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ルイ16世/wikipediaより引用

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フランス その日、歴史が動いた

フランス革命の犠牲者・ルイ16世 実は人気も実力も備えていた!?

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とてつもなく有名な人物がいると、その周辺の人は霞んでしまうものです。それは一国の王でも同じことで、特にフランスにおいてはそんな王様が二代続いたことがありました。

ルイ15世が何をしたのかはほとんど知られていませんが、その愛人であるポンパドゥール夫人については「そういやどっかで聴いた気がする」という人は多いのではないでしょうか。

同様に、マリー・アントワネットの名を知っていても、その夫でありフランスブルボン朝最後の王であるルイ16世には「地味な人」という印象が大多数で、彼が実際にはどんな人物だったのかということはほとんど知られていません。ヘタすると「あのデブ」「ああ、あの無能ね」なんてレッテル貼りをされっぱなしだったり。

判官びいきをモットーとしている当コーナーとしてはぜひとも擁護したい人物の一人だったのですが、折しも1774年(安永三年)5月10日はルイ16世が即位した日。
王様としての彼についてお話しするにはピッタリの日だと思いますので、革命と処刑以外の点についてルイ16世のを見ていきたいと思います。

 

本来は王様になるべき生まれではなかったが…

元々彼は王様になるべき位置に生まれてはいませんでした。
なぜかと言うと、ルイ15世の孫というのはまだいいとして、三男だったからです。お父さんがルイ15世の長男=王太子だったので、本来であればお父さんが”ルイ16世”となり、その長男がさらに”ルイ17世”になるはずでした。

しかし、父親も兄たちもこぞって若死にしてしまったため、玉座に座る機会を得たのでした。

ということは、王族としての教育は受けていても帝王学についてはさほど教わっていなかった可能性があるわけです。もちろん立太子の後はいろいろ学んだでしょうが、ここを考えると即位から革命までの15年の間王様をやれていたのは結構スゴイんじゃないでしょうか。
「無能でお飾りだったからでしょ」というなかれ、彼はご先祖ルイ14世からの借金を完済することこそできませんでしたが、財政難打開のために識者を招き、改革を試みているのです。

イギリスとの競争でアメリカ独立戦争に首を突っ込んだのは下策だったものの、一方で拷問を廃止する法律を定めたり、三部会という聖職者・貴族・裕福な市民の会議を招集したりと、彼なりにきちんと仕事をしようとしていました。
残念ながら、効果が出る前に革命が始まってしまったのですが。

 

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民衆からは絶大な人気を得ていた

また、食糧難によって市民がヴェルサイユ宮殿に押し寄せたときには、自らバルコニーに立ってなだめたといいます。
ただの暗愚な王だったとか、権力に胡坐をかいているような人物だったらこんなことはしなかったでしょう。

近年見つかった処刑直前の遺言書も市民に呼びかける形で書いていますから、常に民の存在が念頭にあったとみて間違いなさそうです。権力や自らの不遇を恨んでいるだけなら、自分を捕らえた人々への非難や自己正当化を書き連ねただけで終わっていたでしょうからね。

となると、ルイ16世について「暗愚な王」とするのは後世から見た結果論であって、当時はさほど悪い印象を持たれてはいなかったのではないでしょうか。

意外なことに、革命勃発後のある事件までは、ルイ16世は民衆から絶大な人気を得ていたそうです。

それまでの王のようにぜいたくをするでもなく、趣味は錠前造りと狩猟という何ともリーズナブルなもの。そして真面目に仕事をしようとしているのですから、「ベストじゃないけどベターな王様」だと思われていたとしても不自然ではありません。

民衆から人気もあったルイ16世(wikipediaより)

 

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不幸にも子どもには恵まれず・・・

暗愚と言われがちな理由は、なかなか子供ができなかったということも影響していそうです。
愛人もいないのに、結婚してから8年もの間子供ができないとなれば、周囲が不信を抱くのは当然です。王様の仕事は昼も夜も関係ないですからね。

詳しく書くとこの記事がR18指定になってしまうかもしれませんので具体的な単語は避けますが、現代でもままある「不妊治療を始めてみたら、奥さんじゃなくて旦那さんのほうに原因があった」という話です。

多分本人は薄々気付いていたでしょうけども、何せ医療が未発達な時代ですから、治療を受けるのには相当勇気が必要だったでしょう。結局は治療を受けて、その後二男二女に恵まれているので結果オーライ……といいたいところなのですが、4人のうち3人が夭折し、唯一天寿を全うした長女も生涯のほとんどが逃亡生活だったということを考えると、ううむ。

これらを総合して考えると、生まれた時代が悪かっただけで、ルイ14世や15世の前に生まれて国王になっていたら、おそらく名君と言われていた人物だったのではないでしょうか。これまた後世から見た話ですけども。

最近は夫婦揃って再評価の動きがありますので、もう少し人物像がわかるような資料が出てくればまたイメージが変わるのかもしれませんね。
そのときにはぜひ、某宮殿のばらの作者さんあたりにPRしていただきたいところです。

長月 七紀・記

ルイ16世って素敵な人じゃん! 無実の罪で処刑されてなお、平和を願った優しき王に涙

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参考:ルイ16世(wikipedia)





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