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タージ・マハル(Wikiより)

その日、歴史が動いた アジア・中東

世界遺産になった愛の証タージ・マハルに眠る女王なくなる

更新日:

愛の形は人それぞれです。

面と向かって漢らしく伝えるのはもちろん、ちょっと気取った文面でラブレターやメールを書いたり、旦那さんが奥さんに対して「三歩下がってついて来い」=「何かあったら俺が守ってやる」という説があるように、言葉にしなくても伝える手段はあるでしょう。
そろそろ「お前は一体何を言っているんだ」というツッコミが聞こえてきそうですが、本日は(多分)世界最大級の愛の証であるとされているモノのお話ですので、このコーナーがポエム(笑)会場になったわけではありませんご安心ください。

タージ・マハル(Wikiより)

タージ・マハル(Wikiより)

ムガール帝国の皇妃がなくなる

1631年(日本では江戸時代の寛永八年)6月17日、現在のインドにあったムガル帝国の皇妃ムムターズ・マハルが亡くなりました。

ムムターズ・マハルさん(Wikipediaより)

世界遺産タージ・マハルに葬られている女性です。
インド観光の目玉ですし、この建物を全く聞いたことがない方のほうが少なそうですね。
実は、タージ・マハルには夫でありムガル帝国五代めの皇帝シャー・ジャハーンの並々ならぬ愛がこめられているのです。

シャーザハーンさん(Wikipediaより)

とはいえ歴史サイトですから、まずはムガル帝国がどんなところだったのかという話から始めましょう。「昔のインド」とだけ考えるのももったいないですしね。

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ムガール帝国はアジアの神聖ローマ帝国ということで

既に当コーナーで取り上げた国で例えると、「アジアの神聖ローマ帝国」というのが一番近い気がします。もちろんキリスト教やローマ帝国は関係ありませんが、歴史の流れがちょっとだけ似ているのです。
ムガル帝国が現在のインド亜大陸にあった国であることは上記の通り。この国は、現在のウズベキスタンあたりにいたバーブルという人がモンゴル系国家との争いに敗れ、新天地を求めて南下してきたことに始まります。
創始者である彼が宗教的に寛容だったこともあって、”帝国”の名を関している国にしては比較的温厚な支配をしていました。
それが祟って?後々政治・宗教両面の理由で分裂してしまうのですが。

14人も産んだインドの前田まつ

また、ムムターズ・マハルは「アジアのマリア・テレジア」ということができるかと思います。
何でかというと、18歳で嫁いで36歳で亡くなるまでの18年間で、14人も子供を産んでいるのです。マリア・テレジアは20年で16人ですからほぼ同じペースですね。
ムムターズ・マハルのほうは権力を持つことこそありませんでしたが、権力者階級にしては珍しく、夫と仲睦まじかった点も似ています。
まあ、そうでもないとこんなペースで子供できないですよね。日本だったら二人ともまず間違いなく夫婦円満・多産の女神として祀られていることでしょう。
日本人で多産というと前田利家の妻・まつが思い浮かびますが、彼女は22年で11人ですから海外勢に軍配が上がりそうです。そもそも授かりものですから、競う話じゃないですけどね。

しかし享年が三十代であることからもわかるように、ムムターズ・マハルの幸福は長くは続きませんでした。死因は産褥熱といわれています。
当時のインドの気候がどの程度だったのか定かではありませんが、この出産ペースではどんなに頑健な女性でも堪えるというもの。
その死を悲しんだ皇帝は、家臣の妻に手をつけるわ側室を増やすわで絵に描いたような荒れっぷりだったといいます。一説には長女と(禁則事項です)という話もありますが、確定的な証拠はないようで。

ですがこの男やもめ、「後世に残るようなお墓を建ててくださいな」という妃の願いだけはしっかり実行しました。それがタージ・マハルの建設です。
シャー・ジャハーン自身が好んだ大理石をふんだんに使うばかりでなく、インド中はおろかチベット・エジプト・中央アジアなどムガル帝国にとっての”世界中”に等しい広範囲からさまざまな宝石が集められました。
運ぶのに象を使ったというところがまさにインド。

これは余談ですが、ムムターズ・マハルが「大きなお墓を作ってください」と言ったわけではないところがミソですね。
もし彼女の意図が「皇帝に愛された妃として、歴史に残るようなお墓にしてください」というものだったら、シャー・ジャハーンは見事に空ぶってしまったことになります。どっちにしろ歴史には残りましたし、上記のラブラブぶりですからあの世で怒られたりはしなさそうですが。
リア充爆発しろ。してた。

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20年もかけてつくったら親子がけんか

タージ・マハルは20年前後もの時間をかけて落成し、地元の人々から「ピーピー・カ・ロウザ」(=貴婦人の廟園)という愛称で呼ばれるなど親しまれるようになりましたが、建てた皇帝その人は幸福な最期を迎えることはできませんでした。
シャー・ジャハーンの長男ダーラー・シコーがあまりにも宗教的に寛容すぎたため、次男以下の反感を買ってしまったのです。
特に熱心なイスラム教徒だった三男アウラングゼーブの怒りは凄まじく、皇帝と長兄に戦をふっかけます。そして負けたダーラー・シコーは極刑、シャー・ジャハーンは幽閉されてしまったのでした。
シャー・ジャハーン自身も兄弟を殺して皇帝になったので、因果応報といえばそれまでではあるのですが。

罪人となったシャー・ジャハーンは、その後亡くなるまでの八年間、幽閉先からタージ・マハルを見つめて暮らしていたそうです。
しかし彼の不幸はそれだけでは終わりません。
皇帝ですから本来は亡くなった後、きちんとお墓が建てられるはずでしたが、アウラングゼーブはそれを許しませんでした。
どうしたかというと、タージ・マハルに父親を埋葬したのです。
日本人の感覚だと「夫婦揃って同じお墓ならいいじゃん」という気もしますが、「妻のために建てたお墓に夫を押し込んだ」と見ると穏やかではありませんよね。
まあ、14人も子供を作れるような夫婦なら「息子ってば最後に親孝行してくれたのね!ありがとう!!」なんて思ったかもしれませんが。墓石もお揃いっぽい感じですし。
リア充(ry

長月 七紀・記




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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/タージマハル




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