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イラスト・富永商太

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織田家 その日、歴史が動いた

6月2日は本能寺の変!森蘭丸を討った男が15年後の同じ日に死亡の謎

更新日:

 

中学校までは皆ほとんど同じように歴史を習いますが、その中で大人になるまで覚えている出来事や人名となると、おそらく半分もないのではないでしょうか。

歴史好きからすると哀しい話ですが、あんなに「暗記しろ!」とだけ言われてたらほとんどの人は興味を持つヒマもないですものね。いい先生だと面白い余談をしてくれるんですが。
そういうワタクシも古代~近世担当の先生は面白い方だったので授業の中身も覚えておりますが、近現代史の先生は「プリントのここに赤線引いといて^^」しか言わない人だったのでロクに覚えておりませんでしたし。
まあ歴史の先生に対する悪口はその辺にしておきまして、本日は誰もが知っている日本史上の一大事件に関するお話です。

紅蓮の炎でしかわしのあつい思いは焼き付くせん!(富永商太・絵)

紅蓮の炎でしかわしのあつい思いは焼き付くせん!(富永商太・絵)

本能寺で信長業火に散る!

天正十年(1582年)6月2日、本能寺の変で織田信長が自害しました。

明智光秀に殺された、といっている本もありますが、信長と光秀が一騎打ちをしたわけでもないですし、信長の首も遺体も本能寺ごと火をかけられて見つからなかったそうなので、やはり「自害」のほうが正しいかと。

なんで首も遺体もないのに信長が死んだことだけわかるかというと、その直前まで踏み込み、信長に槍をつけた武士がいたからです。

光秀の家臣・斉藤利三に仕えていた安田作兵衛という人で、信長のお気に入りNo1・森蘭丸を討ち取った人物でもあります。

蘭丸は当然信長のすぐ近くにいたでしょうし、一番槍をつけていながら信長の首を取れなかったということは、信長本人がそれを振り払って自害・放火したと見て間違いないでしょう。

以前、黒人小姓・弥助の記事「人種差別をしなかった信長の深イイ話」で「弥助が信長の首を持ち出してデスマスクを作らせた説はアヤシイ」という話をしましたけども、その理由もここにあります。

ただでさえ目立つ黒人・大男の弥助が、本能寺という限られた空間の中にいれば見つからないわけはないですよね。弥助は後に明智軍に捕らえられていますが、信長の首や信長の存在をにおわせるものを持っていたら、どう考えてもその場で拷問・尋問されていたでしょうし。

いくら光秀がキリスト教・異国人に良い印象を持っていなかった節があるにしても、信長の側で仕えていた弥助が全く日本語を理解できないとも思わなかったでしょうし。

もっと単純な話、信長が生きていれば何をどうやっても返り咲いて、光秀を討つ手立てを考えてたんじゃないでしょうか。織田家と合流するのは難しいにしても、家康の本拠・岡崎に逃げるという手もありますしね。

……というわけで、光秀謀反の理由やら黒幕の有無以外にもいろいろ妄想の輪がひろがりんぐなわけですが、そろそろ現実に戻りましょう。安田作兵衛のその後のお話です。

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信長を討った男に呪いがかけられた?

実はこの人、本能寺の変からきっかり十五年後の6月2日に亡くなっています。
しかも討死や病死といったものではなく、「頬のできものが悪化し、それを苦にして自害した」という死に方だったのですから穏やかではありません。
日付やこの死因からして、「信長の祟りなんじゃ?」とも言われています。また祟りか。
「三回抜き取っても治らなかった」「湯治も効かなかった」らしいんですが、そんなしつこいできものができる病気なんて現代でもパッと思いつかないですから、呪いと思うのも仕方ない話ですけども。

ちなみに作兵衛は信長に手傷を追わせた際の槍を「一世一代の宝物」として一生手放しませんでした。
だから呪われたんじゃね?とか言わない言わない。当時の武士にとっては名誉こそ全てですから。

作兵衛は本能寺の変から亡くなるまでの間もゴタゴタバタバタしてた人なんですが、きちんと結婚していたようで、息子と孫の存在が記録されています。その血筋は今も続いているそうです。
九州にお住まいらしいですが、詳細がわかりませんでしたスミマセン。もしかしたらご本人もご存じないんでしょうかね?
「信長の子孫」を自称する人は多々いますが、「信長に一番槍をつけた人の子孫」なんて普通思いつかないでしょうから多分本物だと思うんですけども。そもそも歴史好きでもないと”一番槍”という言葉自体を知らなそうですし。
いや、安易な売名に走らない姿勢こそ、武士の家系にふさわしいともいえる……ということにしておきましょう。
もしどなたか詳しいことをご存知でしたら、ぜひ教えてくださいませ。(メールはここだよ→bushoojapan@gmail.com)

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みんなが言いたい謀反の理由

これは完全に余談ですけども、ワタクシ個人としては謀反の理由は「光秀のヒステリー」だと思っております。
だって頭いい人なのに手落ちがありすぎるんですもん(´・ω・`)
「外側の葉っぱごとちまきを食べた」とか、直前の行動も不審すぎますし。
黒幕説のアレコレもそれはそれで面白いんですけどねえ。

長月七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%9B%BD%E7%B6%99
http://ukikimaru.ran-maru.net/ran/jiten/yasudasakubei.htm

 





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