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ナポレオンの戴冠式(Wikipediaより)

フランス その日、歴史が動いた

ジェセフィーヌとは? ナポレオンが惚れて愛して別れてやっぱり愛した女

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男女の間に友情は成立するか?というのは、おそらく人類最大の命題の一つでしょう。

ワタクシめには有難い事に、学生時代から続いている異性の友人がいるので肯定したいところなのですが、「あり得ない!!」と思う人もたくさんいますしね。
さて、これは男女同権が叫ばれるようになった近代以降の話かと思いきや、実はそういうわけでもないみたいですね。
何でかというと「離婚後もお互いが良き相談相手であった」という(元)夫婦の話はちょくちょくあるからです。
今回はヨーロッパにおけるその一例をご紹介しましょう。

別名「恋多き女」(Wikipediaより)

 

ナポレオンの妻は臭いも強烈ながら破天荒な貴族の娘

1763年(日本では宝暦十三年)の6月23日、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネが誕生しました。ナポレオン1世の最初の奥さんです。
「ナポレオンの寝室にチーズを持って行ったら、寝ぼけたナポレオンが『ジョゼフィーヌ勘弁してくれ!』と言った」なんて逸話があるため「体臭どんだけwwww」なんて爆笑されることもありますが、実はそれ以外にもエピソードに事欠かない女性でした。
というかこの時代のフランス人、今ほど頻繁に入浴しないわアレやらソレを道端に捨てるわで、ニオイがきつかったのはジョゼフィーヌに限った話ではありませんでしたしおすし。
まあ体臭の話はそこまでにしまして、まずはナポレオンと出会うまでの話から始めましょう。
ジョゼフィーヌは当時フランスの植民地の一つだった西インド諸島に生まれました。
貴族の家系ではありましたが、浪費振りがすさまじく名ばかりの身分で、生活は楽ではなかったようです。
そして16歳のときボアルネ子爵という貴族と結婚。息子と娘を一人ずつ授かりましたが、夫婦仲は決して良好ではなく、たった四年で離婚してしまっています。
この子供たちは後々ナポレオンと義理の親子になり、特に娘のほうは凋落後も最後まで尽くしてくれたので、この結婚も無駄ではなかったのですけどね。
ちなみにナポレオンは実の血縁者とはあまりうまくやれず、あっちこっちで対立していたりします。血縁関係で政治をどうにかしようとする例は数多いですけれども、血が繋がっているいる肉親よりも赤の他人のほうがうまくいったというのは皮肉なものですね。
この辺が失脚や”百日天下”の理由でしょうか。

 

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だんなのラブレターを公開して笑う「恋多き女」

話をジョゼフィーヌに戻しますね。
そんなわけでナポレオンとの結婚は初婚ではなかったのですが、かなり強引に口説かれてだったからか、はたまたフランス貴族の「愛人がいてナンボ」という価値観からか、ジョゼフィーヌは次々に浮気を繰り返しました。
イタリア出身で一応カトリックを信仰していたと思われるナポレオンの家族にはこれが許せず、かなり険悪な状態だったようです。
ナポレオン本人は惚れた弱みがあるからかあまりキツく言えず、遠征中も熱烈なラブレターを送ったりしていたのですけれども、ジョゼフィーヌは「ウチの旦那ウケるんだけどwwww」(超訳)と笑いながらその手紙を友人達へのネタとして見せていたとか。
皇帝(まだ即位してないけど)涙目。

しかし、ナポレオンのエジプト遠征中にとある美男子と浮気してしまったことから、二人の関係は変化し始めます。
このときもナポレオンは「浮気はやめてって言ってるじゃないかああああああ!今度こそ兄貴に離婚手続き進めてもらうからね!><」(超訳)という手紙をジョゼフィーヌに送っていたのですが、その手紙を載せた船がイギリスのホレーショ・ネルソン率いる艦隊に捕まってしまいました。これだけでも血の気が引くには充分な話ですよね。
さらにあろうことか、ラブレターが新聞のネタになるという大惨事が起きます。ただ恥ずかしいだけならまだしも、既に英雄視されていたナポレオンにとって「妻の浮気も止められない情けない男」として話題になってしまったことは大きな屈辱になったでしょう。
ついでに言うと、ネルソンは後々トラファルガーの海戦でフランス軍を打ち破っているので、ナポレオンにとってはまさに鬼門というか疫病神というか天敵というか。

この一連の騒動で本当に離婚寸前まで行ったジョゼフィーヌでしたが、ここにきてやっとナポレオンのことを「ひょっとしてイイ男なんじゃない?」と見直し始めます。
どう考えても遅いんですが、知り合った当初のナポレオンの迫りようが尋常ではなかったので、結婚から二年程度でこんなドタバタをやったにも関わらず「あの人が私に冷めるなんてことあるわけないでしょ?」とでも思っていた節があります。

男性には「より多くの子孫を残すため、さまざまな女性に気が向きやすい」という習性があるんですけどねえ。多分「英雄色を好む」もこのせいなんでしょうね。こればっかりは本能だからしょうがない。
現代ではそうとも言い切れませんが。草食系どころか”絶食系男子”なんて言葉も出てきたくらいですし。

 

フランス皇后になるも離婚 しかしそこから友情が芽生える

そして文字通りの”英雄”はついにフランス皇帝として即位、ジョゼフィーヌもその妻として皇后の座に就きますが、しばらくしてこの夫婦関係は終わりを迎えます。

ナポレオンから皇后の冠を授けられる。この有名な戴冠式が二人の絶頂だった?(Wikipediaより)

結婚から14年経ち、さらに初婚では息子も娘も産んでいたのに、ナポレオンとの間には子供ができなかったというのが大きな痛手でした。
ナポレオンのほうも他の女性との間に息子を授かっているので、なんとも不思議なものです。どっちかに明確な理由があればまだわかるんですけどねえ。
そしてナポレオンはオーストリア・ハプスブルク家からマリー・ルイーズという女性を新たな皇后に迎えます。
自分の留守中ジョゼフィーヌに浮気されまくったからか、マリー・ルイーズに対してナポレオンはかなり甲斐甲斐しく接したとか。でもこの人にも最終的には見放されてしまうんですよね……聞いてるこっちが泣けてくる(´;ω;`)

 

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お互いの最期の言葉は…彼と彼女のこと

こうなるとジョゼフィーヌはさぞ不幸な最期を迎えたかと思いきや、案外そうでもありません。理由は主に三つあります。
一つは、離婚後も「皇后」の称号を持ち続けたこと。
当然ナポレオンの承認がなければできませんし、パリ郊外に城を与えられていたので不自由な生活ではなかったと思われます。

二つめは、離婚後も「話し相手」としてナポレオンとは親しかったということ。
マリー・ルイーズが嫉妬するほどだったといいますから、これが二人めの妻に見放された理由かもしれません。
何やっても裏目に出るナポレオンが本気で可哀相になってきます。おっと目から汗が。

最後に、二人とも今際の際にはお互いの名を呼んでいたということです。
ジョゼフィーヌのほうが先に亡くなっているのですが、最期の言葉は「ボナパルト、ローマ王、エルバ島……」だったとか。
ナポレオンは当時最初の失脚をしており、エルバ島というのはその流刑先ですので、気にかかっていたのでしょう。
そしてジョゼフィーヌの死から七年後にナポレオンも二度目の流刑先・セントヘレナ島で亡くなりました。
彼が最期に呟いたのは「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ……」だったそうです。

お互いの名が最初と最後というあたりに、二人の性格もしくは男女の差が現れているようで興味深いところですが、どちらにしろ愛着があったことは間違いないでしょう。

よしながふみ先生の「大奥」における女家光と有功のように「一時期は男女の関係であったけれども、後には愛情を超えた友情や信頼関係ができていた」ということでしょうかね。
「お爺ちゃんお婆ちゃんになっても手を繋ごうね」というのも良いですが、こんな夫婦像も理想の一つではないでしょうか。
でも浮気はダメゼッタイ。

長月七紀・記

参考:ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(ウィキペディア)

 

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