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その日、歴史が動いた 大坂の陣

真田幸村、後藤又兵衛…戦国武将の花火舞う!大坂夏の陣の野戦

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慶長二十年(1615年)の5月6日は大坂夏の陣で複数の大きな野戦のあった日です。

冬の陣でも鴫野・今福の戦いがほぼ同時進行・かつ非常に近いところで行われていましたが、元々「大坂城ぶっ潰そうぜ!」という戦なので、戦場もピンポイントになったんですね。
では、この日行われた戦を方面ごとに見てみましょう。

1、道明寺の戦い(道明寺・誉田合戦)

大坂夏の陣のことを知らないと「ああ、あの半殺し(粒の形を半分残してるお餅)の桜餅ね」とまったく別の連想をしてしまう地名ですね。ワタクシ根っからの千葉県民でございますけれども、関東風桜餅より道明寺のほうが好きです。どうでもいいですねハイ。

もちろん桜餅を片手に葉桜鑑賞……なんて呑気なことをやっていたわけではなく(そもそも旧暦5月=新暦5月下旬~6月なのでそんな時期じゃないですし)、激しい戦いが行われました。
厳密に言えば道明寺村と誉田村の二ヶ所なんですが、非常に近いのでまとめて扱います。

大坂方は後藤基次(又兵衛)・真田信繁(真田幸村)・薄田兼相(かねすけ)・明石全登など。あとの二人はちょっとネームバリューが落ちるので、簡単に紹介しておきましょう。

薄田兼相は元浪人で、浪人仲間を集めて参戦していました。結構な女好きだったのか、冬の陣の際は遊郭に通っている間に守っていた砦を落とされるという大失態をしています。そのため「橙(だいだい)武者」=「見た目は派手だけど使えないヤツ」というイヤなあだ名をつけられてしまっています。自業自得だけど。
明石全登は宇喜多秀家に仕えていたのですが、関が原の戦いで秀家が八丈島への流刑になってしまったため、やはり浪人になっており大坂城へ入っています。名前の読みは諸説あり、はっきりわかっていません。
一方徳川方は、家康六男(顔のせいで?苦労性)松平忠輝とその舅・伊達政宗を本陣に置き、水野勝成を先鋒としていました。
水野勝成は、小説「天を裂く」(著:大塚卓嗣)の主人公ですね。実利主義が過ぎたために父親と仲違いし、家を飛び出たという一昔前の高校生(この時点からすると未来ですが)のような経歴の持ち主です。流石にこの頃には落ち着いた年齢ですので、ちゃんと家に帰ってたというか家督を継いで大名をやっていました。

双方なかなか豪華なメンツで、それゆえか大坂夏の陣の話だと道明寺の戦いは割と知られているほうですね。
しかし、大坂方で当初布陣していたのが後藤基次のみだったことで、この戦いは早くもお昼ごろにはクライマックスを迎えてしまいます。
対する徳川方は、ほぼ総攻撃といってもいいような陣容だったからです。
それでも基次の軍は高所に位置していたため、地の利を生かしてしばらくは持ちこたえました。しかし、被害の大きさを重く見た徳川方が後方からの銃撃で前線を援護し始めると、少しずつ天秤が傾き始めます。
そして「もはやこれまで」と覚悟を決めた基次は、最後の突撃を敢行し敢え無く敗れ去りました。

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最後の決戦に遅刻相次ぐ

では他の大坂方は何をやっていたのかというと、簡単に言えば遅刻していました。
遅参の理由は現在もはっきりわかっていません。「霧が濃くて時間がわからなかったから」「天候が悪かったので行軍が遅れた」「元から後詰としてつく予定だったが、予想以上に遅れてしまった」などなどいろいろいわれていますが、さして距離がないので、どの理由にしてもちょっと無理があるような気がします。
このあたりは古墳が多いため最短ルートをとり辛く、行軍が遅れたというのはありそうですが。

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真田幸村VS2代目片倉小十郎

基次らの部隊で辛うじて生き残った人々は信繁(幸村)らの隊に収容され、二回戦目が始まります。
徳川方から前線に出てきたのは、伊達家の重臣・片倉重長。政宗の教育係だった景綱の息子で、同じ通称”小十郎”を使っていました。二代目小十郎と呼ぶこともありますね。
重長と信繁は当初銃撃戦を展開しましたが、徐々に距離を詰め、重長自身が兵を騎馬武者を切り伏せるほどの激戦になりました。
しかし信繁隊の勢いもすさまじく、重長含めた伊達軍は押し返されてしまいます。ですが信繁はここで兵を退き、この方面はしばらくにらみ合う状態になりました。
結果としては、主な将を失った大坂方の負けですね。

ちなみにこの戦で重長の戦いぶりを見た信繁が「あの若いヤツやるな!アイツなら、ウチの子供たちをかくまってくれるに違いない」と見込んで、この夜子供たちをこっそり送り届けています。
信繁が重長あてに「アンタはいい男だ!ウチの娘をもらってくれないか!?ついでに他の子供も保護してくれたら嬉しいな(チラッチラッ」(超訳)という矢文を送った話もありますね。女の子本人からならともかく、親父さんからラブレターもらっても嬉しくなかったんじゃないかとか言っちゃいけません。
武勇を見込んでもらえたのですから、多分感激したでしょう。多分。

関連記事「真田幸村の12歳の娘(超絶美少女)が伊達政宗の仙台藩にかくまわれていた!」

2、八尾・若江の戦い 

道明寺の戦いが上記のようにド派手な経緯だったため影が薄くなりがちですが、別方面でも熾烈な戦いが繰り広げられていました。
こちらは大坂方に長宗我部盛親・木村重成、徳川方に藤堂高虎・井伊直孝が布陣しています。

長宗我部元親(絵・桂花)

「息子よ、頑張れ」盛親さんのお父さん長宗我部元親(絵・桂花)

ただし、木村隊では兵がなかなか言うことを聞かなかったり、道を間違えて沼地に突っ込んだりと決してスムーズな行軍ではなかったようです。この時点で嫌な予感がプンプンしますね。
長宗我部隊のほうは、お家が改易されたとはいえ元家臣たちが何人かいたので、木村隊よりはマシだったようです。
対戦の組み合わせとしては長宗我部隊vs藤堂隊(八尾の戦い)、木村隊vs井伊隊(若江の戦い)。もちろんホントは他の武将もたくさんいますが割愛します。

まず八尾方面では、盛親は騎馬隊も全て下馬するように言いつけ、物陰に伏せさせていました。
そして藤堂隊が間近に迫ったところで立ち上がり、一斉に槍を繰り出して混乱させたのです。この作戦が功を奏し、藤堂隊では先方にいた高刑(たかのり。高虎の甥っ子)が戦死するほどの被害が出ました。
退却中にも藤堂家の人が亡くなり、さらに終始長宗我部隊のほうに勢いがあったため、この戦い(八尾の戦い)は数少ない大阪方の勝利となります。
盛親の代に長宗我部家が滅びてしまったので、彼の評判は戦国武将としてはあまりよくないですが、この戦いを見る限りではさすが元親の息子という感じがしますね。

若江方面では、道中のgdgdを振り切る勢いで木村隊が頑張ります。
地形を生かし敵を誘い込んで銃撃しようとしましたが、その前に井伊隊が転進、白兵戦が始まってしまいました。
重成自身も槍を振るって戦いましたが、この方面では徳川方のほうが圧倒的な兵数だったこともあり、残念ながら敗れてしまいます。
しかし井伊隊に与えた損害も大きく、翌日の戦いで勤めるはずだった先鋒を辞退するほどでした。これは藤堂隊も同じです。

徳川圧勝も のちに徳川家のゴタゴタを引き起こす

この方面での戦いでは、さらに徳川方でイヤなオチがついています。
実は徳川方の後方に松平忠直(結城秀康の息子)がいたのですが、彼はこの戦いの後タヌキジジiもとい家康からこっぴどく怒られているのです。
なぜかと言うと、「味方が有利になったタイミングで一緒に攻めるべきだったのに、何もしなかったのはどういうわけだ!」という理由でした。
でも、これは戦の前に家康から「勝手な行動を慎め」と言われていたため、忠直は素直にその言いつけを守っただけなのです。忠直からすれば「言うこと聞いたのに何で怒られなきゃいけないんだよ!あのジジイくそムカつく!!」とキレたくもなったでしょう。
戦の経験が豊富とはいえない忠直にベストな時期を見計らえという家康も無茶振りですし、言いつけを素直に受け取りすぎた忠直もそれはそれで問題ですが。他の徳川方の人とか家臣とかアドバイスしてあげればよかったのに。
もしかして家康の身内に関する癇癪って、この手の「お前ワシの言ってること読めなかったからクビ」みたいな感じだったんですかね。いくら血が繋がってても思考まで同じになるわけがないんですから、それは期待のし過ぎというものだと思うのですが……。ひょっとして家康って今で言うコミュ障だったんじゃないでしょうか。
でも現代でもいますよね、「アテクシの考えはスバラシイんだからアテクシが正義!わからないヤツがおかしい!!」みたいな人。特にオッサンオバハン。

こんな感じで、双方翌日の戦に大きな影響を残して6日は終わりました。
こうしてみると、ひたすらpgrされがちな大坂方もかなり奮戦していたことがわかりますね。
大坂方も頑張りましたが、皆さんご存知の通り翌日には豊臣家の終焉が待っています。
続きはまた明日の当コーナーで。

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