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女性 その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

日本三大悪女・日野富子はただの金の亡者なんかじゃない!はず…

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お馴染みの方も初めましての方もお読みいただきありがとうございます。

さて、これまで当コーナーでは「判官びいき」をモットーにアレコレご紹介して参りましたが、ここにきてその方針をひっくり返すことになってしまったことを深くお詫び申し上げます。

何でかというとですね、どこからどう見ても擁護のしようがない人物を見つけてしまいました。
それは誰かといいますと、明応五年(1496年)の5月20日に亡くなった日野富子のことです。

足利8代将軍の正室 応仁の乱にも

彼女は足利幕府八代将軍・義政の正室で、九代将軍の後継者争いに端を発する「応仁の乱」にも深く関わっています。
もともと富子が男の子に恵まれず、義政が「じゃあアイツに頼もう」ということでムリヤリ出家していた弟・義視(よしみ)を還俗させて継がせることになっていたのですが、そこで男の子が生まれたためさあ大変。
わが子をどうしても将軍にしたい富子と、コバンザメのごとく張り付いて権力のおこぼれを頂戴しようとするその他大勢がくっついてゴネ出します。
一度還俗したからにはそうカンタンに義視も退けませんから、こっちにはこっちで別の大勢がつき、力で解決しようとして始まったのが応仁の乱です。

他に各大名家でのお家騒動なども絡んでいるのですけれども、めんd……ややこしいので省略します。
というか当時ですら「何がどうしてこの戦が始まったのかサッパリわからない」と言われているので、500年以上経った現代の人間がすんなり理解できるわけはありません。
いつの日か学者先生方がわかりやすくまとめてくれることを期待しましょう。
ちなみにオチもとい結果としては、富子の息子義尚(よしひさ)が九代将軍になりました。

 

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戦乱にかこつけて軍資金を敵にも味方にも

さて、応仁の乱は敵と味方がしょっちゅう入れ替わるという「な、何を言っているのかわからねーと思うが(ry」状態でしたが、富子自身は一貫して東軍側(幕府No2・管領家の一つ細川家側)についていました。が、それ以外の関わり方が実にマズイ。
なんと、敵も味方もお構いナシに金と米を貸しまくり、当事者の武士達どころか上は皇室、下は庶民まで困りに困っていたこの時代に一人巨万の富を築いていたのです。

しかもその金を使って誰かのために何かをしたでもなく、ほとんど懐に収めっぱなし。
あまつさえ、戦が収束しても「内裏(天皇の住まい兼政庁)の修理と行事の費用にあてるから」と言っていた関税でさえ溜め込んでいたのですから、これはもうどこから見ても銭ゲバとしか表現のしようがありません。

 

ある意味でキャリアウーマン 夫と別居 息子も反抗

当然夫婦仲も親子仲も良くありませんでした。
義政は隠居早々に「じゃあ俺は今度からあっちに住むから」と別居していますし、担ぎ上げた息子・義尚からでさえ「もうカーチャンの口出しにはうんざりなんだよ!そんなにあれこれ言いたいなら、カーチャンが全部仕事やればいいんだ!!」(超訳)と遅すぎる反抗期をくらっていまいました。
義尚はその後酒色に耽るようになり、25歳で亡くなってしまいます。酒が原因の脳溢血とも、夜の生活を頑張りすぎたためとも言われていますが、そりゃカーチャンが銭ゲバで口うるさいんじゃまともに仕事する気失せますよね。

これでがっくりきて少しは大人しくなるかと思えば、富子はそうはいきません。ちょっとは落ち込んだようですけども。
なんと今度はちょっと前まで敵対していた義視の子供を担ぎ出してきて「次はこの子が将軍ですから!」と言い張り、見事十代将軍に就けました。義視の奥さんが富子の妹だったからなのですが、いくら何でも節操なさ杉。

 

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「どうせ義なんとかって名前なんだから誰が将軍になっても同じや!」

ついでにいうと口うるささは変わらなかったのか、やがてこの甥っ子義稙(よしたね)との仲も険悪になりました。
今度は実の息子ではないからか容赦せず、細川家と組んで義稙の留守中に義政の甥っ子を連れてきて「今度からこの人が将軍ね!異存は認めませんから!!」と言い張ります。
そろそろ”義”の字がゲシュタルト崩壊しそうですが、平たく言えばクーデターです。
こうして富子がゴリ押しした人物が三人続けて将軍になりましたが、こんな無茶振りを続けていれば「何だ、幕府なんてあのオバサンの機嫌一つで変わるのか」なんてナメられるのは当たり前です。
富子自身も最後のゴリ押しから三年ほどで亡くなっているので、将軍の権威は地に落ちるどころか、地面にめり込んで踏みつけられるような状態のままトンズラしたような形になってしまいました。

 

遺産70億円!拝金主義な現代なら富子さんは神なんだから(棒読み)

普通こういう人物には「実はこんな意外な一面がありました」というお話がつき物なのですけれども、富子には意外なほどその類がありません。
同じ”将軍の妻”で、富子さんに並ぶ「日本三大悪女」として有名な北条政子には、いくつか情の深さを窺わせるエピソードがあるのですけれども。
「男どもがしっかりしないから富子が頑張ったんでしょ」とか「財テクすげえ」という評価もありますが、本当にデキる人であればむやみやたらと金を貸して戦を長引かせるのではなく、きちんとどちらに味方するかを決めて早く戦を終わらせていたんじゃないでしょうか。
その分、戦火に巻き込まれる人や物、そして富子の大好きなお金は少なくて済んだでしょうからね。
もちろん、富子一人のせいではないですけども。

彼女の遺産は現在の価値にして70億円近くあったといいますから、これを使って内裏や京都市街の修繕と庶民の救済などをしていれば、また評価は違ったでしょう。
そこまで溜め込んで何がしたかったのかサッパリわかりません。
現代でも「通帳の残高が増えていくのが楽しみ」という人がいますが、富子もそういうタイプだったんですかねえ。

ちなみに現代で貯金を溜め込んだまま亡くなると、相続税その他で国にがっつり持っていかれますので、生きているうちにご自身やご家族、もしくは慈善団体への寄付などで使っておいたほうがスッキリすると思われます。
生前贈与は「相続税軽くしたいんだろうけど、バレてるから^^」みたいなことになると面倒ですしね。

うーん、こうしてみるとホントに見習うべきところのない人というか、よく言おうとしても反面教師程度のような……。
富子好きな方がいらしたらすみません。

*ちなみに日本三大悪女は、日野富子、北条政子、夫の天皇を呪詛した容疑の井上内親王(奈良時代)、豊臣を滅ぼした淀君(戦国時代)、ごり押しで徳川3代将軍決めた春日局(江戸時代)などなどです。3人以上いるので、お好きな人をランクインさせてあげてください。

長月七紀・記




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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/日野富子





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