のお話をするのが妥当なところなんですが、残念ながら当コーナーでは昨年10月31日に記事にしてしまっているので、本日は高名な茶人でもあった戦国武将にスポットを当ててみたいと思います。

その人とは、先日ご紹介した細川藤孝(幽斎)の息子・細川忠興です。

先日お父さんの記事で散々「アレ」扱いをしてしまったため、複数の方から「息子はどんだけだったのよ?」というツッコミを頂戴してしまいましたので、遅くなりましたがフォローを入れておきたいなぁ、と。

では、本題に入りましょう。

 

信長のお気に入りで長男から「忠」の字も貰っていた

細川忠興は、永禄六年(1563年)の11月13日、細川藤孝の長男として生まれました。
お父さんが足利義昭と一緒にあっちこっちに流浪していたため、幼い忠興はほとんど家臣の家に預けられっぱなしだったそうです。
危険を回避させるためという面もあったのでしょうけども、後年の忠興の行状を見ると「この家臣さんの教育があまりよくなかったんじゃなかろうか……」と思わざるをえません。
小さい頃に「忠興が信長の前で踊りを披露した」という話もあるので、一応織田家の勢力下のどこかにはいたようですけども。

織田信長からは割と気に入られていたようで、織田信忠の「忠」の字を与えたり、14歳で明智玉子(細川ガラシャ)との結婚したときには「人形のように可愛い夫婦だな^^」なんて言っていたという話があります。
かなりほのぼのしたエピソードで逆に空恐ろしくなるどころか、家紋についても興味深い話がありまして。

「お前、この紋が好きだって言ってただろ。結婚して一人前になったんだし、使っていいぞ」

と、九曜紋(真ん中の丸を一回り小さい丸八つが取り囲んでいるスタンダードな家紋の一つ)をくれたとか。信長さんと忠興の間には比較的心温まる逸話が多いですね。

イラスト・富永商太

イラスト・富永商太

 

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本能寺の変が勃発! 嫁・ガラシャは光秀の娘だけに……

ちなみにこの九曜紋、あっちこっちの大名が使ってたせいで、江戸時代に細川家の殿様が人違いで殺されたりしています、ワロエナイ。

そのおかげで稀代のドケ◯もとい“肥後の鳳凰”細川重賢が藩主になったので、結果オーライ……ですかね。
重賢さんのお話も以前取り上げていますのでご興味のある向きはどうぞ→神をも恐れぬ超合理的主義者 「肥後の鳳凰」が藩の財布を建て直す 【その日、歴史が動いた】

こうして信長の覚えめでたく、また父親譲りで多方面の教養を身につけていた忠興の前途は洋々と思われましたが、ここで大事件が起きます。

本能寺の変です。

信長が明智光秀に裏切られて死んだというだけでも大きな異変ですが、細川家の場合はもう一つ大問題がありました。なんせ忠興の正室は光秀の娘なのです。
この縁と日頃の付き合いから「藤孝さんと忠興君は当然私の味方についてくれますよね^^」と光秀が書き送ってくるのは当然の話。光秀からすれば必ず協力してくれるものと思っていたでしょう。

 

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戦国を生き抜いた外様大名としてはかなりの勝ち組54万石

藤孝と忠興はあっさりこれを拒否します。
そりゃ、今まで仲が良かったからって、主君殺すような人とは付き合えませんよねえ。

とはいえ、断っただけでは世間体が悪いので、表面上は嫁の玉子を幽閉して「ウチは光秀さんの謀反とは何の関係もありません」ということをアピール。すぐに去就を明らかにしたため、細川家は他の織田部将たちや世間一般から疑われることもなく、無事にこの危機を乗り切ることができました。

その後は父と共に秀吉や家康に近づいていきます。
この間のことははっきり史実として記録されていることよりも、後述する諸々の強烈なエピソードがよく知られていますので割愛しますね。

最終的に忠興は豊前中津藩(現・大分県中津市)の藩主に任じられ、約34万石の大大名となりました。細川家としては息子・忠利の代に肥後熊本藩(現在の熊本県ほぼ全域+α)54万石まで加増されているので、戦国を生き抜いた外様大名の中ではかなりの勝ち組です。

そして忠興本人は正保二年(1645年)の12月2日に82歳で亡くなりました。
大往生ではありましたが、忠利や孫に先立たれていたため、寂しい晩年だったようです。

で、ここまでだとどこがどう「アレ」なのか全くわからないと思いますので、いよいよ逸話のほうに参りましょう。
戦国時代は日本史の中でも濃いキャラクターの多い時期ですが、これだけバリエーションに富んでいる人は数えるほどしかいません。

「お茶の話はどこいったんだよ」というツッコミが聞こえてくる気がしますので、まずは茶道関連の話からしましょうかね。

 

【(いろんな意味で)すごいよ!忠興さん伝説】

・茶道のお師匠様と忠興

千利休の弟子の中で特に優れた七人のことを「利休七哲」というのですが、忠興はこの一人に選ばれており、茶人としても名高かったことがわかります。
また、秀吉の耄碌で利休が切腹を命じられたときには、古田織部と二人で会いに行っているという度胸ある行動をしていました。
この時期の秀吉は「当事者にちょっとでも関係したヤツは皆同罪」みたいなひでえ裁き方をしていたので、ヘタをすると忠興も織部もタダではすみません。
茶道だけでなく、人格的な面でも利休をとても尊敬していたのでしょうね。

・教養と忠興

お父さんの藤孝が戦国随一のチートなのであまり知られていませんが、忠興も茶道だけでなく和歌・能楽・絵画と多方面の芸術に秀でた人でした。
デザインの才能もあったようで、ふんどしの一種・越中ふんどしや日本刀の肥後拵などは忠興の考案したものといわれています。
ふんどしのほうは“忠興が一時「越中守」だったから”そう呼ばれるようになったらしいのですが、下着に自分の名前付けられるって結構微妙なような……。

また、忠興所用と伝えられる兜もてっぺんから鳥の羽が乱立しているというかなり斬新なデザインです。「んなアホなwww」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、これ以外に表現のしようがないですマジで。
で、ここまではいいのです。ここまでは。

・短気すぎるよ!忠興さん

忠興は当時から短気で有名でした。茶道四祖伝書という茶人についての本にすら「天下一気の短い人物」と書かれているくらいです。いや茶道関係ないやろ。
どのくらい気が短かったのかというと……

しょっちゅう家臣を手打ちにしていた

数えてみたら36人斬ってた

(ピコーン!)「三十六といえば三十六歌仙じゃね!?」

愛刀の兼定という刀に「歌仙」と名付けてホクホク顔

どう見ても常人の発想じゃありません。本当にありがとうございました。

・愛が重いよ!忠興さん

たぶん忠興の名前に聞き覚えのある方の半数以上は、「ああ、ガラシャの旦那さんね」という印象をお持ちでしょう。
しかし、どのくらい愛していたかという具体的な逸話はあまり知られていません。
いくつかあるのですが、一番血生臭いのをご紹介しましょう。
※例によって超訳ですので悪しからずご了承ください

細川家の庭師が、あるときガラシャの姿に見惚れてしまいました。
それを知った忠興は嫉妬に駆られてその場で庭師を手打ちにし、ガラシャに「コイツがお前にイヤラシイ視線を送っていたので成敗してやったぞ」といらん報告をしたというものです。
ちょっと見惚れただけで成敗とかどんな基準なんでしょうか。

と、この話には続きがありまして。
庭師の首を見せられたガラシャがあまりにも無反応なので、忠興は「お前は蛇か」と罵ったそうです。
しかしやはりガラシャは涼しい顔で「アナタのような鬼の妻には、蛇のような女がお似合いでしょう?」と言ってのけたとか。

いつどこであった話なのかが伝わっていないので信憑性は高くありませんが、もみ消されていないあたりがなんとも。
この他にもまだまだ逸話がたくさんあるので、ここではとても書ききれません。
忠興さん伝説にご興味があるという方は、ぜひググる先生に尋ねてみてくださいね。

個人的には好きな武将の一人なので、ご命日にこんな記事も書いておりました。

◆ガラシャラシャの旦那さま細川忠興さん大往生

息子からも「子供のように純粋な人」と言われていたらしいので、たぶん良くも悪くも正直な人だったんじゃないかなという気がします。

長月 七紀・記

戦国のミスターパーフェクト細川幽斎(藤孝) 武芸以外に和歌・茶道・蹴鞠・囲碁・料理なんでもござれ

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